満州がえり
「満州がえりはねぇ、お互いに顔を見合わせると、すぐにわかるんだ」
唐突にせんせいは、話の舵を切り替えた。とっておきのウイスキーはわたしにばかり勧め、せんせいはしらふのままだ。そのくせ、わたしの飲んだ分は、わたしにではなく、しっかりせんせいの中に入っている。それはお互いにわかっているから、あえて口にしなくてもいいことだった。
満洲がえり。
もう、おいそれ、聞かなくなった言葉だ。内地、外地も久しい。わたしがこんな齢なのだから、わたしらの先達はもういない。その言葉を自分のものとして使っていた人たちはみんな死んでしまった。・・・・・あの日、埠頭は人間ばかり運ばれ、その先の道という道まで数珠つなぎでごったがえしていた。そんな光景から、ゆうに70年が過ぎてしまったのだ。額縁に入れた歴史の一枚になって、そこにいた人間たちは動かない。世間で語られる情景ではもうなくなっている。
それでも、わたしは見つけることができる。
日比谷線の車内
店の名だけ食堂のついた午からやっている飲み屋
互いの土地を出し合い繋げ、その先のドンずまりさえ判別できない路地で、向こうの相手の肩が触れ合った瞬間・・・・
その横にある顔が、満洲がえりかどうか。漢人、モンゴル人、ロシア人、朝鮮人、日本人、それにユダヤ人。出自がどこだろうと、沈みゆく大船に一緒に乗り込み、暗く冷たい海の水をいやというほど飲んだ人間の顔は、時間と空間を超えて繋がっている。
国はなくなった。土台とその上にのった機構と人間を置き去りにして、祀っていた神社のお札を剝がすように、いとも簡単な儀式を経て、満洲国はなくなった。
1945年の8月に止めた時計を私たちは懐中に忍ばせている。そして、その後、地球上のあるゆる所に散った生きとし生ける魂は、辿り着けずに別の対岸に旅立ったものから預かった数だけ分を、懐中に保管している。
だから、「そうだ」と顔を見合わせたわたしたちは、聞き耳を立てる。互いの隠しに忍ばせている時計の数を、その音がいまでもなり続けていることを。
カチカチは重ならない。数の分だけ大きくなる。増幅していく時計はわたしたちだけのものだ。
わたしには10個の時計がある。父と母、上の兄と姉みんなの分と、藤十郎の分だ。藤十郎はひとりっ子だったから、あの日、算数が得意だった自分と役所から黒塗りの車がお出迎えのお父さん、そして誰よりも綺麗だったお母さんのをいれて三つの時計を私に託したのだ。
せんせいがざっと並べた10個の時計は、家族の違う7個と3個のくくりはすぐに分かった。時計になっても、墓穴の暗がりが家ごとにまとまっているように、7個と3個は別の山を成している。
その中で、藤十郎は、どれが藤十郎かすぐに分かる自分の顔を一番前に出している。
「こんな先のそのまた先の見ず知らずの他人様の前にまで顔を出すなんて」と、後ろに小さくて隠れようとする素振りは微塵も感じられない。10個の中で一番に堂々としている。
「身内ではないが、ぼくらは他人ではないんだから」
せんせいが言いたかったことを、藤十郎が先に告げた。これを聞かせたくて、せんせいは取って置きを
わたしに披露したのだ。