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あなたは算数がお嫌いでしたね

 「あなたは算数がお嫌いでしたね」

 開口一番、わたしの顔を見るなり、せんせいはそう告げたのだ。

 そして、青森から取り寄せたあん玉と高級スコッチを並べて、藤十郎と藤十郎を取り巻くたくさんのものと時間を並べて、わたしに伝授する。

 いまさら、ずーとそれに気づかなかったふりをするのは、よそう。

 わたしの生業(なりわい)が、ひとから話を聞きだすことで、カーテンウォールのビルディングが象徴している組織の流れから零れたり降りてきた()()()()によって、いま、こうして、せんせいたちに対峙しているのだと、なにか、いつでも、すり替えられる、乗り換えられる、そうした偶然性の中に漂う塵芥(ちりあくた)(たぐい)なのだと・・・・

 そんなありきたりなものに混ぜ込み、隠そうとするのは、もう、よそう。


 先に食べたせんせいの粉砂糖(こなざとう)いっぱいの唇に「美味しいから」と勧められその唇を見ながら青森のあん玉を頬張ったときから、勧められるままにたらふく蟒蛇(うわばみ)のように飲み続けても、酔わず溜まらず、すべてせんせいの腹の中に持っていかれてると気づいたときから・・・・・

 わたしは、78年前に藤十郎から素数(たましい)を伝授された国民学校初等科のせんせいが立っていた同じ処に、置かれている。


 すっと、巨大な掌が伸び、さっと挟んだ柔らかくしっかりの指先につままれ、置かれたのだ。

「そうそう、その顔は、ずーと算数の嫌いだったおひとの顔だ」とニコニコしながら、現身(うつしみ)のすべてを手渡できる悦びに満ちたもう半分は薄く消えかかってる利発な子どもの顔に、わたしは対峙しているのだ。 

 

 あの国を・・・・・

 始める前の下準備を入れても20年にも満たなかった満洲国を、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の四字熟語と有意な男たちの頭目との噂で拵えた怪物(もんすたー)を厚く塗りたくった小男四人が、四角く囲んだ宴席の雪見障子から一斉に見ている見えない故国を望郷するワンシーンで収斂したり、そんな勿体ぶりさえ外して、社史編纂室で年表とそれに纏わる登場人物を配置した記録映画の四角い切り取り線の中だけで語るのは、「このあと、23時からちゃんとした映画も見なきゃいけないから」と、いつでも途中退席し入ってた棚に戻せるギャラリーの言い草だ。


「わるい大人のわるいクセだよね、それ」

 いつでも、あとから整理できるように勝手に始まりと終わりをつけるのって 

 そんなの、物語した(ふち)のあるものの中だけで語ることのできるものだけだもの

 世間や日常ってやつは、「消滅したって」って言ったって、「無くなったって」って聞こえたって、そんな風に云い逃れしようたって、ほんとうのお終い(おしまい)のタグを付けられるは、ほんの一握りに過ぎないんだ。

 20年で消えたのなら・・・・今生(こんじょう)の魂の存在より短いのなら・・・・そんなもの、拵えものでもない、一口で食い切ってしまう砂糖いっぱいのあん玉のこの一粒でさえない・・・・・チャラになったんじゃなく、はじめっから無かったのと(おんな)じだ」


「おのおのの魂の中にまで入り込み、拵えたものは、けっして消えはしない・・・・・・から」


 地球が誕生して46億年

 地上に生き物が乗り上げてきて4億年 

 それから、この地上ごと焼き殺すような炎は5度(ごたび)起きた。その紅蓮の炎の中で復活したのは、種や樹幹のほかは、「かみさま」へと収斂される「たましい」の繋がりだけだった。


