その3
「もたもたしてるんじゃないぞ!」
「はい、申し訳ありません!」
年老いた男の怒号が響く。悲鳴のように謝罪の言葉を返していたのは、この俺だった! その手は薄汚れて、傷つき、痩せこけている。水以外のものを口にしたのは何日前だっただろう。
魔界大戦。それが、この村をすっかり変えてしまったのだ。とっくの昔に魔王様は倒され、魔界と人間界の間で休戦協定が結ばれても、それで世界がすぐに安寧を取り戻すわけではない。
「ほら、早く水を汲んでこい!」
「はい、すみません!」
「まったく使えない奴だな。感謝しろよ。おまえみたいなうすのろ、女じゃなかったらとっくにぶっ殺してるところだからな!」
「はい、申し訳ありません!」
雇い主に頭を下げ、俺は桶を持って外へでた。木の桶が重い。人間の女の手には、この程度のものがこんなにも重く感じられるのか。――考え、そして俺は思いだした。
そうだ。このときの俺は、かなり階級の低い、そして、なんの力も教養もない、ただの人間の村娘として生きていたのだ。
「行ってまいります!」
雇い主に言い、俺は川まで歩きだした。足がふらつく。炎天下の熱に、疲れ果てた人間の身体は耐えられなかったらしい。村をでたあたりで、俺は膝をついた。そして、いつもと変わらぬ、暴走した魔族たちの襲来。このときは紫の肌をした上級魔族までいた。戦う能力など、人間だったころの俺にはあるはずもない。逃げるための翼すらもだ。俺はそのまま倒れて――
「あー、最後のあたりのことを最初に思いだしたみたいですね」
気がつくと、俺はぼうっとしていた。いつの間にか、ベッドに腰掛けている。夢のなかと同様にふらついて、無意識のうちに座っていたらしい。
「やっぱりショックって顔をしてますね」
俺の前で、シルヴィア殿が興味深そうな顔をしていた。こちらも椅子に座っている。
「いまのはなんだ?」
「あなたの前世ですよ」
シルヴィア殿が、相変わらずの表情で返事をしてきた。
「そんなはずはない」
俺はうめき声を上げるしかできなかった。というか、どういうことなのだこれは?
「残念ながら、本当にあなたの前世なんです」
口にだして言ったつもりはなかったのだが、目の前のシルヴィア殿が返事をしてきた。どうやら、好きに相手の心を読める能力があるらしい。
「ふむ、そうか」
少ししてから呼吸を整え、俺は眼前のシルヴィア殿を見た。
「なるほど、ずいぶんと不愉快な過去の映像を見せてもらった。それで、あなたはどうするつもりなのかな?」
「これ以降の、あなたの考えを聞くつもりだったんですよ」
問いかけた俺に、相変わらず、笑顔でシルヴィア殿がこたえた。
「このあと、どうします? 魔将軍の家柄として生きますか? それとも、人間の生まれ変わりとして、それなりの人生をまっとうしますか?」
おかしな質問をしてくる天界の使いだった。
「まず、こちらから問おう」
少し落ち着いてから、俺はシルヴィアと名乗る女性をながめた。
「あなたの言う、この俺の前世というのが真実だとしよう。では質問だ。なぜ、あなたはそういう真実を俺に話した?」
「――あー、それですか」
ベッドから立ち上がり、いざということも考え、戦える呼吸法を意識しながら質問する俺に、目の前のシルヴィア殿が苦笑しながら首をかしげた。
「それはですね。私が、あなたの魂の担当だったからですよ。まだ完全に思いだせていないみたいだから説明しますけどね。あなた、前のときは人間世界に生きていて、しかも、とっても低い立場の女性だったんです。それで、いろいろあって、外で倒れて。その挙げ句、強いものに一方的にやられて。それはもう悲惨なものでしたよ」
また、かなりひどいことを言う女神だった。もっとも、俺も、そういう過去を思いだしているのだから否定はできない。
「話はわかった。信用もしよう」
俺の虚勢はどこまでシルヴィア殿に通じるのか。心の片隅で考えながら、ベッドに座り直した俺は口を開いた。




