藤十郎は生まれた
そうやって、母さんは、ぼくを生むことになる。そのころからのことをすべて記憶してるわけでないが、今に繋がるまでのほころびが出てきたら結び直すことにして、ザーッと進めていこう。
糸繰おばさんの出てこない男からもらった母さんの腹はぼくのために膨れていく。もうこれまでと同じやり方では仕様がないところまできてしまい、ついに父さんは母さんをキングサイズのベッドから剝がした。剝がされた母さんとキングサイズのベッドは、初めてやってきたときと同様に別々の車に載せられ、建設途中の都へと帰る。
帰りも砂漠を超えたけど、此処にやってきたときと違って、帰りのときは上がりっぱなしのお日様が微塵も動かないことに不可思議さを感じなかった。だから、満州国にくるまでの船や汽車を乗り継ぐより長く感じたあの永遠の地平線を追いかける気の遠くなるような想いは、せずに済んだ。
それは、身重の母さんもだが、羊水に浮かぶぼくにもありがたいことだった。
母さんは帰りの車の中で、これからの算段を考えながら時折おくる父さんの視線を払いのけるように、こうして戻されていく言い訳をするように、四六時中お腹をとおしてぼくをさすっていたように思う。産んだあとはあまり子供のあたまやからだを撫でまわしたりするひとではなかったが、このときはずっと撫でていたことは覚えている。
自ずから分かっていたのか、諭され知ったことなのか。
それは、結び直しの硬い中に隠れいていて、わからない。
キングサイズのベッドから剝がされた母さんが落ち着く先は、ひとりで持て余すベッドが置かれた家ではなかった。身重でも仕事はしなければならない。一生、前借りのある身の上なのだ。前にせり出したお腹と相性のいい包み込むような大振りの椅子が置かれた店に変わった。
あたらしく作った都に、感心するほど古くて猥雑な生業のための長屋が残っていた。そこの端から2番目に、母さんは毎日詰めることになる。都は新しく造っても、火星や月の裏側でもなければ人の足跡のない場所など何処にないわけだが、傍に並んだ目抜き通りの明るさとのあまりの対称が、先にこの影を見抜き、都の区割りの定規をあてたのではないかと惚れ惚れするような出来映えに映っている。
今度は家ではなく店だから、母さんはには帰る家が整ったわけだ。毎日でなくても、時折であっても、キングサイズのベッドは父さんが住まうお屋敷に仕舞われたから、そこが母さんの家、生まれてからはぼくの家にもなった。
店である以上、やって来てもらうお客は必要になる。
明るい表通りから一本はいったすぐだから、案内をキチンと聞いてくれば、お客は迷わずひとりでやってくる。ベッドを剝ぎ取られお腹をさするだけになった身重の母さんに男に相手をすることは限られていた。
お客は、わざわざ訪ねてきた以上、きびすをかえすだけのものをもらわなければ帰らない。あるいは貰えないとあきらめなければ、帰らない。
父さんはこれからの算段で悩んでいたが、悩むだけでそこから先を出そうとしない。出すはずはない。出せるわけがない。
所詮、このことは母さんとお客の男たちとの間のことなのだから。
お喋りはしない。それは、はなから決まっている。
包み込みような大きな椅子に座ってただただお腹をさする身重の女との長い時間に耐えられなくなっても、お客の男からそのことを切り出すことはなかった。
身重の女のお腹はどんなに長い時間横たえても、空虚さは運んでこない。有意の男たちはまともな人たちだから、そうした自覚があったから、彼らはそれがやって来るまでをただじぃーっと待った。
何をどうすると分かっていたわけではない。
それやそうした作法をただただ対峙しているうち、屛風のように設えた椅子に包み込まれるうち、ぼくの入ってるお腹を摩するうちにやってきて、男たちがきびすを返して呉れる満足へと導く。
お客たちは確かにそれをもらいきびすを返して呉れた。が、男たちの受け止めの感慨はまちまちだった。
神意、宣託、贖い、占い・・・・
女ではないから、有意の男たちだから。受け取るときの言い表しに一番なのが占いであっても、伏せて、別の言葉でそれを言い表す。長々しいこんなシチュエーションが酒も飲まず酔わずにやってるはずがないと、このいまがシラフであることすら忘れたようにカフェの女給あいての繰り言のような話しぶりしかできない男もいた。そんな男でも、己れの繰り言に毛の生えたいつものものをもらおうとは思っていない。
だから、相談なんて言い回しは、絶対に使わない。あたまから、その言葉は出てこない。
そんな持ち合わせで間に合うなら、建設中の都にも手近な女は揃っているからだ。
だから、それと分かるものが何なのか、もらってみなければ分からない。
けれど、誰もが、ずーっと待ち続けた顔が、すっと緩み、迷いなく、すぐに店を出て呉れる。
何がなんだかよくわからない、それをどうしろというのか教えてもらいたい。そんな迷い顔はひとつもない。
諭し言い含められ、だからそうなの、分ったでしょう、あとは大丈夫、しっかり、あなたなら、絶対などの送り出す優しい掌のあとは何もない。
すっと、ひと言、表示すれば、五つに至らぬ1秒、10までの2秒。それだけ。
そのときを狙い、何度も羊水の中から耳をそばだてたけど、一度として母さんの受け渡す声は聞こえなかった。