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唯一無二〜他には何もいらない〜  作者: 中村日南
3章 歓びの里 [鳥の妻恋]編
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3-9 幸せは歩いてこない、だから歩いて行くんだよ

よろしくお願いしますm(__)m

 ふわんと立ちのぼる香辛料のいい匂いが、鼻孔をくすぐる。


 寝台脇に備えつけられた小さな卓子(テーブル)には、匙を一本添えた小ぶりな器が置かれている。


 一日ほとんど体を動かしていないので、朝からフェイバリットが空腹を感じることは、実のところそれほどない――はずだった。


 だがこの食事だけはどうやら違うらしい。それまで全く食欲を感じていなかったのに、匂いを嗅ぐと急にお腹が空いてくるのだから。


 自分はこれほど、食いしん坊だっただろうか? 


 器の中に盛りつけられているのは、黄色く色づいた粥。これは“キチュリ”といって、お米と豆で作られたお粥らしい。


 食事を前にして、口の中に湧いたよだれをコクンと飲み下す。


 初めて見た時、香辛料の刺激的な匂いと見た目から、果たして胃が受けつけるだろうかと、わずかにためらいがあった。


 だが食べてみればそれは全くの杞憂だった。辛味は全くなく、それどころか、ほくほくした緑豆が優しい味わいだ。


 今朝のキチュリは昨日より生姜が多めで、食べるとじんわりと腹から温まる。柔らかめに仕上げられた粥は口当たりも軽く、驚くぐらいペロリと食べられてしまう。


 そうでなくとも米を食べるのは久しぶり。焼き枯らしにした魚や干し肉など、野営食が続いていたフェイバリットにはこの上もなく贅沢なご馳走だ。


 ごくんと口に含んだものを嚥下した後も、しばし口の中に美味しかった余韻が残る。つかの間の多幸感に浸っていると、はいと目の前に次のひと匙を突きつけられた。


 一気に頭の中が現実に引き戻される。

 なぜ息をするように自分は、給餌されているのだろう?


