2-20 我忘吾 (われわれをわするる)
表面をこんがりと香ばしく焼き上げられた肉から、食欲をそそるいい香りが漂ってくる。肉を前に、フェイバリットは口の中に零れんばかりのよだれがこみ上げてくるのが分かった。
思えば、本当に久しぶりの肉だ。ひと口噛めば弾力のある歯応えの後に、内側から滴るほどの旨みが口いっぱいに広がる。
あまりの美味しさに思わず、口いっぱいに頬張り、そしてお約束と言おうか、喉に詰まらせてむせてしまう。その背中をランドが気遣わしげに、さすったり叩いたりしてくれる。
ついつい我を失ってしまった。恥ずかしさにフェイバリットは外套の中で顔を赤らめた。
『ゆっくり食え――たくさんあるから…』
いたわるようなランドの言葉にさらに羞恥が増す。”弟”と偽っているものの、フェイバリットはれっきとした女子だ。
食べ物ごときとは言わないが、そろそろお年頃――少なくとも食べ物を前にがっつかない程度のつつしみは持ちたいと思う。
そんな二人のやり取りを、炎の向こうで怒りんぼが肉を食みながらじっと見ている。
「どんくらい、食べてねえんだ…?」
ランドはぐっと言葉に詰まる。その隣で違うと言いたいフェイバリットだったが、声で性別がバレてしまっては元も子もないので、口を挟むことは出来ない。
だが本当に食べてないわけではない。むしろ飢えずにいるのはランドのおかげだ。旅を共にして、つくづくランドが優秀な狩猟者だと感じさせられることは多い。
黙って見ていた怖がりが、手元の肉をそっと差し出すのが視界の隅に見えた。
顔を覆いたいくらいの羞恥に襲われて、フェイバリットはもう――うつむくしかない。
「なあ――…小僧。物は相談なんだが」とおもむろに怒りんぼが口を開いた。
「おめえ、俺たちの仲間にならねえか? そうしたら弟込みで食わしてやる。弟も腹いっぱい食えるし、おめえも楽になる。薬が必要ならそれもタダで用立ててやるぞ」
ランドは静かに肉を持った手を下ろす。そんな反応にお構いなしに、怒りんぼはさらに言を継いだ。
「俺らは大人数を抱えた大商隊じゃあねえが、それでもうちはいろんな一流品を取り扱う。この肉の味つけだって美味いだろう? お茶だって砂糖使いたい放題で一級品を飲める。どうだ?――悪い条件じゃあねえだろう?」
『………。なぜ?』
ランドが怒りんぼに顔を向けると、静かに問いかけた。声に温度はない。表情も動かない。だからなのか、喜んでいるのか戸惑っているのか、感情は一切読み取れなかった。
肉にかぶりつきながら二人の会話を聞いていた半笑いが、無言で隣の怒りんぼに目をやる。
「なんでって、そりゃあ、おめえのことが気に入ったからだ。若えのに、働きは一人前、いやそれ以上だし――何より使える。弟ごとうちに迎えたいって思うくらいにな」
フェイバリットは肉をかじりながら、外套の奥からランドの横顔をながめる。
ランドはどうしたいのだろうか。この気性の荒い男にすらその手腕を求められるほど、ランドは優秀だ。
対して自分は、完全に彼のお荷物。
ここでも――向こうでも。
せめて足手まといになりたくない。やりたいことがあるのなら、その邪魔をしたくない。フェイバリットはランドをじっと見守った。
『自分の力を認められるのは、嬉しい。誘ってもらったことを、ありがたく思う』
ランドの言葉に、怒りんぼの顔がぱっと明るくなる。半笑いは驚いたように少し目を見開いた。そして怖がりは安定の無表情だ。しかしその後に『だが』とランドは続ける。
『すまないが――仲間にはなれない。俺がここにいるのは、弟のため。俺の全ては弟のためにある』
強く、ランドは言い切った。取りつく島もない様子に怒りんぼは苦笑いを浮かべながら、思案するように無精ひげだらけの顎に手をかける。
「まあ…おめえが弟を大切にしてんのは、この短い間でようく分かったが、おめえはそれでいいのか? 言っちゃなんだが、俺が提示した条件はかなり破格だぞ?」
『すみません』と低くこたえたランドの横顔に未練は一切ない。男はふうと太い息を吐くと、呆れたようにこぼす。
「それに子供だけで旅するより、俺らと一緒の方が安全だろうに…」
『ありがたい話だが、俺たちにも都合がある。本当にすまない』
「う……っむ。無理強いはしねえが、気が変わったらいつでも声をかけてくれ」
ランドは話は終わったとばかりに肉にかぶりつく。
フェイバリットは隣でランドと話をしたくてうずうずとしていた。すでに肉の味が分からなくなりつつあった。
夕餉が済むと、怒りんぼたちは小さめの天幕を取り出して組み立て始める。
――いや実際、せっせと作業しているのは怖がりだが。どんどんと形になっていく天幕を横目に見ながら、怒りんぼが振り返る。
「詰めれば、お前らくらいなら寝れるが、どうするよ?」
『いや――俺たちはいい』
「はあ? このくそさみぃ中、外で寝るつもりかよ?!」
信じられないというふうに、怒りんぼが声をあげる。どうする? と聞いた割には断られると思っていなかったのだろう。
『慣れてる』
「慣れてるったって、弟がいんだろうが――」
さすがにこれ以上、甘えるわけにいかないと思ったのだろう。ランドは『大丈夫』とひと言言うと、怒りんぼが何かを言う前に、さっとフェイバリットの手を取ってその場を足早に立ち去る。
ようやく二人になれると、フェイバリットも内心ホッとしながら、掴まれた手に引かれるまま歩調をあげた。
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