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ふたたび糸繰りおばさん

 ひと呼吸いれる。

 伝えうるものの大きさに意識はついていっても身体はそうそう付いてはいけない。それでも、休みをいれず、「先ほどの、つづきから」を述べず、藤十郎の連続講義はつづいた。顔は汗一つかかない大人(たいじん)風采(ふうさい)だが、だんだんと残された時間が押し迫ってきているのだ。

 

 大切な数を伝えてなかった。

 大事なひとに与えられている数を伝えてなかった。そう、わかるよね、糸繰おばさん。でも、ここまでくると、数がなんだかも分かるよね。いつもついて回っているのに、その登場に、舞台の登場人物が一斉に「あーぁ」の嘆息を奏でる数、カードゲームしてるときの何度やっても、わかっていても、大きさも声圧も変わらずにループしていく数。


 そう、13。

 糸繰りおばさんは、有意な男たちの各々が拵えたパーツが完成すると、そのお尻に判で押したように、13を押す。検印のような、虫食いのような、呪いのような13を焼き鏝(やきごて)する。糸繰おばさんだって、わざと嫌われ者の13だと知って押してるわけではない。紙やパピルスや木簡のあるとあらゆる記録に残っている古今東西の有意な男たちが、パーツを拵えてる横に現れ、大鍋に湯を沸かし、たくさんのさなぎになった虫からの飽きもせず延々と糸を繰り出す。

 手慰み(てなぐさみ)とはいえ、

 男たちの一時は夢中になって先に見えたものがそんな背中の曲がった年寄だったなんて気づくはずはなく、目の前を縦横無尽に素通りしても目をくれるはずはないから、糸繰おばさんは己れの邪魔されることなく縄張りを拡充する。 

 

 時には、若い女義太夫(おんなぎだゆう)に姿を変えて

 時には、妖艶な夜来香(イーライシャン)に姿を変えて

 それでも、いっときの手慰みに飽いて、乾いた冷たい身体を持て余す男たちの寒々に温かな軟膏を刷り込むのは、糸繰おばさんの風采だ。


 もちろん、男たちが、仲間内でどんな下卑た武勇伝を語ろうとも、年老いた糸繰おばさんを口の端(くちのは)に上らせることはない。

 何かの拍子に、意識下からくる憧憬なんかの柔らかなものに包まれて昇ってきたとしても、そんな婢い(はしたない)ものを口の端に上らせることはない。そんな真似が少しでも見つかったたら、仲間内という名のマウントとりばかりしてる連中から縁切り視線を浴びて己れが溶けて無くなるのを知っているから。

 

 でも、おばさんは、黙々と働き続ける。

 一列に並んで小便してる男たちの背中越しにその小便で汚れた床をデッキブラシで掃除するように、無言で、たんたんと。

 男たちと違って、13の検印を押した先も、それぞれのパーツ皆んなを見届けなければならないから。 

 自分が押した検印で反古にしても、愛しく扱う。

 自分が押した検印で反古にしたのだから、愛しく扱う。


 反古(ほご)のせいか、無頓着(むとんちゃく)のせいか、男たちはおばさんに顔を向けることはない。

 見つけたときは、もらったときは、あんなにも涙して、大事に抱えていったのに。

 そんな帰り道の涙顔は横に置いて、とっとと自分からお尻を差出し、検印を受けている。

 検印(13)の押されたパーツが何処に運ばれ何になるかなんて、オレのしったコっちゃジャない。自らの手の離れたことをウジウジ構ってなどいられない。有意な男たちは、次に自分を待っているものにしか顔を向けない、そういった宿命なのだ。


 いまってやつは、未来のために存在してる

 過去を眺めるための今なんて、腹の足しにも何にもなりゃしない

 溜まった小便のように、きれいさっぱり流さなきゃ

 