「ささ、どんどん召し上がれ~キチュリは消化も良くて滋養たっぷり♡ 」

「里では体調のよくない時によく食べるんですよ。美容にも大変いいので、女性には特におすすめ♪」


 匙の上には黄色い粥――これが意味することは一つ、口を開けろということだ。


「あのぅ…自分で食べられ…」


 ます、と言いかけた口の中に、絶妙なタイミングで匙が突っ込まれる。完全に気を抜いていたフェイバリットの口から、もがっという変な音が洩れた。


「~~~~~」


 二人は甲斐甲斐しくフェイバリットの世話を焼いてくれる。まるで本当に二人の姉が出来たかのようだ。


 これまで養父以外に、こんな風に面倒をみてもらったことのないフェイバリットは嬉しい反面、気恥ずかしく――くすぐったい気分になる。


 いや、大きくなってからは養父にだって、さすがにこんなに甘やかされたことはない。


 せっかく親切にしてもらっているのに、好意を拒むようで忍びない――だが。


 自分は昨日、黒猫と約束をしたのだ。

 だから今日は少しでも頑張って、自分の気持ちをきちんと伝える努力をしなければ。


 昨夜のことを思い出すと、自然と背筋が伸びる。が、キリリと顔を引き締める傍らで、いそいそと口もとを拭われていてはちっとも恰好がつかない。


 これではまるで小さな子供のようだ。顔が赤らむのを隠して心持ちうつむき加減になる。


「――あの…」


 蚊の鳴くような小さな声を振り絞ると、二人の目が同時にこちらを向いた。


 きらきらとした四つの淡い緑の瞳に射抜かれて、あと少しというところまで出かかっていた言葉が再び喉の奥に引っ込もうとする。


 それでもなんとか声にしようと、音もなくパクパクとその口を開けたり閉めたりと繰り返せば、目を細めて二人が顔をほころばせた。


「ふふっ――次のお強請(ねだ)りですか?」

「ウコムジ、次は私の番よ。匙をよこしなさい」

「いえ――だから…ですね」


 匙をめぐって言い争いを始めた二人に、「自分で食べます」という言葉はどうやら耳に入らないようだ。


 優美な獣がじゃれ合うような様子に、つい目が奪われてしまう。はっと我に返ると、叱咤するように首を振る。


「あの――」


 さっきから馬鹿の一つ覚えのように「あの」しか言えてない。我ながら、情けない。いつの間にか二人の言い争いが、ちょっとした小競り合いに発展していた。


 匙を取られまいとするウコムジと、それを奪い取ろうとするサコムジ。その手から上手く掠め取ったかと思えば、すぐさまもう一方が奪い返す。


 目の前で、時にぶんぶんと振り回され、互いの手を行ったり来たりを繰り返す匙。


 そこに第三の手がにゅっと伸びて、無造作に匙をひょいっと取り上げた。


 揃ってポカンと姉妹が口を開く。

 こんな時でも一糸乱れぬ二人に、ある意味感心しながら、顔の前に差し出された匙をまじまじと見つめる。


 これは誰かと、そのまま手の主を仰ぎ見たフェイバリットの顔が引きつった。そこには鋭い目つきの美丈夫――チャンジの姿があったからだ。


「ほれ、早く受け取れ」


 目が合うなり、チャンジが短く声を投げかける。その口調は温度のない淡々としたものだ。


「その…すみません…あ、ありが…」

「いいからさっさと食いな――飯が冷めちまう」


 黄色い粥に目を落とす。

 傍らに三人――それも揃いも揃って美貌の(かんばせ)ばかり――に見守られて、止まっていた食事が再開する。


 一人はすぐそばに佇んで見下ろし、二人は目の前に座って慈愛の眼差しを注いでくれる。


 どうやら誰もここから離れるつもりはないらしい。――非常に食べづらい。


 こんなにじっくり見られては、喉に詰まらせてしまいそうだ。ちらりと視線を投げかけるも、誰も微動だにしない。


「い…いただきます…」


 覚悟を決めて、フェイバリットは匙を握り直す。きっともう味なんてしない。食べる前から嫌というほどわかっていた。

 



 胃が重く感じる。これは胃もたれというものだろうか。

 食休みだと一人にしてもらえて本当に良かった。こんなことを思うのは罰当たりもいいところだけれど。


「君、難儀やなあ――怪我人はふんぞり返って世話受けとったらええねん。多少の我が儘かて子供のうちは許される。いちいち気ぃつことったら自分、禿()()()で」


 寝台に横になって悶々としていると、いかにも呆れた声が頭上から降ってきた。


 顔の上で組んだ腕をそっとずらして腕と腕の隙間から垣間見れば、ゆらゆらとヒゲをそよがせて、至近距離から黒猫がこちらをのぞき込んでいる。


 気配も音もしなかった。つくづく不思議な猫だ。

 細長くなった瞳孔が、フェイバリットの目をまっすぐに捉える。寝たふりなど無駄だとその目が物語っている。


 約束通り来てくれた。嬉しくて、知らず知らずのうちに笑みがこぼれる。


 この猫は本当に口が悪いし、歯に衣着せることなく思ったことをそのままズバズバ言う。その言葉は時に胸にぐさぐさと突き刺さることもあるが、不思議と嫌ではなかった。


 それどころか今ではこの猫の遠慮のない、いや不躾と言ってもいい振る舞いが身も心も休まるだなんて。至れり尽くせりお世話をしてもらっていて、とんだ恩知らずだ。


「君な…。顔面凶器やねん。笑う前にちょおひと言欲しいねんけど…て聞いとるか?」

「? うん。わかった」

「…絶対わかってへんやろ。そんなんしてたら悪い奴につけ込まれるってゆうたやろが。ホンマ気ぃつけや」


 ふんっと鼻息荒く諭される。ああとそこでフェイバリットは気がついた。

 

 どんな乱暴な物言いをしても、この猫の腹の中には一片の悪意もない――だからだ。


 少し注意していれば、猫の言動にこちらを(おもんぱか)るものがあることに気づくのもそう時間はかからないだろう。


 そう言えば乱暴な口調になるのは、大体こちらを心配している時に多い気がする。


(根っからいい()だ…)


