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いったいぜんたいあの頃と何が変わったっていうんやろう

 「わたしにとってせんせいって呼称はね、誰かしら距離を置いて使うときの便利な呼び名じゃないんだ。()()()()()にとっては、そのときから始まった()()()()の符丁だよ。あなたも含めて、みんな気づかずに()()()()()()()()をそう呼んでるがね」

 高級ウイスキーのせいだろうか、せんせいの()めたトラップだろうか。カラスが空から落としたクルミのように、せんせいの声と姿はふたつに割れている。


 別人ではないが、同じ顔の老人がふたり。10個並んでいた懐中時計は九つになっている。減ったひとつは自分の持ち物として、どちらかの老人の懐中に仕舞われている。

  ー ひとり二役で話すのは、もう疲れてしまったよ。あたしはきちんと師匠についた咄家(はなしか)でもなんでもないんだー などのぶつぶつの口上がユニゾンになって重なり、そして割れて、離れた。

  ー いったい、ぜんたい、あんたも、あたしも、あの頃と何が変わったっていうんだろうねぇ

  ー 酒を覚え、女を覚え、あとは他人につく噓が少しうまくなっただけだろう

  ー 他人につく噓が上手くなっていくやつは、だんだんにみすぼらしい顔になっていく。自分につく噓が上手くなっていくやつは、寂しくなるばっかりだ

 そろそろと今度は見逃さないようにと見ていたら9つ並んでた懐中時計のひとつが、パックリ、開いた。

 文字盤の上に、肩衣ばかり立てた裃姿の女義太夫師が、チョコンと乗っかるように小さくてなって、講談師さながら己れの生い立ちを並べ始める。

  ー 名人なんて言われた咄家は、皆んな不仕合せで短命だ。親の口車に載せられて、膝の上でチヤホヤされてるうちが花なのに、こども義太夫だ、むすめ講釈師だと板の上まで駆り出され、学校にもあがらず、酔狂なお客に連れられてぼんぼりの下がった(ろう)に上がって・・・・・・白酒を覚え煙管(きせる)タバコを覚え、「この()は・・・・・板の上よりこうして飾り立てた二階家が水にあってるようだね」と、そこの女将(おかみ)に血のつながった実の親二人が因果を含められたのが運の尽き。 


 もう子どもでも娘でもない。

 さっき話にあがった黒塗りの高級車の影に身体を隠してた藤十郎の母親の顔と同じ顏であった。

 ・・・・・・それでも水揚げのときには、ほかの()たちとは別格あつかいにお客を吟味してくれたから、そのあとの身の振りは、幾らかだけど、いい目みたけど。・・・・・所詮、売り物買い物のおもちゃの辿る先々だから・・・・若かったからね、己れの運命(さだめ)なんて線香臭い顏なんか出来ゃ(できゃ)しなくって、いろいろ周りへの不義理が積もり積もって、外地(がいち)に出たのが、二十一だった。

 懐中時計になったたましいは、好きな時分に身体や顏を(とど)められるらしい。藤十郎は皆んなが知ってるせんせいがいいと老人に変わり、母親はその子を産んだことさえ忘れたいのか、男さえ知らない娘義太夫を先ほどから選んでいる。

 これほどの立派な年寄りになるまでに、藤十郎は何度母親の艶ばなしを聞かされたのだろう。せんせいは何度この親子に付き合ってきたのだろう。ふたりとも親孝行の似合う優しい子なのだ。きっと今日と同じに膝を崩さず、初めて目にする話のように聞いたはずだ。


 ・・・・・・もともと()()は、ロシアの赤毛のお人がはじめた街だから、道は大きく屋敷は大きく、油絵の具で描いたような(ところ)なのだからと、お化粧は、赤白黒に目のうえ青を交えたあちらの風に模様替え、身支度は、襟足みせてた首元を、抜け女郎さながらの胸元ざっくりのドレス仕立てに模様替え、すっかりあちらさん仕込みに拵えたが、それがまた、自分でも惚れ惚れするくらいの大当たり。 

 夜来香(いーらいしゃ)なんて呼び名つけられ、そんな口ばかりそびやかした、怪しげな謀略の雲に乗った男たちの、ラシャ仕立ての外套にくるまれ、今宵はこちら、明晩はそちらと、運ばれて。それはそれは、天井が回ってくばかりの日やった・・・・・・


 女義太夫は、どんなに興に乗って話を膨らませていっても、噺家が座布団から身を外さないように、文字盤の上の窮屈な身体を大きくはしない。

 元の大きさに戻ぉったら、せっかく若衆に結わえてもろうた(びん)の目尻に、(とし)ばかり食った(あら)ばかりが(にじ)んでしまふぅ・・・・・春よぶウグイスの(ふち)立った声ばかりを聞いておくれと、急に、ひとり繰り言ばかりを繰り返していた顏をこちらに向けて、耳元に爽やかだが生暖(なまあたた)かな声を送ってくる。



 先の戦に負けてからの70年は、この人の中にはどこにもない。当時の男たちが皆んな死に絶えて、産んだ子どもらが皆んな年寄りの顔に変わり果てたとしても、それに合わせて己れを皺立(しわだ)たせることなど(つゆ)ほども入ってはこないだろう。

 ・・・・・・・いったいぜんたい、あの頃と何が変わったっていうんやろう。なにも変わりゃせん。日の高いうちは、うちが一度だけ産んだ()()が、今でもええ子になってうちの話を行儀よう正座して聞いてくれよる。その子が選んだお友達かて、一緒に、おやつやお酒のつまみ食いなんぞせんでも、ようけ飽きんと横に座って聞いてくれよる。

 日がふけたら、今度は、むかしからの男はんたちが、糊のきいたシャツにブロードの襟たてて、うちを迎えに来てはる。お子さん達は皆んなおジイさんになったのに、うちも仰山の男はんもみんな若いまんまや。

 男はんは、うち好みの細面(ほそおもて)の顔に綿棒みたいな細い口髭たくわえて、おなごよりも白くて柔らかな頬よせて、口よせて、呼んでくれる。

   ー 夜来香(いーらいしゃん)


 そんときは、いつでも、うちぃ・・・・・申し訳ないけど、水揚して(くれ)たお大尽の顏を綿棒みたいな細い口髭のお人にとっかえて、通過される前の硬い身体に戻って、待ってるんよ。









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