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君に捧げる花の名は、  作者: ???
ワスレナグサ
6/50

六輪

 恋愛感情と言うものはある種どこか支配的で、それでいて愛しくなるくらいの悲しみを孕んでいるのだと言う言葉は、「あの日」が来る数日前に「彼女」に言われた言葉だった。ボクは当時、その言葉にたいした意味は無いのだと思い込んでいて、「詩的だね」なんてからかうように小さく笑って聞き流してしまったのだ。

 彼女は「真面目に聞いてよ」と拗ねたようにそっぽを向いて。そうしてから、少しだけ寂しそうに俯いていた。嗚呼きっと、ボクはずっと彼女のことを傷付け続けている。いつだって間違えて、傷付けて、そうしてすべて無くなってしまってからやっと間違いに気付くのだ。気付いたときにはもう、全てが手遅れだと言うのに。


 ────ボク達、友達になりましょう


 そう言って別れた日の晩、彼女────白石さんからメッセージが届いた。ボクは入浴後、パジャマに着替えて肩にタオルを掛けたままの状態で慌てて携帯電話を手に取る。未だに慣れないつるりとした画面の携帯電話に表示されたメッセージには『白石です。よろしくお願いします』とだけ書かれていた。


『塩瀬です。こちらこそよろしくお願いします』


 簡素な面白味のない挨拶文を送ると、白石さんに送った言葉にぱっと既読を示すマークが付く。早いな、と画面を眺めると、白石さんからは『こちらこそ。おやすみなさい』と言う言葉が届いた。


『今日はありがとうございました。おやすみなさい』


 彼女と同じ言葉を返して、携帯電話の電源ボタンを押す。再びスリープモードに入った携帯の画面を指先でなぞってから、髪を乾かして歯を磨くために洗面所へ向かった。タオルで軽く水気を拭き取ってから、髪が傷まないようトリートメントを付ける。洗面所の隣の棚からドライヤーを取り出し、コンセントに繋いでからカチリと電源をいれると、ブオオオと言う重い音を響かせて熱い風が届く。


 ────アキ、髪の毛はね、濡れたらすぐに乾かした方が良いのよ


 濡れたままの状態にしておくのは良くないのと「彼女」が言ったから、もう慣れてしまった「彼女の乾かし方」で髪を乾かす。


 ────アキは、綺麗なんだから


 彼女はいつもそう言ってボクの髪をその白い指先ですいて、するりと首を撫でるその指先に酷く心臓が痛くなったことを覚えている。髪を乾かし終えると、冷風に切り替えて再び髪を乾かす。完全に乾いたことを確認してから、カチリとドライヤーの電源を切った。


 ────彼女は綺麗だった。顔の造形のような簡単に区別が付くものではなく、ふとした時の仕草や言葉のひとつひとつがとても綺麗で、とても芯が強くて。なのに、誰よりも繊細で。ボクは彼女のそう言うところに強く惹かれていたのだ。「アキが一番」と言われる度に、何処か心の奥深くが満たされるのを感じて。恐らく彼女もそれを解っていたのだろう。何度も何度も、ボクにとって耳障りのよい言葉を繰り返した。


 ────あたしにとって、アキは一番


 ────アキが一番好きよ


 ────ねえ、アキ。あたしは貴女のこと、大嫌いよ。綺麗で純粋で、誰にでも優しくて、誰にでも良い顔をして


 幸せな記憶を反芻すると、必然的に「あの日」の言葉が思い起こされて。思わず唇を噛んで俯いた。「唇を噛む」と言う行為は、彼女と別れてから始めた行為のひとつだった。表面の薄皮が裂けて微かに血が滲む。軽く唇を舐めて、そこに鉄の味がし始めてからやっと唇を噛むことをやめることが出来た。

 ボクはドライヤーをしまうと、(おもむろ)に歯ブラシを取り出して水をつけて湿らせる。そうしてから、歯磨き粉をつけて口の中に歯ブラシを含んだ。頭の中に響くシャコシャコとした音に意識をずらす。磨き終えてから、口の中を(すす)いで口元をタオルで拭う。


 ────ごめんなさい


 無意識のうちに洗面台の前で蹲って、誰に聞かせるでもない謝罪を繰り返す。聞かせたい相手は、聞くべき相手は、もうボクの傍にはいないのに。


 ────嗚呼、やっぱり。ボクには幸せになる権利なんて無いんだ。


 暫くの間そうしてから、徐に立ち上がって家族に寝る前の挨拶を済ませる。二階にある自室のドアを開けると、ピンと張ったシーツに倒れ込むように横になって携帯アプリの目覚ましをセットしてから薄いタオルケットを掛けた。やっぱり白石さんに断りのメッセージを送ろうかと思い至るも、時刻はもう人にメッセージを送るには遅すぎて。何の気なしに開いてしまった携帯電話のアラームの確認だけを済ませてから、カチリと再び電源ボタンを押して充電器のコードに携帯を差した。

