引き上げ
七十年前の引き上げ船に乗り込む前の瘦せっぽっちで眼ばかりがギラギラしていた十歳のわたしが、満洲の陸地で最後にみた水たまりに映っていたあの顔に、そっくりなのだよ。
あの日、抜けるような青空がつむじ風と一緒に反転して零れるような雨が降った。ここからは見えない船までの一直線の順番に並ばされていたわたしは、されるがままにずぶ濡れになった。何百と並んでいた大人たちも同じように濡れるに任せ、浴びせられていたときも上がって日照りのような蒸し暑さが籠りはじめても表情ひとつ変えずに立っていた。
肥沃な楽土のシンボルであった黒土もこんなに零れるほどの雨は吸収できずに、道路の窪みの隅々に大小の水たまりが現れた。
さっきから2時間まったく動きの止まった行列のわたしの横の窪みにも、水たまりが出来た。小さいが真四角の鏡のようだった。土壁がむき出しの収容所にたったひとつあった鏡と同じ大きさだった。
縦53センチ 横31センチ
わたしは鏡に映っている顔を見つめた。その顔はわたしではないような気がした。少なくとも昨日までのわたしではないような。
日本に帰れる。本土に戻れると言った大人たちの受け売りの言葉を、子どもじみたうわっ滑りの高い声で爆竹のように発していた昨日までのわたしではない、と思えたのだ。
わたしの背中には大きなものが乗っていた。背負わされたのではなく、私みずからが受け取ったものだった。あの鏡よりも磨かれたいっぺんの曇りのない顔が映っているのだから、そぉーと覗けば背中に乗っているのが映るかもしれないとそのとき本当に信じて前かがみになった。
「なに、ぼぉーとしてんだ。列をみだすな、さっさと進め」
後ろの男にむき出しのすねを蹴られ、前かがみにの姿勢のまま10メートル離れた列の後ろまで駆け出す。もうあの水たまりは見えない、戻れない。
昨日に続き2度目の別れをしたようで、わたしは涙がとめどもなく溢れた。きのう泣かなかった分も合わせて2倍、泣いた。