2-5 変幻2
滑らかな旋律の後で小さなつむじ風が巻き起こる。風の中から二羽目の岩燕がふわりと舞い降りた。
現れた小鳥は、傍らに佇む小さな同胞に「ジーィ」と誘いかけると、二羽はそろって飛び立つ。雪を頂く山脈を背に、二つの黒い塊が滑るように滑翔した。
片方の岩燕が高度を下げれば、もう一羽が並んで飛び、一方が遅れだすと後ろからゆっくりと片われがついていく――そんなことが繰り返されること約40分。
これはフェイバリットに合わせたペースだろう。
背後にそびえる山並みの大きさはあまり変わったように見えないが、風景には少しずつ変化が現れ始めていた。岩の隙間を縫うように流れる川とその奥に青々と生い茂る森が眼下に現れたのだ。
二羽の岩燕は、沢からほど近く、森の入り口辺りにちょうど平地になった場所を見つけて、そこに降りた。
地に降りると、思った以上にフェイバリットの疲労は激しく、何かをする余力はほとんど残されていなかった。変幻を解くと、荒い息をついて地面にぐったりと体を沈める。
けして無理をしたわけではなく、むしろいつもはもう少し飛べていた。
なのに――せめて呪言を唱える時近くに、助けになりそうな水場があれば、せめて神使ではなく神の加護を得られたらと、フェイバリットは悔しさに唇を噛む。
フェイバリットが息を整えている間に、ランドはこちらをさり気なく気にかけながら沢へ降りて水を汲んだり、薪集めを始めたりと、手際よく野営の準備を進めていく。
(私だってちゃんと役に立ちたいのに……)
木立の中に入っていくランドの後ろ姿を目で追いながら、フェイバリットは溜め息をこぼした。
……どうしてこうも違うのだろう。
同じ時期に魔導を学び始め、同じことを学んでいたのに。違いがあるとすれば性別くらい。年だってたった二つしか違わない。
(……持って生まれた素質も違う、か……)
師であるリヴィエラは、彼女の力不足を自分の至らなさだと言ったが、家族のひいき目分を除いても、これが自分の限界、あるいは努力が足りないのだとフェイバリットは思う。十の頃より五年学んでコレなのだ。
膝を抱えてうずくまるフェイバリットの胸元で、さらりと鎖が擦れる音がした。布越しに、そこに収まる丸い石にそっと触れる――リヴィエラからもらった首飾り。
変幻しても忘れず、ちゃんと運ぶことが出来た。フェイバリットはホッと息を吐く。これまで何度も変幻をして、もう慣れたと思っていたが、それでも時々不安になる。
変幻する時、身につけているものはたいてい一緒に運ばれる。そう、たいていは、だ。やり方を間違えると運ばれないこともある。
やり方は、ひと言で言うと『身に纏うことをしっかり意識する』これに尽きる。
この“纏う”感覚が鍵となる。
身につけた着衣を、常にちゃんと着ているかどうか気にする者など、ほぼいないだろう。それはそうだ。衣服は勝手に脱げたりしない。
だから何かしら身につけていても、暑いか寒いかを感じるくらい――だが昔から肌身離さず身につけているものはそうではない。常に意識しているはずだ。そこにないと落ち着かなくなるといった具合に。
まさにこれが“纏う”という感覚。
この感覚が変幻では大切だった。奇妙な理屈だが、服や装飾物また時には荷物までも、意識して“纏う”ことで、変幻した自分と一緒に運べるらしい。
くすりとフェイバリットは思い出し笑いを漏らした。
いつだったか――そう、初めて変幻に成功した時だ。あの時は初めて鳥になれたことにひどく驚き、そしてまた嬉しくて、そのことしか頭になかった。問題はその後だ。
変幻を解いて地に足をついた時、大変なことに気がついた。変幻することばかりに気を取られて、服を運ぶのを忘れたのだ。
慌てたリヴィエラが、周囲から覆い隠してくれたことが昨日のことのように思い出される。
今はあの時の恥ずかしさより、ただただ懐かしい……と微笑んだ顔が、その表情のまま固まった。
(んんん?)
脳裡に、横一列に並ぶ同門たちの呆気に取られた顔が浮かんだ。その中に一瞬、見てはいけないものが見えたような気がする。
もう一度、記憶の中にあるその顔を左端から順番になぞっていく。
一人…二人、ああこの人もいた。ざっと右端まで思い出した顔ぶれの中に――あれ…? この中にランドもいる。
「…。…。…。」
……見えた? 見えたんだろうか。やはり。
その時、背後で下草を踏みしめる音が耳に飛び込んだ。文字通りフェイバリットの体がその場で跳ねた。
―――まずい。
上気した頬が異様に熱を持っている。そうっと肩越しに後ろを覗き見ると、爽やかな見目をした青年が小脇に薪を抱え、片手に水を提げてこちらに歩いてくる。
じきにこちらに着くだろう。
火照った顔はなかなか戻りそうにない――何より気まず過ぎる。深く俯いたフェイバリットは顔をそちらに向けることが出来なかった。
「? どうした?」
そんなフェイバリットの心の内などお構いなしに、ひょいっとランドがいきなり背後から彼女の顔をのぞき込む。ぎょっと頬を押さえてとっさに隠したが、すでに時遅し。ばっちりと目と目が合ってしまった。
「…。…。…どうしたの? それ…」
それとはおそらく赤く染まったこの顔のことだろう。
「え・え―――いや、これはその…っ」
変な汗が吹き出す。
「大丈夫? 熱でもあるのかな?」
気遣う声がして、ランドの手が額に伸ばされる。
ランドの言葉に乗っかって「そうかも」だとか何とか言って誤魔化してしまえば良かったのに、混乱の極みにあったフェイバリットの口からは別の言葉が飛び出していた。
「――黙秘シマス」
「……は?」
いや、自分の意志を伝えることは大切だ。「うん正しい」とフェイバリットは胸の内で強く頷いた。
その言葉に――ランドは無言で笑んだ。
ぎくりとフェイバリットが身を強張らせる。
(め、目が笑っていない…っ)
「どうやって、吐かせてやろうかな…?」
笑顔と裏腹にぼそりと吐かれた言葉は、この上もなく剣呑なもので。
「……っつ!!」
声のない悲鳴をあげて、フェイバリットは盛大に顔面を引き攣らせる。
「まあ――今日のところは見逃すから安心して」
ぽんと頭をひと撫でされてフェイバリットは、ひとまず、ほ―――っと全身脱力する。
赤くなったり青くなったり、そんなフェイバリットを見て、ランドがほんのりと表情をやわらげた。
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次話は3日後、更新予定です。
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