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女王アリの名は、夜来香(イーライシャン)

 古い借金返して新しい借金こさえて、うち、外地(がいち)に渡った。

 うちが最初のお母さんに売られたのと、満州国(まんしゅうこく)()う名前の新しいお国が生まれたのは一緒の(とし)やった。あの日、どこのお楼(おろう)の灯りよりも賑やかな赤提灯が数珠つなぎして、普段なら決して「こないなところ」って顔しかめて(また)いだりせぇーへん素人の女子(しろうとのおなご)までバンザイバンザイの歓声あげよったの、姐さん達から預かった頼まれごと皆んな済ませて引いたお布団に潜らんと欄干に肩肘ついて飽きもせんと、ひとつひとつ、ずーと眺めておった。

 そしたら・・・・

 売り買いされる身体になる前の晩に、おかん、うちと血の繋がっとる実のほうやけど、お祝いやゆうて、お赤飯たいて、うちの瘦せた身体をサンゴのかんざしに七五三みたいな赤い半纏で包んでくれた。その時の赤いもん尽くしになっとるうちの今よりも少しだけど小さかった丸まった身体が、万華鏡の中におるように明るいキラキラして、欄干に落ちてきた。

 「風邪、ひくなよっ」って、その一言だけ背中に貼り付けられて、建付けの悪い板戸なのに勢い良く閉まって、サヨナラした。

 あの日から、うち、ずーと、それまでの瘦せて丸まった小さな身体に(ふた)してきたような気がする。

 あの晩の・・・・

 赤い提灯行列の波を二階から見とったら、まんしゅう云う名のお国が、このあと赤い提灯で着飾られるのを待っとる洗い立てのすべすべ肌したまんまの水揚げ前の生娘みとるようやった。

 同士(どうし)、いうんやろう。アカがかったふりするお客さんが、うちらからかうときに使うけど。

 うち、あの言い方、好きや。お互い寄りかからんで、同じ方に向かっとる気がする。


   同士、満州


 うちが産み続ける世間様は手垢(てあか)の付いとらんその新しいお国がピッタリやと、繋がってくまっすぐが見えた。

 ()()に着くまでの間に、赤い万華鏡の中の明るいキラキラしたもんに入って、それまでの丸まった今よりも小さかった身体に戻って、夏の朝のまだ誰もおらん静かな中でカゲロウみたいに背中をパッカリ空けて、うち、七色に染め上げた羽のある蝶々に変わってる。

 羽の生えて最初に出てくるのは、きっと左掌の小指や。

 新しい借金こさえた時、もろうたお札の束よりもその指にキッチリ結わえられてる糸が現れて来たのが嬉しかった。

 見知った顔が、逃げんための監視役しかおらん二人部屋の船室も超特急の2等席も、心が散らかることはなかった。小指をみれば、ジュートで編んだくらい丈夫な()りのかかった糸が解けんように縛られているから、そのお国に行けば、うちの好きな白くて細くて冷たい鼻のようく似合う旦那さんが、きっと、うちのことを見つけてくれる。

 こないな確かなものがあるんやもの。海を越えた行けども行けどもまっ平の土地だろうが、前借りが3倍に増えていようが、身体も心に聞いても怖い返事は返ってこんかった。

 

 乗り物かわるごとに張り付いてた最後の男が引き渡したのは、西洋の立派なお屋敷をそれように改装した店だった。

 最初に此処を作って住んだは2メートル近い大男だったに違いない。玄関から天井からドアノブの高さまで、造作の何もかもが笑いたくなるくらい寸法がふたまわり大きかった。

 そのくせ、出迎えた店の主は、うちの肩までしか足らん傴僂(せむし)がかった小男で、キングサイズのベッドの入ったそれようの部屋にうちを案内したあと、すべてひん剝き、肌という肌、穴という穴を丹念に()め廻し()め廻したあと、「まぁー、どっちのお客の好みにも合う身体やろう」云うて、客が付くまでそこで好きなようにしてたらいいとだけ伝えて、去っていった。

 身体の検査と称して()()されるのは、店が変わるときの習わしで慣れていた。今度の主が不具なのはすぐにわかっていたから、それを抱えてる男おのおのの気持ち悪さを覚悟してたが、案外にあっさりの検査で済んで、拍子抜けする顔でいままで居った三畳部屋がそっくり入いるベッドからそれよりも高い天井を眺める。

 鏡なんて使わなくても、5尺5寸の大女は此処のベッドに似合ってる気がする。


 どの店に移っても、うちは一番の大女だった。

 それを敬遠するお客もいれば、喜ぶお客もいる。けれど、それを抜きにすることはない。西洋の女みたいな長い手脚が嫌いなわけでない。バレリーナみたいで誇らしいれど、それがいつもうちという女の最初に付いてまわる。

 背丈は西洋女に引けを取らなくても、カツドウに出てくるようなドレスに載った裸の鳩胸みせびらかす頑丈な肩の骨を、うちは持ち合わせてはいない。

 首から下の凸凹は片手で収まる小娘のまんま。

 それが、うち、うち云う女の身についた身体。

 寸の足りない布団で、首から下の凸凹は片手で収まる小娘の真っ裸がクルクル廻って朝を迎える。そんな毎日毎晩ときっぱり縁を切って、海を越えた新しいお国にやってきた。

  ー 満州って、西洋の匂いが、白い匂いがする。

 引いたり畳んだりのお布団より、昼も夜もどっしりの木枠に載ったベッドが、満洲国で最初に近しいものになる。

 キングサイズのベッド。新しい女王蟻の産台に、ピッタリだ。


 夜来香(いーらいしゃん)を呼ぶ声が、窓の外のすぐそばから聞こえた。

 返事をする。お客がきたのだ。きっと、あの人だ。昨晩のはじめてで分かった。この店からわたしを連れ出すために、昨晩やってきて、今日迎えに来る。

 それは、とてもはっきりしていること。余計なものがついていないただひとつのかたちをなしていること。

 あたしと同じ23の()()()と同じく、ひとめで、ただひとつのかたちをなしているもの。

 はじめて夜来香(いーらいしゃん)と呼んだその声を聞いたとき、あたしよりも若い幼い、けれども年長したその声が、あたしを呼んでいるだとすぐに分かった。あの日、梢の鳥が飛び立つ前の一鳴きが、夜来香(いーらいしゃん)をうたわなくても、その声で呼ばれたら、満州のわたしの名前はその名前でピッタリとくっついた。

 でも、いまは、ほかの名前は金輪際、わたしじゃない。あたしは夜来香(いーらいしゃん)、181。

 そして、馴染んできたキングサイズのベッドと一緒に店を出ていく、4597。

 ここではない181と4597を納める女王蟻が産み続ける本当の住処に向かう。

 

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