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君に捧げる花の名は、  作者: ???
ワスレナグサ
8/49

八輪

 

「ごちそうさまでした!」「────ごちそうさまでした」


 昼食を終えて互いに手を合わせると、向き合っていた机を戻す。持参していた歯磨き用のトラベルセットと折り畳みのプラスチックコップを手にとってから歯磨きへと向かう。シャカシャカと言う音を聞き終えてから口内を漱いで口元をハンカチで拭った。


「次の授業って数学だよね?」「そうだね」


 問い掛けに答えながら、彼女と一緒に教室へ向かう。「今日当てられたらやだなぁ」と言う彼女に、「そうしたらこっそり教えるよ」と言えば、少しだけ照れ臭そうに「ありがとう」と彼女が微笑む。


 ────あ


 一年三組の前を通りがかると、何となく()()のことを思い出しふと足を止める。上履きがきゅっと微かな音を鳴らした。


 ────知るはずがないのに馬鹿みたいだ、ボクは


 隣のクラスであるだけなのに、どうしてこんなにも遠く感じるのだろう。一年三組の教室の中からは明るい声が聴こえてきて。一際大きくて澄んだ声は、恐らく彼女────美滝(みたき)さんのものだろう。

 美滝(みたき)百合葉(ゆりは)さん。普段はあまりテレビ番組は見ないけれど、兄がたまたまつけたバラエティ番組に出演していたのを何度か見たことがある。明るく柔らかな声と表情がとても印象的だった。

「彼女」とは似ても似つかないその眩しい存在は、紛れもなく「アイドル」と呼ぶべき存在だった。インターネットでは、彼女を様々な言葉で表す人が居るけれど────ボクは彼女の存在そのものが、とても好ましかった。

「晶ちゃん?」「────あ、ごめん」

 彼女────齋藤さんの戸惑ったような声にはっと意識を戻して。少しだけ誤魔化すように笑い掛けると、驚いたように目を開いてから頬を少しだけ桜色に染めて反対方向を見つめた。

 その様子に、「なにか不快にさせてしまったのかな」と思う。「彼女」には、困ったときや場が持たないときはとりあえず笑えばいいのだと教わったのだけれど。


 ────困ったときはにこにこしておけばそれで良いのよ


 彼女が言っていたことを不意に思い出して。滅茶苦茶だなぁ、なんて思って口元を緩める。それと同時に、あの首を圧迫される記憶を思い出して、再び無意識に首もとに触れた。

────晶ちゃんは、と言う声が届いて。突然の声に驚いてはっと急速に意識を引き戻す。申し訳ない気持ちで隣の齋藤さんを見ると、彼女は何処か自嘲的な表情で微笑んだ。

「────晶ちゃんは、誰にでも優しいね」

 唐突に紡がれた言葉に、「そうかな」と首を傾げる。誰かが開けていたのだろうか、微かに青臭い若葉の匂いが風にのって鼻腔を擽って。流れてきたその風は、肩に触れるか触れないかくらいに伸びた髪を小さく揺らした。

 不意に冷たい風が吹いて、ふるりと小さく身体を震わせる。窓を施錠して、そろそろ戻ろうかと彼女に提案をするために隣を向くと、彼女はきゅっと右手で左手を掴んだまま俯いて。

