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唯一無二〜他には何もいらない〜  作者: 中村日南
3章 歓びの里 [鳥の妻恋]編
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3-3 もの申す

「フェ…フェイバリット。その、朝から変な話ですまないが誤解を解いておきたい」




 顔を真っ赤にしたランドが、息も絶え絶えにそう切り出す。


 その隣で、世にも得がたい美の賢人は笑みをたたえてコクコクと頷いている。――まったくの他人事のような素振りだ。


 そんなエンジュにキッと目を眇めると「ややこしくなるので、あなたは先にお戻りください」と幾分声を荒らげる。


 あろうことか相手の華奢な肩を掴んで、扉の方へと押しやろうとする始末。礼儀作法に疎いフェイバリットでも、さすがにこれは不敬ではないかとヒヤリとした気分になる。


 ランドに押されて、数歩離れたところに移動するも、里長はランドの希望通り、すんなりとこの場から立ち去るつもりはないらしい。


 押されていたのは最初だけで、ある程度離れるといきなり足裏が床に張りついたように、ビタリと止まって動かなくなってしまった。


 一人前には少し早いが、若獅子のように強靱かつしなやかな体躯を持つランド。それに対してエンジュは明らかにほっそりとたおやかな体つきだ。


 だがそんなランドの力をもってして尚ビクともしないところを見ると、見かけによらずその体は鍛えられているのかもしれない。


「あなたがきちんと説明できるのか(はなは)だ心配なのでこちらで見守ります。口出しはしませんので、どうぞ私のことは気にせず続けてください」


 そう言って澄まし顔である。

 ランドは苦々しくその顔を見つめていたが、これ以上言っても無駄と悟ったのだろう。


 肩を落として踵を返すと、改めてフェイバリットのそばに戻ってくる。


 その様子をぼんやり眺めて、やはり二人の仲はとても近しいようにフェイバリットには思えてしまう。


「その…説明させて欲しい。先ほどのく・口づけの話だが――」


 『口づけ』という単語が出ると、向かい合う二人が同時にぽっと頬を染める。


「う、うん…どうぞ」

「その。口づけは事実だが、お前が思ってるようなものとは違うんだ」

「私が思ってるようなものって…?」


 当然と言えば当然の突っ込みに、ランドはぐっと言葉を詰まらせる。もどかしげに言葉を探して、口の中でくぐもった低い唸り声が上がる。


「…ただの『成り行き』でそうなったというだけだ。だから、男女が…好いて交わすものとは違う――ああクソッ…なんでこんなこと…っ」


 口にするのも恥ずかしいのだろう。苛々したように、ランドが片手で勢いよく髪を掻き乱す。


 だがそれは「なるほど」と相手が快く理解するには圧倒的に言葉が足りない。羞恥心にとらわれる余り、ランドの意識はそこまで思い至らないようだ。


 対するフェイバリットは、ランドの言葉を反芻しながら戸惑いを隠せずにいた。


 成り行きとは――なすがまま、流れに身をゆだねること、だ。流れに任せて口づけをするという状況に頭が追いつかない。


 ふとした瞬間、視線が合った二人が言葉もなく口づけを交わす。うっかりその絵を脳裡に思い浮かべてしまい、治まったはずの動悸がまたよみがえる。


「あ――それに口づけと言っても、その、唇と唇とではないんだ」

「え? じゃあ…?」


 ひょいっと顔を上げる。


「唇――どこに触れたの? 顔? 体?」


 好奇心にかられて、なんの気もなく出た言葉だった。しかし口に出してから、それが生々しい言葉だということに遅れてフェイバリットは気づく。


 唇が身体に触れる。


(! それって?? それって――?!)

 

 またもや脳裡に絵が浮かぶ。それはさらに過激な、幼馴染みと傍らに佇む美貌の主とが陸み合う姿だ。


 もちろんなんの経験もない娘の想像力には限界がある。その絵はぼやぼやとして形を成さなかったが、思春期の子供にとって十分刺激的なものだった。


 ついに臨界点を超えたフェイバリットの頭部から、ボフンと音がするほど顔全体が上気する。


(ランド…っ、ランドが大人の階段を登っちゃった…!)


