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唯一無二〜他には何もいらない〜  作者: 中村日南
2章 異国[羈旅 (きりょ)]編
51/132

2-31 辛い時こそ力になる――泣きたい時はそばにいる

ランド回です。

 鷲の目は草地に人影を捉えると、大気を大きな翼でばさりっと逆撫でて、まっすぐ地上に滑り降りた。


 大地に降り立つのももどかしいとばかりに、空中で変幻を解くと、青年の姿が空中から一気に飛び降りる。


 地に足が着くが早いか、小さな人影に向かって駆け出す――だが、その足は少し手前で止まってしまった。


 草地の上に座り込み、遠くを呆然と見つめたまま動かない姿。

 ぼろぼろなその姿のあまりの酷さにランドは思わず、息を飲んだ。


「フェイバリット!!」


 彼女の名前を呼ばわりながら、残りの距離を詰めるも、彼女はひたすら彼方を見て意味もなく泣き叫ぶばかり。何度、名前を呼んでもこちらを見ようとしない。


「……イレイン……」


 それで試しに昔の名を、よく馴染んだ名前で呼んでみると、ぴくりとその肩が反応した。


 ゆっくりとこちらを見る赤い瞳からは、涙が後から後から流れ落ちる。嗚咽の合間に何かを言おうと口を開くも、すぐにしゃくりあげてしまい言葉にならない。


 ようやくランドの体が硬直から覚めると、止めていた歩みを踏み出し、娘の前にしゃがみ込んだ。目の高さをフェイバリットのそれと合わせて、のぞき込むようにしてその瞳を見る。


 フェイバリットは首を振ると、後はもう顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくるばかりだった。


 その様子があまりにも痛々しくて。ランドはそっとフェイバリットの顔に手を伸ばした。肌に手が触れると、先ほどの恐怖を思い出したのか、その体が小さく強張るのが分かった。


 だがランドの目を見ると、すぐに安心したように自らその手に頬をすり寄せる。怪我に気をつけながら、そろりと腕を回すと、ランドはその体を胸に引き寄せた。


 鎮痛の術を少し施すだけで、その体は気を失うように眠りに落ちた。もう色々と限界だったのだろう。


 ランドは眠るフェイバリットの体をくまなく検分した。頭部・内臓など目に見えない部分を手で触診し、時間の経過をみて大きな変化が起こらないことを確認する。


 腫らした頬、切れた唇、腕や背中にあった紫色に変色した内出血の跡や小さな擦り傷までも、丁寧に治療する。


 その甲斐あって一見すると、最初の時よりもずっと痛々しさを感じさせないほどに戻った。少なくとも見た目は。


(歯が折れたり、体に欠損がなくて良かった)


 大きい傷はランドには癒せない。


(あと―――…)


 無残に引きちぎられ、痛々しい見た目になった髪にランドは苦々しく唇を歪める。その髪を指で優しく梳いてやる。


(怪我でないものも戻せない)


