2-9 指切りげんまん
ランド回です。
藍色だった空は濃い紫に変わり、やがて漆黒の闇に閉ざされる。
森はすでに真っ暗で、遠くで鳴いた獣の声が闇を震わせて、森にゆっくり吸い込まれていく。
風でも吹いたのか、焚き火の炎が時折はげしく揺らぐ。一瞬、弱くなった火が、しばらくして勢いを取り戻すと、そのたびに二人を取り巻く世界がゆらゆらと明滅する。
つかの間のまどろみから醒めて、ランドが体を起こす。夜中にこうして何度か起きて火の様子をみなければならない。足元の熾火の火が、闇の中で小さな虫の塊のように蠢いているのが見えた。
昼間と打って変わり、気温はぐんぐん下がり始めている。ランドはそばに積んである薪を熾火の上にくべた。
少し風を送ってやると新たな薪の下から煙があがり、赤い炎があがり始める。顔に触れる空気にじんわりと熱を帯びるのがわかった。
欠伸まじりに吐息して、ランドは辺りを見回した。夜半から月が昇り始めたのか、傍らで丸くなって眠るフェイバリットの顔が、壁の穴から差し込む月明りに照らし出されている。
あの後、本当にウサギの解体をやらせた。
森はだいぶ陰りだしていたから、日暮れまでに終わるかと少し心配だったが、半泣きになりながらもランドに言われるまま、ウサギを木に吊るし、皮を剝ぎ、内臓を取り出すところまで全てこなした。
足の部分は今夜の夕食にした。残りは葉に包んで火の当たらないところに吊るしている。少し熟成させてからのほうが旨いが、明日の朝に食べようと思っている。ランドは傍らに横たわる娘の耳もとにそっと口を寄せると、ひっそりと呟いた。
「…よく頑張ったな。お疲れ――」
今日一日でよほど疲れたのだろう。ランドに耳もとで囁かれても、固く目を閉ざした白い顔は睫毛の先までピクリとも動かない。隣りに肘をついて寝転びながら、ランドはフェイバリットを見下ろす。
耳を澄ますと、すうすうと穏やかな寝息がかすかに開いた唇から聞き取れる――まだ、あどけなさを残した面差し。
寒くはないかどこにも変わった様子はないかと、眠るフェイバリットを観察して上から順番に移動する視線が、ゆるく開いた手のところでふと止まる。
(指切りげんまん)
寝る前に交わした会話を、ゆっくりと思い出した。
「約束をしないか? フェイバリット」
「約束?」とフェイバリットが目を丸くする。
「ああ、この先は長い。喧嘩にならないよう、ひとつ決まり事をしたらどうかと思うんだ」
「そう…だね。例えばどんな決まり事?」
「そうだな。とりあえず基本的なことだが、二人のものは必ず半分こにするってのはどうだろう?」
「二人のもの? 何かあったっけ…」
フェイバリットは己の手を開いて見たり衣服に触れたりしながら、困惑したような眼差しを向ける。ランドは口許をほころばせて、違うとゆっくり首を振って返した。
「これから先、ひもじい時もあるだろう。反対に美味いものがたくさん手に入る時もある」
「うん」
「だから食事が乏しい時は半分こ。たくさんある時は山分け…そんなふうに」
「なるほど、公平だね」
「で、もう一つ、半分こにしたいものがある」
よく理解できるように、丁寧にゆっくりとランドは続ける。何?というように、フェイバリットが小首をかしげる。
「気持ちも半分こ……喜びも悲しみも、共に分かち合いたい」
「気持ちを…?」
「うん。嬉しい時は一緒に喜ぶ。そうすれば二倍嬉しいだろう? 反対に悲しい時はその悲しみを二人で分かち合う。そうすれば悲しみは半分ですむ」
難しい顔をするフェイバリットにランドが小さく笑った。
「わかりづらいか? 簡単に考えればいい。弱った時は元気な方が肩を貸す。疲れた時は遅れたほうの歩みに合わせて速度を落とす。時には座って一緒に休む――とか。それならどうだ?」
今日、岩燕になって共に空を飛んだ時のように。一羽が遅れれば速度を落とし、翼が重くなったら高度を下げる。どちらかを置き去りにすることのないように。
その言葉に「そんなの頼まれなくても喜んでするよ?」とフェイバリットは可笑しそうに笑う。
「簡単なら約束して欲しい」
強く言うと、不思議そうな顔をしながらもフェイバリットは「わかった」と頷いた。ランドはよく出来ましたとでも言うように、いっそう笑顔を深めた。
「じゃあ約束。手を出して」
そう言って半ば強引に小さな手を取ると、互いの小指同士を絡み合わせる。「これは?」とほんのり顔を赤らめる少女に「約束の証」と返す。深く息を吸うと。
あなたが誓った