 感傷なんて、彼らには異物でしかない。未来の腹の足しにならぬものは年寄りと女子供の児戯(じぎ)に等しい。それよりほか一歩も足を踏み外さない。


 いつまでも完成しないお城

 どこまでも見えてこないお国

 そうした欠片(かけら)を見つけては拾っていたら、有意な男を表す数が12であったことを思い出した。それが仕舞われている場所が、欠片のように(あぶ)りだされる。


 「いつまでもどこまでも」を口の端(くちのは)()わえながら、したあとに押される糸繰おばさんの検印(13)でモヤモヤモヤモヤゴチャゴチャになるんだから、有意な男が12だっていうのは、勘定よりもそうした繋がりで説明する方が理にかなってるだろ。





 わたしが飲んだ高級スコッチがせんせいの胃の腑に収まるくらいだから、78年前の、まだまだ勉強嫌いな国民学校初等科4年生だったせんせいはダイレクトにわたしに入ってくる。

 懐かしさだけが外され、(とし)を経たたゆとうを挟まないフォーカスされたサウダージ。

 いまのわたしの中は、そんな手の届かないものばかりで繋がっている。

 「勘定よりも、繋がりの方が数の理(かずのことわり)にかなっている」と、藤十郎は言った。薄暗く蒸し返す暑さの中の製糸工場の、ひたすらその元凶となるお湯に湯がかれた繭玉からせっせと糸をとる若い娘たちの集団を、わたしは連想する。

 よくよく見れば、みんな何時(いつ)でも女に変わってもいい若い娘たちなのだ。

 なのに、いっしょくたに入れられた工場(こうば)の箱の蒸し返す臭いの中に、幼い日に一度だけ紛れた女風呂の、白い柱状ばかり生えて息が止まるようだった歪つな女風呂の臭いはどこにも見当たらない。

 それが、安心して深呼吸できる平然さが、藤十郎の言った糸繰おばさん(13)に、ぴったり符号する。

 女が混ざらないおばさんだから、娘たちから性愛の女は立ち昇ってこない。日々の何々といった世間にまみえた繋がりだけが立ち昇ってくる。

 それは、生のままの女の匂い。本当の臭い。深呼吸できないなんて、男が勝手に色づけしたもの。

 性愛の女など、そこから発せられる臭いなど、12がつくった拵えもの。


 おばさんは云う。

 哀しむような、憐れむような、クスクス笑いで、それを云う。


 繭玉(12)符丁(ふちょう)で呼ばれてることをしらずに、後ろの13に食われることをしらずに・・・・・

 この身体()を削りせっせと吐いて拵えた繭玉の中でお湯に湯がかれながら変化するまで隠したい姿があわらとなって、く有意な男(12)を吸い付けるための方便、こすれば消えるまやかしの臭いでしかない。

 せっせと繭玉を拵える度に・・・・・・

 「出来上がったわね」と、糸繰おばさんに湯がかれ、それまでの己れを身体()を粉にしてきたものを、すべからく糸繰りの糸に交換され、してきたこととされてきたことの一切合切を忘れて振り出しに戻る繰り返し。八方美人の12の後になし崩しする13は待っている。


 「国の名は変わっても背中合わせでくっついて互いの顔を一度も見ようとしないお隣どうし。・・・・わたしらが終戦と呼んでから78年が経った。が、3世代が繋がるそれだけの時間は経っても、世の常は何にとつ変わっては、ない」

 生身のせんせいが、割ってきた。ことし米寿(はちじゅうはち)の先生が、そんなとやかくは横にして、坊主あたまの顔で入ってきた。  

「今朝の新聞記事の大見出しを指しているのだろう、か」と、生身のわたしは述懐する。

 国民学校初等科の国防服を焼いてしまっただけで

 そんな模様替えをしただけで

 己れに繋がるすべてのかたちを変えてしまったような気でいる違和感に、皮を残したまま脱皮した気になってる廻りのざわざわを刺したくなったのだろうか。


 あんなにたらふくスコッチを、あん玉を食べて飲んで腹に入れたのに、美味しさもたらふくも皆んな持っていかれて、わたしだけが、過去にも未来にも属さぬ今に取り残された気分だった。



 

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