 力いっぱい髪を持って引っ張ったか、あるいは髪を掴んだまま引きずったのかもしれない。頭皮には血がにじんでいた。もちろんその傷にもしっかり治癒を施した。


 不幸中の幸いと言おうか、フェイバリットが女性としての辱めを受けた跡がなかったことが何よりだった。


 もし万が一のことがあったなら悔やんでも悔やみきれない。そんな傷をこの娘に負っては欲しくなかった。


 ボロボロになった衣服を見た時は、怒りとともに顔から血の気が引いた。身内でもない男のランドが検分するのは気が引けたが、そんなことを言っている場合ではない。


 ひと通り確認したところ、どこにもランドが恐れているような痕跡は見当たらなかった。これには本当に安堵して、ランドは大きな息を吐いた。


 だが――折れたフェイバリットの左腕。今、腕には応急処置として、添え木で固定している。これはすぐには戻せない。


 癒しの術を使って、回復の時間を早めることは出来るかもしれないが、今すぐに完治させることは出来ない。鎮痛の術を施したものの、長くは持たないだろう。


 せめて薬草でもあれば。だがやはりそれも、完全に痛みを失くすものではない。術も薬も万能ではないのだ。

 動かしたり、衝撃が加われば、さぞ痛むだろう。


 ためらいながら、ランドは深く目を瞑ったフェイバリットの耳に口を寄せた。


「……すまない。痛むだろうが少しの間、堪えて欲しい。ここから離れなければ」


 一刻も早くここから立ち去らなければ。

 三人は去って行ったようだが、思い直してここに戻ってくるかもしれない。


 よしんば今日は来なくても、街から人手を集めてフェイバリットを探しにくるかもしれなかった。


 こちらが呪術の使い手だと警戒して、相手が様子見をするくらいのんびりしてくれるならいい――その間に時間も距離を稼げるから。


 だがもし時を置かずに、武器を手に多勢で向かって来られたら、ひとたまりもない。怪我を負ったこの娘を庇いながら、立ち向かうことはおろか逃げることすら難しいだろう。


 それに――じきに日が暮れる。

 血の匂いを嗅ぎつけて、獣がやってくるかもしれない。見たところ、向こうと同じような世界に思えるが、『赤い崖』でのことがある。


 どこまでが同じでどこからが違うのか、ランドには全く見当もつかなかった。


 ランドは空を仰いだ。気持ちばかりが焦る。

 フェイバリットの体を背中に背負(しょ)った。小さな体は軽く持ち上がった。


 荷車の場所まで戻ると、2頭の馬をそれぞれ別の方向に放った。馬で逃げたと思わせて撹乱する。もし追っ手がいれば少しでも時間稼ぎになればいい。


 その後、背負い袋を掴むと、すぐにその場を離れる。ひたすら歩いた。

 行く先はどこだっていい。ともかく追っ手の手が届かない場所へ―― 一刻も早く。


 ランドの頬を――頬から首筋に、汗が伝って落ちた。小柄な娘は驚くほど軽かったが、それでも人一人を背負って、さらに荷物を持っての移動だ。楽なはずがない。


 吐く息が次第に荒くなっていく。辺りが薄闇に包まれ始める中、自分の荒い呼吸だけがやけに大きく響くような気がする。


「ぅん………」


 背中でフェイバリットの小さな声がした。はっと肩越しに顔をのぞきこむと、歩いてもいないのに、その額に汗がびっしりと浮かんでいる。(あぶら)汗だ。折れた骨に響くのだろう。


 ランドは立ち止まると、肩越しにフェイバリットの様子をうかがった。


 下ろしてやりたい。休ませてやりたい。正直、自分も少し休みたいとも思う――しかしここで足を止めてしまっていいものかどうか、決めかねた。


 ここで一度でも腰を下ろしてしまったら、果たしてふたたび立ち上がれるだろうか。


 その気力が、その時まだ残っているのか…分からなかった。ランドはぎゅっと眉間に皺を作る。


「……すまない」


 苦々しく小さく詫びると、ランドはふたたび歩き始めた。


 歩みを止めて、少しでも休めたからか、先ほどまであがっていた息がいくぶん穏やかなものになる。


 ふっふっと短く息を刻みながら、ランドはサクサクと下草を踏みしめながら歩く。


 時折、立ち止まって周囲を見回す。追跡者はいないか、獣の気配はないか。地形はどうなっているのか。


 暗くなりつつある視界の中に、見落としはないか精一杯、注意を払う。ここで焦ったり混乱したらお終いだ。


 周囲をぐるりと見回した後、背中のフェイバリットの様子をみることも忘れない。体調が急変していないか、わずかな変化を見逃さないよう常に注意を払った。


 いつから目を覚ましたのか、フェイバリットは声を出すまいと唇を噛み、痛みをこらえているようだった。


「フェイバリット……」


 大丈夫かとは言えない。そんなものは顔色を見ればひと目で苦痛のほどが知れた。むしろよく(こら)えてくれている。


 その顔色のあまりのひどさに、さすがにランドはゆっくりと草の上にフェイバリットを下ろしてやる。


「ごめん……ランド」


 苦し気に吐く息の中につぶやきが混じる。ランドはぐっと唇を噛んだ。


 ごめん? どうして怪我を負ったフェイバリットが謝るんだ。

 

