2-4 変幻1
「ekr Heil ( 吾、ヘイルに住まう者 )」
ぶぅんと空気が振動して張り詰める。だが何度となく繰り返してみても、発動の呪の前に力なく霧散してしまう。空中に漂う残滓の中に、放とうとした呪の気配がわずかに感じられるだけだ。
フェイバリットは途方に暮れたように己の手を見つめた。ランドの術がこちらで使えることは確認できた。
今度はフェイバリットの番だと”変幻”を試してみて、このありさまだ。
『ヘイル』はフェイバリットたちが産まれた土地の神、いわゆる産土神の名前だ。フェイバリットのように実力に劣る者は、高い神格の神の加護を得るのは難しい。なので、なじみの深い産まれた土地神の助力を乞うのが一般的だった。
産土神の加護を得られない理由として考えられるのは、そもそもこの世界にヘイルの里そのものがない―――もしくは、今はその土地が寂れたか失われたかして、住まう者も絶えてしまったか。
……後者だと寂しい限りだ。いずれにしろヘイル神の加護を得られないことだけはわかった。
「ひとまず獣神に乞うのはどうだろう?」
見かねてランドが声をかける。獣神は神ではなく神使。神格はぐっと下がり、加護の力も小さく大きな術は使えないが、変幻程度であれば問題はない。
フェイバリットは未練を断ち切るように頭をひと振りして、再び術に集中する。
「ekr ruyampe-ciri turano ( 吾、雨の鳥と共に )」
ぶぅんと空気が振動して張り詰める――いい感じだ。フェイバリットは喉を緊張させて鋭く呼気を吐く。
「ruyampe-réra rap-kamu oren apto-kor pirka no maw−kor pirka no ha eeeen
( 雨風の鳥神へ、雨に恵まれますよう、風に恵まれますよう―――拝み奉る )」
」
淀みなくひと息に発動の呪を唱えることが出来た。ホッとするも一瞬、息つく暇もなく術名を口にする。
「pon rap-mi (小さな羽を纏う)」
唱え終わった途端、ごっそりと体の内側から呪力が持っていかれるのがわかった。
小さな風が渦を巻く。そしてフェイバリットが立っていた場所に少女の代わりに一羽の岩燕が現れた。術の発動である。
「よし、出来たな。偉いぞ、フェイバリット」
地面にちょこんと立つ小鳥に、ランドが手を差し伸べる。小鳥はきょとんとランドを見上げたまましばらく動かない。
「いつもと変わりないか? ちゃんと人の意識は残ってるな?」
変幻では、本体の命がなにより優先されるので、変幻直後はまっさきに鳥としての本能が働く。どうしても意識がそちら側に強く引っ張られて、体が従ってしまうのだ。
人としての思考・判断力も当然下がるので、気持ちをしっかり持たなければならなかった。
うっかりすると、人に戻れず野生に帰るなどと本当に洒落にならないことになる。これは学びの時に師であるリヴィエラから何度も口酸っぱく注意されたことだった。
小首を傾げた小鳥は、頭から背にかけて黒く、白いお腹やずんぐりと丸い体が可愛らしい。どこから見ても立派な燕の風貌。その喉元から脚にかけて生えている白い羽毛は岩燕だけの特徴だ。
ランドが見守る中、岩燕は、おずおずとその指に足をかけると、きゅっと指を掴んだ。ランドはホッとして目の高さに小鳥を持ち上げる。
「俺の言ってることが分かったら教えて欲しい。どれ、鳴いてごらん」
「…ちゅん」
「いいね。では『わかった』『合ってる』時は一度鳴く。『わからない』『違う』時は鳴かなくていい。出来るか?」
「ちゅん」
「―――よし、いい子だ」
愛らしい見た目に、ついランドの指が小鳥の頭に伸びる。だが指が触れる前に岩燕が気軽に触れるなとでも言うように首を振り羽を膨らませた。
小さな頭の手前で止まったランドの指は、未練がましく持ち上がったまま。
妙な緊張感を生み出しながら、声もなく互いに視線を交わしていると、ついに小鳥の方がシビレを切らした。
「ツィーッ!」
――警戒音まで放たれてしまえば、ランドも諦めざるを得ない。渋々といった感じで手を下げる。
「さて、このままで聞いてくれ。せっかく変幻したんだ。まずは空から人が通った跡…例えば峠道や街道みたいなものがないか探してみようと思う。その後、どこか森や沢が見えたらそこで降りよう。今夜、休む場所を整えるんだ。ここまでは大丈夫か?」
「ちゅん」
「俺もこの後、変幻するから今のうちに言っておくが、空中で術が解けるのはとても危険だ。少しでも異変を感じたら早めに地上に降りて欲しい。わかったか?」
「………ぢゅん」
小鳥は先ほどより小さく鳴いた――その姿が心なしかぷるぷると震えていた。
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