 ────優しいよと彼女は再び呟いた。そうして左手からそのまま袖へと、まるで身を守るように動かしてぎゅっと制服の袖を掴んだ。

「だから────だから、私はちょっとだけ苦しいんだ」

 吐き出された言葉を処理するまでに、少しだけ時間が掛かって。やっと言葉を呑み込み終えるのと、彼女がはっとしたように口元を抑えるのはほとんど同時だった。

「ごめん。傷つけるつもりは」「ち、違うの!ごめんね、今のはほんと、違くて」

 ごめんね、と彼女が再び謝って。ボクの方こそ、と謝れば、彼女はふるふると左右に首を振って。

「違うの、本当に晶ちゃんは悪くないの。ごめん、私最近ちょっと変で」

 恥ずかしいなぁと呟く声に、ふるりと左右に首を振るのがやっとで。何処か気まずいような雰囲気を消すように「あ」と齋藤さんがボクの後ろの方向を見て呟く。

「あれ、()()と────塩瀬さん?どうしたの?」

 その声に後ろを振り向くと、そこに立っていたのは「由里ちゃん」で。その姿を見た途端、齋藤さんがほっとしたように息を吐いた。

「由里ちゃん!良かった、会いたかったの」「なに?ついにあたしの愛が実ったってこと?」

 そんなんじゃないよ、と齋藤さんはふっと笑って。その表情を見て、「由里ちゃん」は少しだけ眉をひそめて、ボクのほうをちらりと見てから「わかった」と呟いた。

「わかった。じゃあ、まずそのコップを置いておいで。まだお昼休み終わるまで時間があるし、話くらいなら聞いてあげる」

 そう言うと、齋藤さんはほっとしたように再び微笑んで。そうしてから、まるでボクのことなんて忘れてしまったようにぱたぱたと教室へ駆けていった。

 湿ったコップの持ち手に、生温かい熱が伝ってゆく。微かに水滴がついたそれは、何だか少しだけ不快で。

 ────ここに居ても邪魔なだけかな

 そう思い直して、コップを片付けようと教室へ足を向ける。すると、「塩瀬さん?だっけ」と明るい声がボクを引き留めて。

「はい」「…………あー、敬語なんて良いよ。同じ一年でしょ?」

 高野さんはそう言って、少しだけ言いにくそうに頬を掻いてから困ったように微笑んで。そうしてから、「ごめんねー」と謝った。

 謝られた意味が解らずに首を傾げると、高野さんは「莉菜はさぁ」と言葉を続ける。

「莉菜はさぁ、昔からあんな感じなの。ちょっと独占欲が強いって言うのかな、寂しがりなんだ。だから、いっつもあたしの後ろをついてきてたんだけど、今回クラス離れちゃったから。ほら、あの子って人見知りでしょ? 心配で」

 そうしてから、まるで伝えることを迷うように瞳を揺らしてから「だから」と言葉を続ける。

「……だから塩瀬さん、莉菜のこと、とらないでね?」

 他にも話す人はいるんでしょ? と言葉を続けて。高野さんは、泣き出しそうに表情を歪めている。ボクはどうしてだか、上手く言葉が返せなくて。

「……それは、どう言う、」

 しどろもどろなボクの言葉を聞いて苛立ったように彼女が溜め息を吐いて、「わからないかなぁ」と言葉を投げ付けた。

「莉菜はさ、優しいんだよ。あたしは中学から、ずっと莉菜のことを見てきた。いつも優しくて、損してばかりで、でもあたしのことが一番だって言ってたの。……言ってたのに、最近はあなたのことばっかり話してる。あなたと何をしたとか、何を話したとか、そんなことばっかり。あたしはあなたのことなんて、これっぽっちも興味ないのに」

 吐き捨てるような言葉と比例しない笑顔に、小さく息を呑んで。無意識に首もとに手を伸ばすと、するりと爪が絆創膏の上を滑った。

 高野さんは、そんな行動さえも何処か苛立たしげで。それでもボクには、どうしたら良いのかが解らない。酸素が脳に上手く回らなくて、思考が完全に止まってしまう。抑えていた罪悪感が、ゆっくりと鎌首をもたげてボクを見つめている。

「だから、莉菜をとらないでね。あなたさえ莉菜のことを好きにならなければ、それで丸く収まるんだから」「……あの、好きって、どういう? 莉菜ちゃんがボクを?」

 考えが追いつかなくて彼女の言葉を聞き返せば、彼女はそんなボクを忌々しげに横目で見ながら「ほんと、最悪」と呟いた。

「気付いてなかったの? ……なーんだ、言わなきゃよかった」

 高野さんは興が削がれたかのような表情で、ボクの隣をすり抜けるようにして歩いてゆく。ちょうど遠目に、莉菜ちゃんがこちらに向かって来ようとするのがわかる。彼女はまるで最初から、ボクになんて関心がなかったようにその場を去ろうとして、一瞬だけ歩みを止めるとゆっくりと振り向いた。

「あ、そうそう。莉菜に川蝉さん?とかいう人のことで相談するの、ほどほどにしといてよね。こっちだってヒマじゃないんだし、だいたい自分のことなら自分でなんとかしなよ。あなた、高校生でしょ?……あと、そこ邪魔。突っ立ってないで、教室はいるなら入りなよ。あたし、上手く伝えとくから」

 それじゃと彼女が言って、上手く言葉を伝えれないままふと視線をそらす。ボクは逃げるように教室に入って席につけば、強張った頬に手をあてて戻す。そうしてから、深く溜め息を吐いた。

 人の敵意をストレートに受けるのは久し振りだった。今まで星花で関わってきた人は優しい人ばかりだったから、急に悪意を向けられると酷く心が疲弊してしまう。

「……はぁ」

 次の授業の準備を机の上に出してから、溜め息を吐いて机に伏す。冷たくて硬い机に、じわじわと熱を吸いとられてゆく。

 困ったときはにこにこしていればいいなんて君は簡単にいうけど、困ったときほど何も動かなくなるんだよなんて恨みがましく思えば、もういない彼女が少し笑ったような気がした。

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