「まっしろのキングサイズのベッドに繋がれていると、身動き出来ない存在になっていると、ひとでなく、脊椎のある生き物や鞭毛一本でクルクルしてる単細胞でさえ遠い存在に感じてしまう。肌に感じる近しさは落ちた種より先は一歩も移動しない植物の方ばかり。炎が止んで風の音しか聞こえない大地の中でカサカサを言い始めた植物の声が種や属の垣根を超えて相聞歌(そうもんか)を歌い始めた」 




 生身(なまみ)藤十郎(とうじゅうろう)は、声よりも、粘った気管支を往復してくるもののせいでゴホっゴホっの(あぶく)ばかり発してる。その声にならない声を一番に自覚してるから、この一節(ひとふし)を伝えたら、あとはもう、声にならない声しか頼るものがないから、粘りに血の味が混ざって、ゴホっゴホっの(あぶく)から赤い声が噴き出た終わりを見届けるまでは、息を休むことはやめようと決めていた。

 それなのに、ホトトギスの血袋を震わせるような声の下には、どうしても、あのかあさんが混じってくる。

 夜来香(いーらいしゃん) いーらいしゃん(181) いーらいしゃん(181) 夜来香(いーらいしゃん)

 ・・・・でも、それって、混ざりものじゃない。混ざっていても、けっして分かれ入れないひとつ。



 

 生き残った種と樹幹のその中には、きっと、たましいの数が入っている。

 清冽なひとの小指の爪でなぞれば、ミクロン幅のカッターで切り出した蜘蛛の糸のような精密な螺旋が手繰られ、出てくる。 


「まだだけど、もうすぐだと思うけど、ぼくには、それが、見えてくる予感がする・・・・・きっと、そのひとつひとつにクリスマスツリーに付けるオーナメントのように、数がぶら下がるんだ。だから、きっと、ぼくのは途方もないほど長いものだと思う。

 ぼくの7ミリしかない小指の先にそっとつままれた210億を超えたたくさんの唯一無二の存在がそこに繋がり、ぼくという存在をそこにとどめて置いてくれる。

 小さくて、薄くて、軽いから、いつも耳の穴の奥に隠しておけるから」


 直径7ミリの小指をしげしげと眺める。細くて可憐で、瘦せこけ硬くなったミイラのような不健康さは感じられない。

 そっと触ってみる。

 わたしよりも2度低い体温の冷たさが最初にくる。嫌じゃない冷たさが心地いい。死が近づいているのに、そうした臭いはしない。

 死がどんな臭いをするか分からぬが、来たらきっとそれだと分かる臭いだ。


 せんせいは、八十九の年寄りと11を迎えず今生を断つことになる国民学校初等科の顔を交互に出すのをやめていた。ひとつに混ぜ込んでいる。あんな別々をどう混ぜ込むとひとつに落ち着くのか不可思議だが、似ても似つかぬ男と女がくっついて拵えた子どもがどちらも取り込んで唯一無二の顔を描くのだから、何の不思議があろうことか。そう、腹に納める。


「あたまをそらさないように。

 あたまが白濁すると、汚れてなんかいないのにすぐに雑巾がけ始めようとよそ見すンのは、お前さんの持って生まれた悪い癖だ」

 女義太夫か糸繰りおばさんか、口の尻(くちのしり)の方に女癖が混ざる。だんだんと駆け足になってきた。いまと78年前を丸くて小さな一顆(いっか)(とど)めようとすると、時間も年月も(よわい)もうっちゃらかした年増言葉(さんじゅういち)が似つかわしい。


 すってはいて・・・・吸って吐いて・・・・そうそう、真似なくても出来るように、息だけは合わせておいて。あとはこっちの方でやっておくから。


 あわす 合わす 併わす・・・・ 小指が見えてきた。

 多色刷りする木版画の縁に紙を重ねるときの立った小指。赤を塗った硬い樫の木に充てる毛羽立った紙の質感の産毛のようなチクチクも見えてくる。

 わたしは紙の方だから、そのうち赤が回って染まっていくんだろう。

 あわせて、すわせて、かわかして、先についた青、黄と並んで、仕上がりの黒縁(くろぶち)までの順々を受け入れていく。


 吸って染み込んだ色の中で、わたしは勘定する。

 67(あか)