わたしも誓った
結んだ小指が解けないかぎり
指きりげんまん
指きりげんまん
約束ひとつ結んだ
子供が交わし合う他愛ない手遊び歌だ。フェイバリットは初めて聞くのか、黙ってその歌を聞いている。
歌が終わった後「親指だして」とやり方を説明すると、ぎこちない仕草で親指を立てる。そこにランドが自分の親指の腹をゆっくり押しつけた。
「これで約束、成立」
「そうなんだ…」
ホッとしながら、小さなその手がそろりとランドのそれから抜け出そうとするのをランドの手が追いかける。
手のひらと手のひらを重ね合わせ、指を絡ませると――ぎゅっと握り込む。ぴくりとフェイバリットの体が小さく跳ねた。その眼差しを正面から捕らえる。
「――だから悲しい時は、俺の前で泣いてくれ。一人きりで泣くのは寂しすぎるから。そして落ち込んだ時は、話して欲しい。いくらでも聞く」
けして大きな声ではなかったが一語一語にしっかりと想いを乗せてランドは伝える。握った手にぐっと力を込めると「約束だぞ」と念を押した。
フェイバリットは、まるで時が止まったように、ぽかんと口許を開いたまま。どのくらい経った頃か…焚き火を映した赤い瞳がゆらりと揺れた。せりあがった涙をこらえてか、しきりに瞬く。
ぐっと下唇を噛むと「ランドも無理しちゃダメなんだからね」と悔しまぎれに憎まれ口を叩く。その後で小さく、けれどはっきりと聞こえた。
――約束する。
その言葉にランドは心の底からほっとした。これから先、辛いことはたくさんあると思う。だから、もっと自分を頼って欲しい。すぐには無理でも――それこそリヴィエラに全てを委ねてきたように。
思えば、リヴィエラを失った心の穴を少しでも埋めようと必死だったのだと、ランドはその時の自分を振り返る。
非力な自分が、あの方の足もとにも及ばないことはわかっている――それでも。
怒り泣きする姿、恥ずかしそうに俯く姿、赤くなったり青くなったり、ぎこちない不器用な笑顔……こちらに来てわずかな間に色々な顔を見れた…そして。
( 約束する )
消え入りそうな震える声で紡がれた言葉が、炎を映して揺らめく赤い瞳が――浮かんでは、消えていく。
――俺が、彼女の隣りで、彼女の助けになりたい。
それは義務や責任感ではなく、心の底からの願いだ。叶えられるなら彼女の色々な表情をこれからも見ていたいとも思う。
そしてそう思う時、いつもなぜか胸の芯がふつふつと熱くなる。
里では冬が明けた頃、同じ年頃の男たちの中に、急に背が伸びる者、見るからに逞しくなる者が現れた。それは里の大人たちからも一人前という扱いを受けるほどの変化だった。
そしてそれは体だけの成長にとどまらない。
気づけば隣りに立つ仲間が、それまで肩を並べて笑い合い、時にふざけ合っていた同年代の異性に、一歩離れたところから熱い視線を送るようになっていた。
(だが俺はまだ誰かを激しく愛おしいと想ったことはない)
だからなのか、この気持ちが男女が交わす恋慕の情というものなのかどうか、正直、まだよくわからない。
これから、自分がどういう気持ちで彼女を見守っていくのか――それも謎だ。
ただ、今この胸の内に灯った、小さくとも確かな火種を、消えないよう大切に、そして大きく育ててみたいと、ランドはそう思う。
「……ん……」
やぶれた壁から忍び込む夜気の冷たさからか、フェイバリットがぶるりと身を震わせた。外套を毛布代わりにかけてやっているものの、あいにくそれ以外に寒さをしのぐものはない。焚き火の火は大きさを保っているが、なにせこの穴だらけの壁だ。
ひやりと肌をなでるように、隙間風が部屋をかけ抜ける。むくりと体を起こすと、ランドは体の位置をフェイバリットのすぐそばにずらした。腕の中に抱え込むようにして、静かに身を横たえる。
起こさないようにゆっくりと、柔らかい体を胸の中に引き込む。ぴったりと体を添わせると、体温がじんわりと布ごしに伝わり、仄温かく感じられた。
すぐ近くで、穏やかな寝息が規則正しく繰り返されるのが聞こえた――ふたたび深い眠りに落ちたようだ。よく眠っている。安堵したからか、温もりに誘われたのか、ランドにも睡魔が戻ってきた。
「おやすみ…フェイバリット」
髪に頬を寄せるとランドはゆっくり瞳を閉ざした。
読んでいただき、ありがとうございます。
次話は3日後、更新予定です。
次回更新も頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。




