3-1 目覚めの朝
大変お待たせしましたm(__)m
ヒロイン覚醒。新章に突入です。
こちらはランド視点のお話になります。
眠り始めてちょうど一週間目。時刻はそろそろ夜明けを迎えようとしていた。
窓の外にはまだまだ夜明けまで遠いと思わせる真っ暗な空。灯りのない寝室は暗闇に包まれている。
重々しい空気を吹き飛ばすように、青年がパンと両頬を叩いて活をいれる。それを合図とばかりに、にわかに空が明るくなり始めた。
東の空に夜明けの薄明かりが射し、空が茜色に染まると、やがて待っていたように『東雲』が訪れる。
『東雲』とは、明ける一歩手前の夜が朝に転じる時間のことだ。
窓から朝の最初の光が射し込むと、部屋中に淀む薄墨色を引き剥がし、残った暗がりがどんどん隅へと追いやられていく。
空が、白々と明けていくのを眺めていたランドは、そのまま寝台に目を落とす。そこには血の気の失せた娘の寝顔があった。
見下ろす茶色の眼差しが不安げに揺れて、その寝顔にじっと見入る。
――本当に戻ってくるのだろうか。
嫌な想像が脳裡をよぎると同時に、ぴくりと娘の目蓋が震えた。思わずランドが息を呑んだ、その時。
ゆっくりと開かれた目蓋から、うっすらと赤い宝珠のような瞳がのぞいた。眼差しは力なく二度三度と瞬きを繰り返し、それからぼんやりと天井を見上げる。
次いで、その視線を左右にめぐらせる。その目には、見知らぬ場所への不安というよりも、ただただ戸惑いの色があった。
「―――フェイバリット」
ランドがそっと声をかける。不思議そうに周囲を見回していたフェイバリットが、その声に反応してゆっくりとこちらを見る。
「ランド」
ずっと眠っていたからだろう。自分を呼ぶ声は、少し掠れて乾いたものだった。
その声を聞いた途端、ランドの中でずっと張り詰めていたものが、ふわりと霧散するのが分かった。
「―――良かった」
心からの言葉だった。フェイバリットは戸惑ったように、こちらを見上げている。
頭の中をゆっくり探るように何かを考え込む。それとも里で過ごした記憶と混ざって、混乱しているのかもしれない。
「ここは……じゃない」
ぽつりとつぶやかれた独り言。だがランドの耳は「ここはヘイルじゃない」という言葉をしっかり聞き取っていた。
半身を起こそうと身をよじる娘の様子に、ランドは近づきその背を支える。一週間眠り続けた体はすっかり衰えてしまったらしく、それすらもひと仕事のようだ。
その体を支えてやりながら、頭の中でランドは、さて何をどう説明したものかと考えた。
一週間、眠り続けていたこと。その間、魂は里へ戻っていたこと。ここが歓びの里だということ。
思い出すのも辛いだろうが、ここに来ることになった経緯や、山で会った男たちとのことにも触れねばなるまい。どこから話せばいいだろうと考えあぐねていると。
いつのまにかエンジュがすぐ隣に並び立っていた。ひょいっと、比類なき美しい面差しを娘の顔のすぐ前にのぞかせる。
「おはようございます。しっかり休めましたか?」
「ええと…はい。あの…?」
「ここは“歓びの里”。私は族長を務めている“エンジュ”と申します。あなたは七日間も眠りっぱなしだっだのですよ? お加減はいかがですか?」
そう言われて、白髪の娘は自身の体を見回し、ゆっくりと手や腕、そして首を動かしてみせる。ひと通り動かした後、再び視線がエンジュを見上げた。
「はい。大丈夫…そうです。どうもありがとうございます」
肉体と魂の齟齬感があるのか、その口調が若干たどたどしい。
「――私、七日間も眠っていたんですね」
「ええ。そうですよ。私どもの治癒師がしっかり診ましたが、どこか気になるところが一つでもあったら教えてくださいね。あなたの怪我は主に打撲・擦り傷・打ち身でした。それらはあなたの仲間の方が施した治癒が早かったので、今はもうすっかり跡形もなく治っているはずです。一番大きな怪我は腕の骨折でしたが――見せてもらえますか?」
そう告げると、てきぱきと腕や体の調子を診ながら、ここに来た当時のことをざっくりと説明していく。フェイバリットの左腕を手に取ると、そっと指で骨のつながり具合を確かめる。
「こちらに来た時、左腕――ちょうどこの辺りの骨が折れていました。綺麗に折れていたのでくっつくのも早かったのは幸いでしたね」
それを不思議そうにフェイバリットが見つめている。
「左…腕…?」
「はい。そうですよ? 折れたのは左腕です」
「左の――翼ではなく?」
口走った後で、はっと口を噤む。エンジュが俯いたフェイバリットの髪を優しく指で梳いた。
「…どうされましたか?」
「あ……」