「な…っ! 待てフェイバリット、なんか勘違いしてやしないか?? 俺が彼の方に不埒なことっ…するわけ…っ」


 恥ずかしげに伏せた目が、おずおずと相手を見上げる。


「…それじゃあ…ランドが、されたってこと…?」

「何でそうなる…いや――確かに受けた側だけど――そうじゃなく」


 その途端、ぶはっと吹き出す声がその場に割り込んだ。二人の視線が扉に近い位置に立つその人に向かう。


 エンジュは肩を震わせて、声もなく爆笑している。美人が顔をくしゃくしゃにして笑う姿に赤い瞳がきょとんと丸くなる。


 神がかった美しい容貌に、どこかこの賢人を遠い存在のように感じていた。だが視線の先にある姿はとても親しみを覚えるものだった。


 そして変な話、美人はどんな時でも美人なのだと改めて納得する自分がいる。


「……エンジュ様」


 恨めしげなランドの声に、顔を上げたエンジュが目尻に溜まった涙を拭う。


 いまだおさまり切らない笑いの発作を宥めつつ、エンジュは新たにこみ上げる笑いをなんとか飲み下す。


「ほら思った通り、言えば言うほどドロ沼にはまり込んでいるではありませんか。どれだけ不器用なのですか。あなたって人は――」


 笑い含みにそう言うと、音もなくエンジュが近づいてくる。フェイバリットの前に立つと、慈愛に満ちた目がフェイバリットに注がれる。


「口を挟むつもりはありませんでしたが、これ以上(こじ)れるのをただ見ているのは忍びないので…私から説明させていただきますね。口づけは手に触れただけ――特別な意味もありません。ただの挨拶ですよ」

「挨拶…」


 言いさして、ちらりとランドを一瞥する。目が合うと、ランドがその通りだと言わんばかりに大きく頷いた。


 大袈裟に首を振る姿に、エンジュがひっそりと忍び笑う。その隣で、悔しそうにランドがエンジュを()めつける。


 二人のやり取りが思いのほか気安くて、ついそこに絆のようなものを見てしまう。フェイバリットは不思議な気持ちで、目線を交わし合う二人を眺めた。


「ですからどうぞ、安心なさってくださいね」


 はっと我に返ると、エンジュが身を(かが)めるところだった。


 「ね」と小首をかしげると、絹のような髪がさらりと音を立てて流れ落ちる。目が合うと、艶めいた唇に婉然とした笑みを浮かべる。

 

 その笑顔があまりにも魅力的で――何よりその淡い緑の瞳がぐっと近くに見えて、フェイバリットはそこから目が離せなくなった。


 これ以上目を合わせているのは危険だ。

 本能で危機を察知して、視線を断ち切ると同時に、真っ赤になった顔を隠すように伏せる。


 ドッドッドッと早鐘を打つ胸が、ぎゅうっと鷲掴まれたように痛い。暴れ狂う心臓が、これ以上ないほど大きな音を立てている。この音が誰にも聞こえていないのが不思議でならない。


「あ・安心って…ランドとはそんな間柄ではなく…ただの――幼馴染みで…」


 そうただの幼馴染みだ。彼を束縛する権利など、自分にはない。


 故郷まで捨てさせてしまった自分に、これ以上彼に何を望むというのだろう。

 

 しんみりと俯いた時、ぐっとエンジュが身を乗り出した。


 先ほどの口づけが脳裡をよぎり、思わず身を固くすると、フェイバリットの左耳に形のいい唇がそっと吹き込んだ。


「では――私にも入り込む余地は、じゅうぶんにある、ということなのですね」


 吐息が耳を掠めた。まるで()()に熱いものでも触れたような錯覚を覚えて、弾けるようにフェイバリットは身を引いた。


 耳を押さえると、陸に打ち上げられた魚のようにハクハクと口を動かす。声にならないフェイバリットに向かって、エンジュがにっこりと笑う。


 それはまさに、花が割れ開くような極上の笑顔だった。

読んでいただき、ありがとうございます。


次話は4日後、更新予定です。

次回更新も頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。

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