藤十郎は素数が魂と一緒だと言った
「ねっ、素数って不思議だろう。大きくても小さくても硬くて割れない真っ黒色の木の実みたいだろう。とても他の数字と同じ仲間じゃないって思うだろう。0から9までの羅列なんかじゃなく、ひとりぽつねんと超然としてるんだ。その身体を覆っている、一万、十万、百万と数字の印刷された白細いテープに巻き取っていったら、ミイラ男をミイラに巻いた白い切れに耳なし芳一のお経みたいに寸暇を狭めて書き尽くした0から9の模様を剝いだら、きっとこの大平原の彼方を見ているカッコイイ族長の面構えなんだよ。ぼくねぇー、きっと素数の中には魂が入っていると思うんだ」
藤十郎のレッスンが始まってから10日目、ずっと溜め込んいた大切な宝箱を開けるように、わたしにその中の宝物を見せてくれた。その言葉には賢い子供が宝物を磨くように、お父さんの書斎から漁ったカッコイイものを何度も飾り立てるように推敲したあとが見えた。
十一歳の、言葉を飾るなどしらなかった私が、そんな飾り立てた言葉で藤十郎の宝物を見たわけではない。藤十郎とて、そんな伝え方は普段の賢さから出た行動ではない。自分がこの世から消えたとき、どうしたら自分の大切な宝物を、その価値を残したままわたしに譲ることが出来るのか。最期を意識した賢い子供の生命力が辿り着いた無防備の無邪気が成したものだった。
だから、わたしは、ただただひたすら藤十郎の一言一句を身体に刻みつけた。
耳のあった芳一が己の裸にお経を一文字一文字書き記す和尚の筆の先だけを一心に信じているのと同じように。
賢さや学びと繋がりを持たなかった私に藤十郎は己れのすべてを伝授しようとした。
賢さが先に出ている児だとて10才の児が当たり前にそんな立ち居振る舞いに辿り着くことはない。
藤十郎の魂が、これからも生きていく私を見込んで、そのような切羽詰まった行動をとらせたのだ。
あの大戦のほかの悲惨な収容所でも似たような話はあったと聞く。
子どもは敏感だ。
生れ落ちてからの時間が短いだけ、生き物としての真っ直ぐな心根に素直に従おうとする。死が満ちてくる空間では、こどもたちは己の魂がこの世から離れていこうとしていく流れを正しく受け止めていく。
彼らは皆んな自分を忘れないでいてもらいたい作法をとる。
絵を描くのが得意な子は、自分の顔ではなく、こんなにもたくさんいっぱい自分のこと見ていててくれたんだありがとうと、この絵を見るたびに思い出してもらえるように、愛らしいその子の顔を、ほそい丸を重ねたような太い線で、丁寧にいっぽんいっぽん描いていく。
そして、絵が得意でなく、渡せる宝物のない子どもは、いつまでも心に刺さり続けてくれるお喋りがを繰り返す。こんな風に。
「夕暮れ時にさみしくなったら、ねこを見つけに行くんだ。ほかの子に言っちゃいけないよ。ひとりきりで行かなくちゃ。そうでないと、ねこは仲間だと思ってくれないから。少し人間の言葉が喋れるようになっても、小さなこどもがたったひとりでやってきたら、あいつら、まだ自分たちの仲間だったことを思い出して輪の中に入れてくれる。・・・・・群れてるねこなんて見たことがないだって。とんでもない、あいつらくらい恥ずかしがり屋だったりさみしん坊だったりする生き物はいやしないよ。サークルは敵には分からないよう移動していくから。小さな子どもでも大勢だとすぐにお腹の底にしまってる意地悪がわさわさとぐろを巻いて狼煙になって見つかるから、どうしたってひとりで行かなくちゃ、すぐにプイっとワープしてしまう。・・・・・ほらっ、猫たち皆んな西を見ているよ。子どもであるのを止めてしまった子どもには沈む夕日しか見えないだろうけど、沈む太陽のちょうど真上の隅っこを一心に見つめてるよ。・・・・・いまは少し甘い味してた記憶した蘇ってこないけど、小さなころ、本当にちいさな頃に見ていたお姿が見えてくるから。一緒になって、ずーと見てるといい。そしたら、もうさみしいなんて心根、消えて、なくなってるから」
命が暗闇に没するとき、温かさを失った冷たい光は太古からの深呼吸に戻るように消えていく。それは、死ぬのことを忘れていたベニクラゲであろうと同じだ。
それは、この夏に流れてくるペルセウス座流星群に紛れたように・・・・・2.0のぼくの目でも、細めて首を振って、やっと切れ切れに瞬いている白々の中に、億兆を超えて横に伸ばした数の星たちが、煌めいている。それとは同じに見えていても何処の誰とも関係せずに超然と瞬いている。ぼくは、きっとそこにいるよ。寂しくても寒くても、もう寄せ合ったりしない。星になってまで人間でいたときと同じ真似はしない。離れていようがいまいが、お父さんもお母さんも、そしてお兄ちゃんだって、超然とした星なら、ほかのやつらに邪魔されずにきっとその存在を感じることができるから・・・・・・
宇宙の時間と空間には、星と魂と素数が同じ数だけ重なり存在している。同じではないが別のものでもない。見た目や形は僕らが思い描いているものとは違うだろうけど、散らばっている均衡の美しさは触れればきっと同じ幸福感を満たしてくれるに違いない。
せんせいの声は、大人になれない子どものまま宇宙のそれぞれの星にばらまかれていった無数の声が、一斉に朗読するように響いた。