 7352537()

 1091(あお)

 そして、一番に大きな289589933-1は、黒の縁どりを担ってる。

 

 あわせ鏡のような左右反対の黒の木版(もくはん)は、細いの太いのの線が縁どられ、その中に色を内包して、様々を写し取っていく。


 お日様を浴びてても夜の膨らみに誘う夜来香の(あかいろ)の香り

 塹壕から休むことなく発射される重機関銃の焼けた砲身から立ち上がるの(きいろ)の硝煙 

 有意の男たちの瞳には、蒼をあげよう

 しらじら昇る夜明け前の暗闇に慣れた瞳にはきっと、蒼が似合うから

 娘だったころのかあさんが深々とお辞儀をするあたまに載せた手拭いの染付は、きっと蒼

 小さな窓よっつだけの暑さと蒸気で噎せかえる糸繰おばさんたちのそこだけ爛々の瞳は、きっと紅

 ひとつ部屋でひとり客を相手に()()をあげるようになってからのかあさんが、「あげるばかりじゃなくもらっておきな、取っておきな」と返してくれた男の瞳は、延々だから、きっと黒だろう。

 内地では、たましいの数を伝授したボンボンの振りした書生

 外地では、唯一糸繰おばさんの見つからなかった有意の男

 よはくでない形のある白色は、そのふたりの白眼だけにあげよう、よ。


 硬直が始まってる。それでも、最期まで、腕だけは、指先だけは、動かせる余力を残し、藤十郎は描き続ける。彫り続ける。刷り続ける。

現身(うつしみ)とサヨナラする前の78年前の藤十郎って、チョンチョンと順々に川瀬の先に純潔を運ぶカトンボみたいやったんやねぇ」

 この後に生まれるのも含めたたくさんのせんせいらが見守る中で、そんなありきたりの、けれでもいまの藤十郎が一番に聞きたがってる、先に死に往く子を送る母親を、かあさんが零す。 


 死に()く仔は、この世にちゃんと己れの現身があった(あかし)を残そうと、()()()に、まだ自分しか()ぐことのない死臭が()()()に届く前に、現身(うつしみ)から、いっぺんいっぺん肉を()ぎ落とすように、己れの在りかを渡していく。

「せんせい、もらってください」

「どうか、せんせい、もらってあげてください」 

 

 舎利(しゃり)としか呼べない藤十郎のどこまでも細く白い骨のような腕から掌から指から、藤十郎の在りかが届けられる。

 先にもらったセンセイたちはさっさと懐中時計から抜け出て、さっきまで入ってた己れの懐中時計を(そと)ポケットや内の懐(うちのふところ)から取り出し、見せてくれる。今生(こんじょう)ではけっして目に触れ得ない秘仏の昇華は、舎利(しゃり)(まと)ってた肉のような生々しさが立ってくるが、その先の、目にする赤黒さは、全てを赤黒く見せてるその中の一粒一粒が、爆発寸前の赤色巨星を思い起こさせ、辿たどり着けない宇宙の先の遠い出来事のような隔たりを感じさせた。

 

「残ってく骨と違って、肉は、血は、先にこうして小さな熱い粒になって、天へと昇っていくものなのだな」

 深淵な日常を目の当たりにしながら、藤十郎を形どっていたものたちの粒をひとつひとつ見つめると、しっかりその一粒一粒にたましいの数が内包されていた。

 いや、内包ではなく、そのものなのだ。併わせたり壊したりしえないもの。

 5

 71

 379

 9973

 10141

 885223

 2257547

 99999989

 128456903

 2147483647 

 67280421310721


 あたしらは、みんな、もぉ・・・・・ほしになっている



最後までお読みいただきありがとうございました。

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