2-7 とまり木
ひきつづき、ランド回です。
森に分け入り、歩きやすいところを上手く選び取って、道の無い樹林を縫うように歩く。
変幻して一度、目的の場所にたどり着いたランドの足取りに迷いはなかった。
歩き始めて、三十分ほど経った頃だろうか。
そろそろ体の内側に熱がこもり始めた頃、後からついてくるフェイバリットに振り返り、すこし休もうと声をかける。すぐそばには小さな沢があった。
川を滑る風に頬を撫でられると、汗ばんだ体からすうっと熱が引いていく。隣を見ると、ほんのり頬を上気させたフェイバリットも、気持ちよさそうに目を閉じるのが見えた。
視線を移し、ランドは木々の間から空を見上げる。青く気持ちのいい空。
あちらこちらで緑の葉が頷くように風に揺れている。
木の上から小鳥のさえずりが降ってきたかと思えば、枝を揺らしながら口笛のように鳴く声も聞こえてくる。暑くも寒くもなく、ちょうどいい。こちらの季節は今いつ頃だろうか。
いや、そもそも季節の移り変わりはあちらと同じようにやってくるのか――考えることが多い。それでも、こんなに早くに人がいた痕跡を見つけられたことは大きいだろう。
「ランド?」
その呼びかけに、水底から浮き上がるように物思いから覚める。こちらを気遣うフェイバリットの眼差しがあった。
「何か考えごと?」
「ああ――― ウサギ、どうやって食べたらうまいかなって」
「あんな真剣な顔して??」
ランドの返答にフェイバリットが呆れたような顔をする――不安にさせたくない。
「行くか」
休憩の後、さらにしばらく歩くと前方に粗末な小屋が現れた。
ランドの言葉通り、”雨露がしのげる程度”のあばら家は、土壁のあちらこちらに穴があき、そして屋根は申し訳程度に残っているというありさまで、とても人が住めたものではない。
しかし炭焼き小屋だった頃の名残りを思わせる大きな窯は、かろうじてその形を保っていた。
「ま、地面で寝るよりマシってとこだな」
苦笑いしながらそう言うと、ランドは薪と水の入った革袋を下ろす。森は暗くなり始めると、そこからが早い。
月明かりがあれば多少はマシだが、そうでなければ、腕を伸ばしたすぐその先から物の形が判別できなくなるほど真っ暗闇になる。ひと晩泊まる場所が見つかったなら、早めに準備を整えてしまうに越したことはない。
幸い、今夜の肉は確保した。早い段階でやらないと、肉に血の臭みがついてしまうので、獲物を仕留めた時に血抜きだけは簡単にしておいたが、残りの処理はこれからだ。
火を熾して、鍋をかけてお茶を沸かす。米も炊かねば。頭の中でせわしなく段取りを組んでいると。
「ランド」
背後から拗ねた声がした。
「あ、あんまり役に立たないけど、一生懸命覚えるから、その…私にもお手伝いさせて欲しい」
もじもじしながら、少し唇を尖らせる。その姿に自分の兄弟の姿が一瞬重なった。しばし言葉を失ってぽかんと、多分間抜けな顔をしていただろう。
「あ―――ああ、うん…」
生返事を返しながら、脳裡にタレ目がちの少年の姿が浮かんだ。一番ランドに懐いていた末の弟、今朝別れたばかりだというのに…もう懐かしい。
――泣かせてしまっただろうか。
そう思ったとたん、ずきりと胸が疼いた。
弟には、父も母も兄も姉もいる。だから自分一人くらいいなくても大丈夫だと思った。だが――弟にとって兄であるランドは一人しかいない…。
後悔は本当にしていない。何度、選択する場面が訪れようと、きっとこちらを選んだ。彼女にこの旅路はあまりにも厳しい。誰かの手助けが必要だった。
ランドの口元に皮肉げな笑みがうっすらと浮かぶ――これではまるで言いわけみたいじゃないか。許して欲しいと願う相手は、もう二度と会えない場所にいるのに。ここでいくら詫びても、それはただの自己満足に過ぎない。
――急に、これまで軽快に動いていた体が重くなったように感じられた。
「ランド…?」
こんな感傷的な話など、フェイバリットには決して聞かせられない。きっと、自分のことのようにまた泣き出してしまうだろうから。
―――けれど少しだけ。ほんの少しだけ休ませて欲しい。
そう思ってもいいだろうか。誰に言うともなくランドは乞う。
「……じゃあ…頼みたいことがあるんだが」
「――うん! 任せて!」
”頼みたいこと”と言われて、ぱああっと顔を輝かせる。
ああ――そんなところも似ている。
見た目も性別も異なるこの娘に、弟の面影を見出してしまう自分に、ランドは思わず苦笑する。
「あ――…、でもお前にできるかな…?」
むっと口を引き結び、負けん気の強い瞳がランドを見る。挑発にすぐ乗ってくる子供っぽい反応に、思わず笑みを浮かべそうになったが、疲れた風を装った顔の下に隠して目を伏せる。そんなランドを見て、慌てたようにフェイバリットが反応する。
「……っできるし! 頑張ってみる。言ってみて」
「そっか。そこまで言ってくれるなら、お願いしようかな」
「うん」
「少し…疲れてしまったみたいだ。俺を癒してくれる?」
「う―――え?」
固まった。
「…やっぱり駄目か…?」
ランドは切なく瞳を細めた。それを見て、フェイバリットはぐっと唇を一文字に引き結ぶ。
「癒す、って癒しの術だよね? 私にできるか分からないけど――」
何の疑いもなく「やってみる」と握りこぶしを固める姿はランドを大いに慰めた――凍りついた心臓に血がふたたび通い始めるのがわかるほどに。
ランドは、ふっと小さな笑いを漏らした。
「女の子ならではの癒し術がある。だから安心して」
「ええと、そう、なの? それってどんな」
「俺の隣に来て――そう。そこに座って。ペタンと、そう鳶座り」
鳶座りとは両足のあいだにお尻を落として座る座り方――いわゆる”女の子座り”というやつである。足を開いた形が、鳶が羽根を広げた形に見えるからその呼び名がついたと言われる。
「恥ずかしくても、ちょっとの間なら我慢できるよな?」
「え? 恥ず?」
言うなりランドは、素早く彼女の真向いに体を横たえ、その膝の上に顔を伏せた。
「………っ!!」
顔の向きが違うが、これはつまり膝枕だった。びしっと体を硬直させたフェイバリットに動く隙も与えず、その細い腰に二の腕を巻きつける。彼女がわずかに身じろぐと、それを阻むようにぐっと腕に力が込められた。
「ラ、ラ、ラランド…。…。」
膝に顔を押しつけるランドの体は動かない。小さくくぐもった声がひと言「頼む少しだけ」と言った。
やがて。ランドの頭上に困ったような沈黙が降りてきて、小さな手のひらがそろりと柔らかな栗色の髪に触れた。ためらいながら、ゆっくりとその手が髪を撫でる。
ランドは、きつく目を瞑って、固く唇をつぐむ。
声を上げることは出来なかった――泣かずにいるだけで精いっぱいで。
読んでいただき、ありがとうございます。
次話は3日後、更新予定です。
次回更新も頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。




