ふたたび粉砂糖いっぱいの唇
「糸繰りおばさんのことまで出してきて、せんせいたちが多く登場し過ぎた。・・・・・・ほらほら、有意な男の端役の名前もつけられないようなのがわんさかウヨウヨしてる。いったん片づけないと、あん玉もウイスキーもテーブルから零れてしまう」
せんせいの地声で、我に返る。
前に置かれた生のウイスキーは汗をかかずに注がれたグラス半分のままだ。あんなに飲み干したのに。それがせんせいの喉をとおり胃袋に落ちて、70年前の満洲国の消滅の穴に連れて行かれていたのに。あれからウイスキーをひと口も口にしてない証拠に、唇はあん玉を食べた粉砂糖が零れずにまとわりついたままだ。
「心配しないでいい。今生に戻っただけだから。あんたがせんせいのとっておきのウイスキーをたらふく飲んでそれがわたしののどを通って胃の腑に落ちて、満州の薄い水溜まりに沈んでいた70年前を小間物屋のようにテーブルに並べていた時間は、あんたにすべてをなんて預けたりしないから。これからも皆んな同んなじように持ち続けていくから」
いったん蓋をとじただけさと、10個の懐中時計は並んだままだ。
「これが、藤十郎のですね」と、カードを裏返すように蓋を閉じた中からどれが藤十郎かわたしは指さす。せんせいは覚えたてのシンケイスイジャクにはしゃぐ子供を見つめるようにわたしに頷いた。
4597の藤十郎は、自分しかいない標本箱ですやすや眠っている。
母さんは若い頃の女義太夫の娘に結った御髪に、99999989を染めぬいた手ぬぐいを髪飾りよろしく乗っけ、そのあたまを深々とひしゃぐたび、夜来香夜来香と白い花飾りは蝶のようにまたたき、模様替えの幕引きよろしく藤十郎の中に収まった。
77773・・・79999・・・・・・ 90001・・・・・・104729
目につきやすいところで目を止めないと、糸繰おばさんの手は止んではくれないから、どんどん数は増していく。1万のくぐり目で、ふぅーと息をついてくれたので、104729と目につきにくい数を目に留めることができた。
「数えようなんて、出来っこない芸当に神経をすり減らすのはよした方がいい」
せんせいは、70年前の藤十郎に言い笑われたのを繰り返す。
「生まれてから今までの、今といったこの時までに、何度いきを吸って吐いてきたかなんて順々に数えちゃいないだろ。心臓の心拍数は10歳までに最低でも3億回打っている。早いやつなら4億を超えている。皇国の皇民8千万の実に5倍だ。爺さんになるまで数えたら、いまの世の中のすべての人間たちと同じ数を数えなきゃならないんだ。
亜細亜から欧羅巴、そして亜米利加、阿弗利加を順々に回って、脚立を立て、ひとりひとり背景の白ボードに立たせてカシャリ。カシャリ、カシャリ、映し終えたネガを縦に12億積み上げていく。
数を、かたちで表したら、そんな感じ。
世界の人口と同じだけ数えるなんて芸当、どだい出来やしないだろう。数だと思うからいけないんだ。伸ばしたり、積み上げたり、はなからここまでのずっと繋がってるかたちを思い描いちゃうからいけないんだ。食べたり飲んだり触れあうものとなんら変わらない。かたちは消えても、己れの中に残り続けていくもの。
そうした類 そうした輩
そうしたら近づける。そうしたら食べたり飲んだり触ったりできるから」
せんせいは、丸刈りあたまの国民学校初等科4年生の顔になっている。丸刈りあたまの下の頬っぺたは、毎夜毎夜の南京虫の餌食であばた顔。あの当時、内地も、外地も、どの教室も、金太郎飴の輪切りのような昭和16年の学制改正で尋常小学校から国民学校初等科に移行した同じ顔した皇民たらん10歳児の顔だ。
そんな中、教室も国も無くなったこの地の収容所で、いまさら目印をつける必要などないのに、せんせいは迷わせないようにと、口元に粉砂糖いっぱいの白い粉を吹く。