 そもそも、怪我をしたのは彼女のせいではない。浅ましい連中の欲に(まみ)れた思惑のせい。どこにも彼女の咎はない。


 その謝罪は、自分のせいで足を止めることが心苦しいから? それとも、負ぶわれることへの後ろめたさからか。


 何とも言えない悲しみ・悔しさが混ざり合って、ランドの胸にこみ上げる。


(謝らないでくれ)

(もっと我儘を言ったっていいくらいなのに――)

(謝るとすれば俺の方だろうに)


 よくよく用心していたつもりだった。それでも見込みが甘かった。なまじ術が使えるからと心のどこかに驕りがあった。軽率だった。


 これまで最後にはリヴィエラが彼女を守り切った。だから今回も大丈夫のような気がしてしまった――もうここにあの方はいないのに。


 改めてここが向こうとは別世界であることをランドは実感した。それだけじゃない。


 この世界はフェイバリットにとって脅威でしかないと思い知らされた。


 稀有な色を持つがゆえに、平和に生きるただそれだけのことも(おびや)かされる。急に肩に重い荷が課されたような気がした。


(至らない俺が…ちゃんとリヴィエラ様のように…守ってやれるのか)


 そうじゃないとランドは首を振る。自分はなんのためにこちらに来た。


 じぶんは彼女の師から大切な存在を託されたのではなかったか。弱音を吐くわけにはいかない。


 ―――あなたがついていながら、このざまはどういうことなのですか。


 過去、リヴィエラから放たれた厳しい叱責がよみがえる。ランドはきつく目を閉じた。


(本当にその通りだ。俺がしっかりしないと…この娘を危険な目に遭わせてしまう)


 力も経験も全然足りない。なぜ悪意に気づけなかった。なぜ油断した。足元を掬われたのはつけ込む隙があったからだ。

 

 フェイバリットが身を呈して隷属の首輪を壊してくれなければ、今こうやって逃げることもできなかっただろう。そのせいで彼女を窮地に(おちい)らせた。


 ランドは途方に暮れた。追いつめられてしまった。うつむいた顔が前髪の影になる。その頬にひと筋の涙が伝い落ちた。

 

 ―――俺はこれから、どうすればいい。


 するりと白い手が伸びた。涙の跡をなぞるように、細い指がそっと頬に触れる。


 ゆっくりと目をあげると、そこには心配そうな色をたたえた赤い瞳があった。


「ランド…? 泣いてる…?」


 ランドはぐっと歯を食いしばった。そうしないとまた涙がこぼれそうだったからだ。小さな手が、慰めるようにランドの頬に触れた。


 ランドは唇の端をわずかに引き上げると、やんわりと首を振った。強がりだと分かっているが、情けない姿をこの娘に晒したくなかった。


「頬、冷たくなってる…」


 そんなランドの気持ちを知ってか知らずか、動く方の手が頬を温めるように、ゴシゴシとさすってくれる。


 「大丈夫だ」とその手を止めようとしたものの、喉を何かが塞いでいて言葉が出てこない。


 ランドは一生懸命、頬をさする手の上に自分の手を重ねると、ふんわりと手の中に包み込んだ。この手もその体も、目の前の娘はこれほどに小さくて頼りない――なのに。


 小さい頃から、ランドが本当に辛い時弱っている時、なぜかこの娘はそのことにすぐ気づくのだ。


 今よりもずっと幼い頃、ランドを慰めようと、不慣れに背中を撫でてくれた丸い手が、昨日のように思い出せた。


 泣いている間は黙って、じっと寄り添ってくれた。

 そんな優しさが本当にありがたかった――自分は意地っ張りだから。


(自分の方が何倍も泣き虫ですぐに落ち込むくせに……)


 それでも――いつも落ち込んだ時に差し伸べられるその手に、ランドは確かに慰められてきたのだ。今も昔も。

 

 包み込んだ手を、優しく握り込むとやんわりと腕の中に引き寄せる。腕の中にすっぽりとおさまった体をランドは抱き締めた。その温もりにホッとした、その時。


「―――もし。ケガ人をそのように抱き締めてはいけませんよ」


 凛と澄んだ声が割り込んだ。

読んでいただき、ありがとうございます。


次話いよいよ第二章最終話。

明日10時に更新予定です。


最終話も頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。

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