「なんでもおっしゃって下さっていいのですよ」
慈愛に満ちた声に促され、おずおずと目を上げたフェイバリットが迷いながら口を開く。
「私、変ですよね? 急に翼なんて突拍子もないこと…」
エンジュは寝台のそばに跪くと、下から顔をのぞき込んで、やんわりと首を振る。その優しい笑みに励まされて、止まりかけた言葉が再開した。
「……。誰かが、左の翼を治してくれたんです。…でも夢、だったんですね」
「夢…そうですね。どんな夢を見たのですか? 他に覚えていることがあったら、教えてもらえませんか?」
穏やかな顔に、にっこりと美しい笑みを浮かべる。半歩後ろでその様子を見ながら、ランドは少々複雑な気持ちである。
なにせ――裏の顔を知りすぎている。
フェイバリットの顔がぱっと笑顔になる。夢の話をしようと口を開きかけて――止まった。困り顔になる。
「――すみません。起きた時は覚えていたように思ったのですが…忘れてしまった、みたいで…」
「夢とはそういうものですよ。ですがどんな夢だったのか、お顔を見れば分かります。――とても幸せな夢だったのでしょうね」
我が意を得たりとばかりに、エンジュの言葉にぱあっとフェイバリットの顔が輝いた。
「そうとても! とても幸せな夢でした!」
夢の余韻なのか、興奮したように話す娘の頬が紅潮している。つられてランドもエンジュも微笑んだ――と、次の瞬間。
赤い両の眼から、音もなくぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「―――え?」
自分でも思いがけないことだったのだろう。
指が目もとにそっと触れ、濡れた指先を不思議そうに見つめている。
「え・ええと。なんで?」
止まらない涙に当惑しながら、フェイバリットは独り言のように呟く。
恩人の前で泣くことへの後ろめたさか、目の前の娘は必死になって手の甲で涙を拭う。だが涙は後から後からあふれ出す。
「すみません――私――なんで」
そばで見守っていたランドは、どうすべきか迷ってしまった。情けない話だが、エンジュを押しのけて前に出ても、涙を止められる自信がなかった。
何より涙をこぼす娘の顔があまりにも痛々しくて、どう慰めたらいいか分からない。――もしかしたらどこか体が痛むのかと思うと、その身に触れることもためらわれた。
「どんな夢だったのか、まったく思い出せないけれど本当に幸せだった。そのことは覚えてる。なのに思い出そうとすると――涙が止まらなくなる。なんでだろう…こんなに幸せなのに…っ」
目の前の娘はひどく混乱して泣きじゃくる。
「エンジュ様…」
ランドがそっと後ろからエンジュに声をかけた。ちらりと視線を向けるエンジュに、どういうことかとランドが目で問いかける。
半身を捻って背後を振り返ると、ランドに身を乗り出してそっと耳打ちする。
「ご英断をなさったようですね…あなたの師は」
「どういうことです?」
「“忘却”の術。――おそらく賢人は向こうでの記憶を封じたのでしょう。魂がほいほいと抜け出してしまうのは、よくありませんからね」
「? それはそうですが…」
魂が抜け出すことと忘却の術がどうつながるのだろう?
そんな気持ちが顔に表れていたのだろう。エンジュがふっと鼻で小さく笑った。
「鈍い方ですね。魂になればいつでも向こうに行けるものと思われたら、どうなると思うのです?」
「あ……」
言われて初めて気づいた。たしかにそれは――まずい。
そんなランドに呆れたような溜め息を吐いた後、エンジュが再び泣きじゃくる娘を優しく宥めにかかる。
「そんなに泣くと体に障りますよ」
「すみ、すみません…っ」
おそらく記憶を失っても、頭の中以外のところでは覚えているのだろう。懸命にこらえようとするも、なかなか涙は止まらない。
「ランド」
背中をさするエンジュが、手招きをしながら小さな声で呼び寄せる。近づくと耳に唇を寄せてきたので、フェイバリットには聞かれたくないのかと、大人しく耳を差し出し声に集中する。
「涙を止める方法を授けます」
「! ――ああ、はい」
知っているのならありがたい。思わずすぐそばにある淡い緑の瞳に視線を合わせると。
「彼女の瞳に口づけてくださいますか? それで多分止まるだろうと――ランド?」
読んでいただき、ありがとうございます。
ナノヴァ編になかなか行けずm(__)m
思いがけず歓びの里編で
恋模様が展開することになりましたが、
お付き合い頂けると幸いです。
次話は3日後、更新予定です。
次回更新も頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。