迷わせない配慮は、わたしのためか、藤十郎のためか。
藤十郎も同じ。前にもまして瘦せた手足のカトンボは、昆虫採集箱から瘦せていつでも脱出できるのに、そこに横たわったまま、せんせいへの教授を続けている。いつでも手枷足枷から抜け出られるほどやせ衰えたのに、それでも標本箱に入ったままの配慮は、たった一人の弟子、せんせいのためだ。
「はじめの素数でもあり、素数の仲間から片足の入ることを許されていない偉大な名誉あるせんせいで、わたしを呼んでくれるのなら、お前さんも藤十郎の教え子だ」
名札を縫い付けたボロボロの国民服のせんせいは、唇から粉砂糖を飛ばし、これ以上にない真顔で話す。
そして、再び70年前の収容所の中へ・・・・
4597の標本箱の中の藤十郎は、「では、この前の続きから」と言ったあとのような、大講義室にの一番後ろに陣取ったたったひとりの学生に向かう老教授のように、穏やかな声で講義を再開した。
1と己れ自身よりほか分けられないもの、それが素数だ、数のたましいだ。ところが、2は少し違うんだな。
もう少し、雑多な、暇だから昼寝でもしてるような妄想の混じった辺りから眺めてみるとしよう。
数のはじまりは1からだ。ゼロは形而上の観念で拵えたものだから、わきにおいておく。でも、いきなり1はピョコンと生みだされたんじゃない。この廻りを取り囲むゴチャゴチャモヤモヤした関係を、少しはすっきり穏やかな関係に中和させるため数は生み出されたものだから、出来上がったものをあとで整理するような、なにか超越したひとつからが始まりってことはない。1が生まれたのと一緒に2は誕生した。そして等分に3.4.5と増やしたり、増やしたものを転がして、6、9、12、50、100が出来ていった。きっと、兎に角、ずっとパン生地みたいにこねくり回してしましていたゴチャゴチャモヤモヤを、指の股で輪っかをつくってヒョイヒョイだんごを捻ねり出すように、ひょいひょい勢いよく出してきたんだ。
いまは、ケースに並んだ数に見慣れてるから、どれもこれも窮屈の中でも大人しく聞き分けのいい真面目な顔してるけど、各々が好き勝手な粘土細工するように拵えてた頃は、固く歪な礫した塊がゴロンと顔を出す。
それが素数、魂の数だ。
身近で一番わかりやすいのは13だろう。その前には12っていう、2でも3でも4でも6までも等分に出来る聞き分けのイイ子の次に、そんないびつで固まった顔が出てきたら、しかめっ面かあばた顔しか思いつかない。
何万回、何十万回、何百万回廻していっても、どこかで必ず硬いあばた顔した礫に行き当たる。
少しは、わかったきたかな。だから2は特別な素数なんだ。ほかの素数はそんなあばた顔なのに、大物のくせしてそんな素振りを少しも見せずいい子ちゃんのツルんとした大人顔した数だもの。
数を廻し始めた元祖なのに、それからだっていろいろ頑張ってるのに、集団から外れて場末でくすぶっている・・・・・そんな唯我独尊な連中に、幼い馴染みの顔で近づくと、「お前の居場所はあっちだろう」って、仲間に入れてもらえない。
そんな感じが、もう先のほうは見えなくなった社会って言いう名の集団といつまでも唯我独尊よりほか取り柄のない迷い子の間で、心配しながらウロウロドキドキするのが生業のせんせいって呼称にぴったりだろう。
せんせいってさぁー、尋常小学校が国民学校初等科に変わってからは、なおさら、仲間外れにされてる様子が、標本箱の中から眺めていても、分かるよ。おかみの方からは、「錬成」、「道場」、「型」、「行」、「団体訓練」を押し付けられ、同じ顔した皇民を仕立てる工場長に成り下がった。
はなから、せんせいの持つそんな矛盾に気づかない圧倒的多数のせんせいたちは、露の欠片も感じないだろうけど。教壇の隣にサーベル下げてゲートルの土足のままの憲兵が立っていても、辱しめを受けたようには感じないだろうけど、ね。