おまじないの効かない利発な子
その子の名前は藤十郎といった。お役所の黒塗りの車が送り迎えをするような山乃江さんの家の一人っ子だった。
ー 前の奥様との間に3人女の子がいたんだけど、どうしてかねぇ、皆さんお亡くなりになってねぇ。そのあとお貰いなすった奥様との間に出来たのがあの藤十郎さんだけで・・・・まぁ、あの奥様なら、男の子を一人もうけたのだから、もうお子様はお産みにはならないだろうね。
幾つもの近所のおばさんの声で、そんな噂話が子どもの中にも浸透していた。
だから、ここに入るまで口を利いたことはなかった。学年はひとつ下だったし、なにしろそうした別の存在だったから、街区は同じでも家同士の接点はあろうはずがなかった。
わたしの家は入植組だった。正確を期せば、すぐ上の姉を負ぶってる時分に3人の子を連れた両親が満洲への入植を促す地元割り当ての有志に交じって大陸に渡り、鼻の効く父がお上の入植が失敗であることにいち早く気付いて早々にそれに見切りをつけたまでは良かったが、それでもすぐには内地に戻れず今度はその半年後に生まれた私を負ぶいながら哈爾濱まで流れて、両親ともども雑益にありつきながら日ごと日ごとをぐずぐず暮らす入植くずれだった。
だからわたしの記憶は哈爾濱からだ。が、わたしの身体には母の腹に入っていた時分の内地の空気がうっすら混じっている。それがわたしの自慢だった。いつも初対面の子どもに話しかけるきっかけにしていた。
内地は幼い子どもにも吸い寄せられる憧れの響きがある。それは、大多数のやむにやまれずにやってきたものばかりでなく、勇んでやってきたものたちにも聞こえるたびに振り返らずにいられない憧れの響きを持っている。
幼くても、いや幼いからこそ、そうした大人たちの言葉の匂いを肌に感じるのだ。
たいていの子は、へぇーとか、ほぉーとかの感嘆の声を細く伸ばしながら、わたしの頭から足の先を眺める。下の子は素直にあこがれを、上の子は半分やっかみの混じった羨望を交えて初対面の儀式は終了する。年かさを増すに従って、「だからなんだよ」の反発は出てきても、その儀式を済ませて損をすることはなかった。
芳しい匂いは、誰もが欲しがるものだから。勉強が苦手であたまの悪い子のレッテルを貼られていたわたしでも、その存在の使い方は心得ていた。逃げ場を失った飢餓の中で最後に求められるものは食べ物なんかじゃない、タバコである。己れが消えそうになるとき、いっしょに煙となって消えてしまうものの方に価値は宿るのだ。
ところが、藤十郎にはそれが通じなかった。それを言ったら、「そういうの、屁理屈っていうんだよ。おとうさんがいつもそう言ってた。どいつもこいつも二つ返事の前に屁理屈ばかりこねまわすって」
それが仕事を終えて家に帰って来た時の藤十郎のお父さんの開口一番の口ぐせだったと言う。それを聞かなくなって半年が経つ、と続けた。
わたしも両親の口喧嘩を聞かなくなって半年だ。
藤十郎が親のことを口にしたことで、わたしの腹の下に鎮めてたものが膨らんだ。
藤十郎も、わたしの顔をみてそれに気づいたらしい。ポンと肩を押されて素直に自分の腹の下に鎮めていたものを膨らませる。
一つ部屋の相棒が同じだと分かって、わたしたちは一歩近づいた。
平原の長い道をただ真っ直ぐに歩き、貨車に乗せられ、押し出された先がここだった。
ダンゴにしか見えない100人余りの子どもばかりが、廃墟になったこの細長い二階屋に押し込められた。
半年前まで妓楼だった建物は、いまは施設の呼称で呼ばれている。そうした匂いを放つ意匠や調度の類は何もかも剝がされ持ち去られ、働かすものの寝泊まりだけを賄う小さなタコ部屋が並ぶだけになってしまった。この施設の三畳ばかりが並ぶタコ部屋で、それを言ったら、鼻先にそう返されたのだ。
「完治にだまされたんだ」が母の口ぐせだった。
月末の掛取り、米びつの底、裏庭につくった僅かばかりの芋の不作などの決まったくどき文句を並べたあとに、それが必ず最後を締める。いったいこの世界に、手つかずの肥沃な大地など何処にあるというのだろう。分配にありつけないのは、日本だけじゃないのだ。肥沃であれば、先にさっさと耕してそこに根を張る人たちがいる。
その人たちをどかして横取りするなんて、言葉の通じない相手を見ないようにしているものたちの勝手な妄想だ。
それでも、身の回りのどこを見渡しても先を見つけられないものたちは、国家総動員の詐欺まがいのはなしが臭っていても、切れそうな藁の紐にすがりつき、広さの憧れだけを頼りに海を渡っていった。
ー いまに始まったことじゃない。国体に住まう者たちの国とは、国民でも土地でもない。
やつらは、自分の内ポケットにしまい込めるような、かたちのないものにしか興味がないんだ。
藤十郎なら、わたしと一緒に藤十郎が齢を進めていったなら、賢い彼なら、大学生に成りたての、覚えたての酒を飲んだらならきっと、そんな青臭い決め台詞でも吐いて、ひとりぼっちの私たちを慰め、諭しただろうさ。
酒を飲んでもいいと、いくらでも飲んでもいいとなってから、わたしは底の抜けたザルのように酒を飲んで酔っぱらっていると、ある瞬間に一滴も飲んでなかったような覚めた墓所に出くわす。
酒などしらない、酒など存在しない穢れなき世界だ。
かならずそれが年に一度だけ現れてくる。いつ現れてくるかは分からない。それが、決してひとり静かにいつでもひっくり返られる出で立ちの場所とは限らない。何処の何方かもすぐに忘れてしまう輩たちとの送別の宴の席の上座で杯を受けているときだって、それは起こってくる。
だから、わたしは酒を飲む。飲めば、此処とは違う別の場所に行っていても悟られないほどに酔っ払う。
いつ、藤十郎がやってきても相手ができるように。青空にシャボン玉が浮かんで見える水色のグラスを二つ用意して、並んで、同じ齢を重ねたウイスキーを並々注ぎ、ぐビリとやるんだ。
ー ウイスキーでさえ、最後の最後の齢をとれば琥珀じゃない、だんだと元の水に戻っていく。
習熟によって様々にかたちや色を変えたものたちは生き物の求めるものの究極がそうであるように加工されるむかしの記憶を辿るように元の水へと戻っていく。このしなやかな歯車を回す公式が存在していたら、それを眺めながらのウイスキーの酔い心地であったとしたら。
片手で余る程度の人生の中に訪れる幸福の一片が加わることだろう。
「返してあげる台詞は、いつだって用意してあるのに」
せんせいは河岸を変えたいのだろう。甘いものを下げさせ、ラベルのない掘り込まれた凹凸にイニシャルだけの黒いボトルと大きな気泡の入った琉球グラス二つを運ばせた。
せんせいは惜しげもなくグラス半分に色のなくなったウイスキーを満たす。そして黙っている。わたしは黙ったまま口をつける。口に入れた途端、生のウイスキーは、普段飲みつけているものと違って、一片も喉を引掛けずに滑り降りていく。
酒精は喉を通ったのちに花を開いた。
わたしの中で酒精が花を開いたのを見届け、せんせいは自分のグラスには口をつけずに話を続ける。