 まるで友達みたい。そう思うと、ほっこり胸が温かくなる。


 手前勝手な妄想だというのに、気を緩めると頬までだらしなく緩んでしまいそうになる。


 笑う前には声をかけろと言われたばかりだ。

 自分の笑い顔は、それほど見るに耐えないものなのかどうかはともかく、気をつけねばとフェイバリットは今一度、気を引き締め直した。


 出会って三度目という浅い間柄にも関わらず、この猫にすっかり心を許している。そんな自分に、フェイバリットはとうに気づいていた。


 それはそうと、いつものごとくぐるぐる思考に陥っているのがどうしてわかったのだろう。フェイバリットは心の中で首を捻る。


 誰にも――それこそ独り言ですら、自分は一言も口に出していない。だというのに猫には全部お見通しらしい。


 それほど自分は分かりやすく顔や態度に出ているのだろうか。フェイバリットは頬を押さえて、深々と溜め息を吐いた。


「溜め息で幸せが逃げるっていうのは迷信らしいで――自分、良かったなぁ」


 ふわあっと黒猫は大欠伸をする。そうすると、顔の半分が口になる。


 この里の飼い猫だろうか。コムジたちにこの猫のことを聞こうかと思ったが、なんとなく聞けずじまいでいる。


「怪我人だから世話されて当然なんて――そんな風に思えないよ…厚かましすぎる」

「ほな言いかえよか。お前は体を戻すのが仕事や。そやからしっかり世話されて、元気になることだけ考えとったらええ。くよくよするから、ややこしなんねん」


 ぐうっと体を大きく伸ばす。いっぱいいっぱい体を伸ばした後、ちょこんとお尻を据えると、赤い舌をベロリと伸ばしてせっせと身繕いを始める。手入れの行き届いた毛並みは艶々だ。


 フェイバリットはぶすっと口を閉じる。ああ言えばこう言う。この猫は本当によく口が回る。


 しかもいちいち言うことがもっともな事ばかりなので、その頭の良さにも舌を巻く。相手は獣だというのに、口で争ってもこの猫には到底、敵う気がしない。


 フェイバリットは、横目でそっとのんびりとくつろぐ姿を()めつける。


「しょうがないじゃない…それが出来たら、こんな風に悩まないでしょ…」


 聞こえないぐらい、小さくぼやいたつもりだった。だがさすがは猫の聴力だ。


「それもそ~や。そんなキャラ変したら逆にびっくりするわ」


 しっかり聞こえていたらしい。愉快そうに、ふはっと笑いを洩らす。


「きゃらへん?」

「性格が別人みたいに変わるってこっちゃ。君、根っからの“陰キャ”やし、明るうペラペラ喋るとこなんて想像もつかんもんな」


 言い切ると、ご機嫌なのかピンとヒゲが上向く。

 時々、黒猫はフェイバリットには分からない言葉を使う。獣のくせに随分と物知りだ。


 “陰キャ”という言葉は初めて聞く言葉だが、前後の内容からきっといい意味ではないとわかる。なんとなく、これは勘だけど。


 むっと黒猫を見れば。おやっと黒猫の目が丸くなり、次いでふふっと小さく笑う。


「なんやあ? 俺の言っとることわかるの? 自分、なかなか察しよくなってきたやん」


 「俺」という言葉でこの猫が雄だとわかる。


 ひっくり返して、肝心なところを確認してみたい気もするが、人語を解するせいかさすがにそこまでするのは気が引ける。 


 かと言って、いつもやり込められてばかりは癪に障るので、そのうちこの猫が冷静でいられないくらい驚かしてやりたいと思う。


「…なんか悪いこと考えてる?」


 表情に出したつもりはない。というより自分は元々あまり感情が表に出ない。変な話だがそれに関しては自負がある。


 この不愛想な顔面からよく微妙な変化を読み取れるものだと、フェイバリットは心の中でひそかに感心した。


「ま、ええか。さあて――」


 ひと通り体の身繕いが終わると、黒猫がやおら立ち上がる。


 ――行ってしまうのだ。


 フェイバリットは黙って黒猫を見た。


 口を開くと引き止めてしまいそうだ。「またね」と明るい声を出せる自信もない。


 畢竟(ひっきょう)、無言にならざるを得ない。

立ち去る黒猫の後ろ姿をじっと見守っていると、ちらりとその小さな頭が肩越しに振り返る。


「……君、男をそんな目で見送るのは、あ・あかんで! 行きたぁなくなるやん…ったく」


 その後でボソリと「ぶち可愛すぎやろ」と呟くも、残念ながらその声はフェイバリットの耳には届かなかった。


「? そんな目って、どんな目?」


 こてりと首を真横に傾げると、一拍置いて黒猫の背中の毛がぶわりと逆立った。小さな体が一回り大きく見える。


「小首を傾げる仕草もアカン!! ――お前、無自覚か?!」


 ぷりぷりと怒ったように言い捨てて再び歩きだす。わずかに開いた扉の隙間を前にして、ぴたりとその足が立ち止まる。


 そろりとこちらを振り返ると「また来るよって安心し」とボソリと言い残し――次の瞬間、あっという間にそのしなやかな体が扉の向こうに滑り出た。


 ご丁寧にも、長い尻尾が器用にパタンと扉を閉めていく。来る時もそうだが、去る時もあっさりとしたものだ。


「あ」


 そしていなくなった後に、またもや黒猫の名前を聞きそびれたことに気づくのだ。

読んでいただき、ありがとうございます。


次話は来週水曜、更新予定です。

すみませんが更新時間は午後になるかもしれません。

次回更新も頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。

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