 時刻は22:40を示していた。6時台の電車に乗らなければいけないのだから、5:00には起きなければ遅刻をしてしまう。


 なのに────なのにその日は、どうしてだかうまく寝付けずにいた。その理由は何となく、自分の中ではわかっていた。


 ────夢を見ていた。夕焼けが教室の中を橙色に染め上げてゆく。ボクは「彼女」と、教室の席に互いに向かい合って座っている。終業式が終わった後の閑散とした教室の中で、ボクの前の席の椅子に跨った彼女は相変わらず綺麗に笑う。肩まで伸ばした癖の無い髪は、相変わらずに彼女の首を傾げる動作に比例してさらりと揺れる。薄桃色の形の良い唇から自分の名前が呼ばれる様子を見たく無くて、「行儀悪いよ」と返しながら、彼女と目を合わせない様に俯いて帰り支度を続ける。その態度が不満だったのか、彼女は「ねぇ、アキってば」と手をこちらに伸ばす。伸ばされた白い手を、「はいはい」と言って微かな力で払えば、彼女は酷く不満そうにその形の良い唇を尖らせる。

 ────それは、星花女子高校に通い始めた時に見た夢と同じ夢で。ひとつ違うところは「彼女」は中学時代の制服を、ボクは星花女子高校の制服を着ていたことだった。


 ────ねぇ、アキ


 彼女は何処か遠くを見るような目でボクを見ている。……違う。ボクじゃなくて、「中学生の頃のボク」を。


 ────ね、アキ。アキはずっとそのままでいてね?あたしが彼と同じ高校に行っても、社会人になっても、大切な人と結婚して、愛する子供が産まれても、アキはずっとあたしだけを好きでいてね?誰とも愛し合わないで、誰とも結婚しないで、誰の愛も拒んで、ずっとあたしだけを好きでいてね?あたしは────「あたしのことを大好きなアキ」が大好きなんだから


そう言って笑った「彼女」の顔には、もうあの頃の面影はなかった。


 耳元でアラームが静かな室内に鳴り響いていた。その音に眉をひそめながら、モソモソと小さく動いて目を覚ます。昨夜に乾かした髪がさらりとボクの肩を滑り落ちた。

 充電器に差したままの携帯電話を引き抜き、画面をスライドしてアラームを止める。騒がしかったその音は、途端にぴたりと止めた。あまり寝付けなかった、と思いながら、思わず目を手の甲で擦る。目を傷付けるとはわかっていても、どうしてもやめられない癖のひとつだった。


「あれ?」


 ふと触れた頬が、少しだけ湿っていることに気付く。睫毛には細かな水滴が付いていた。泣いていたのだと気が付いたのはそれから少し経ってからで、ボクは小さくため息を吐いてやっぱり目を手の甲で擦った。傷がついたって、もうどうだってよかった。

昨晩とは違う乾いた髪が、柔らかく頬をくすぐった。「濡れたままにしておくのは良くないの」という「彼女」の声が頭の中に反響する。


「……確かに、濡れたままにしておくのは良くないね」


少しだけ自嘲気味にそう呟くと、のそのそとベットから起き上がってパジャマから制服に着替えると、自室を出た。朝が来ると、制服に着替えて、家族に挨拶を済ませて、洗顔をして、歯磨きをして家を出る。そんな行動をずっと繰り返している。そこに彼女がいないだけで、ボクの人生はあまり変わらないのだ。

 ボクは人の少ない電車に乗って座席に座ると目を閉じる。カタンカタンと言う規則正しい音に耳を澄ませた。最寄り駅まであとどれくらいだろうと思い、携帯の乗り換えアプリを立ち上げようとスリープモードを解除する。すると、光を放つ画面に写された通知に、思わずこくりと息を呑んだ。


『おはようございます、白石です。今日お話ししてみますね』


 そう書かれた文字に、少しの間 逡巡してから指をキーボードの上でゆっくりと滑らせる。10文字程度の言葉をやけにゆっくりと打ち出して、右脇の紙飛行機のマークを押した。


『おはようございます、塩瀬です。ありがとうございます。よろしくお願いします』


 そう打つと、小さくため息を吐いて空いた電車内を見回してから窓の外に視線を向ける。薄い橙色の光が、ゆっくりと街を染め上げてゆく。

 嗚呼どうか、今度こそ間違えないように。今度こそ、今度こそ、今度こそ────今度こそ、誰も傷付けないように。

 そう思いながら、ボクはそっと目を閉じる。「アキはずっとそのままでいてね?」と言う「彼女」の声が、そっと首を絞めているような感覚がして、無意識に爪で首もとをカリカリと掻いてため息を吐いた。各駅停車の電車の中に、少しずつ人が乗ってくる。ボクの姿は沢山の人の中に埋もれ、やがて見えなくなる。


 ────ねぇ、アキ。私を忘れないでね?


 沢山の人の中、「彼女」の声が耳元を掠めたような気がして、思わず顔をあげて辺りを見回す。けれど、「彼女」の姿はどこにも見えなくて、再び爪で首もとをカリカリと掻いた。


 ────ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい


 頭の中で繰り返し呟いたその言葉は、脳内で反響してボクの首をじわじわと締めてゆく。


 ────ごめんなさい


 掻いた首もとから、じわりと痛みが広がってゆく。そんなことにまで、許されていないような気がした。


(どうか、ボクを許さないで)


 まるで許されないことに救いを見出だしているような、なんともちぐはぐな感情を食みながら、許しを断るように再び首を掻く。滲んでいく痛みがまるでボクを拒否しているようで、それが少しだけ救いだった。

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