閑話 シオン④-2/橘 紫園
ふと目が醒めると、自室の天井が真っ先に視界に飛び込んでくる。それに一瞬だけ戸惑って思わずベッドから半身を起こすと、窓の外には藍色の暗闇が広がっていた。微かに痛む頭を抑えながら「どれくらい寝ていたんだろう」と手元に置いておいた携帯電話の電源をつけると、そこに表示された時刻に予想以上に寝てしまったことを実感して思わずため息をついた。
あたしは発光する画面に眉を顰めながら、少し考えてから画面ロックを解除してメッセージアプリを開く。数少ない友人欄の中から『アキ』と言う名前のユーザーの電話番号をタップして携帯電話を耳にあてれば、電話の向こうではやけに無機質な呼び出し音が鳴っていた。
『……はい、どうしたの? 橘さん』
数回のコール音ののちに聞こえてきた声は、あのいつもの鼻に付く態度では無くて。それが少し気になって「……どうかした?」と尋ねれば、電話口の向こうで彼が小さく笑った気配がした。
『別に何もないよ。……なにか用?』
こちらを探るような声に、思わず眉間に皴が寄るのが解った。あたしは小さく溜め息を吐くと「……別に、恋人に電話を掛けるのは普通のことでしょう」と言えば、彼は珍しく一瞬だけ息を止めると『そっか』とどこか呑気に言った。
『普通の恋人って、こういうときは喜ぶべきなのかな』「さあ」
乙木君はあたしの素っ気ない言葉を聞くと、何がおかしいのか楽し気に笑い声を上げる。紫音さんになれなかったから電話をかけたのだと正直に伝えれば良いはずなのに、それを電話越しの彼に言うことはなぜだか少し癪に障った。
「……ねぇ」『ん?』
あたしは起こしたままの半身を壁に預けながら「……あなた、」と声をかける。わずかに震えてしまうのが、少し情けなくも感じた。緊張を誤魔化すようにかさついた唇を舐めれば、僅かにささくれた表面に舌が引っ掛かって、微かな痛みを伴った。
静かな家の中には、あたしの呼吸音と携帯電話の微かな熱が横たわっている。あたしはそれらをかき消すように目を閉じてから、小さく溜め息を吐いた。
「……ううん、やっぱり何でもないわ」『そう? 何かあれば遠慮なく聞いてよ。付き合ってるんだからさ』
どこか自虐的にも聞こえる乙木君の言葉が少し引っ掛かった。けれど、それに何かをいう事は偽物の恋人の立場を超えてしまっているな、なんて思い直して口を噤む。様子がおかしかったから心配したと伝えれば良いだけなのだけど、幼い頃からそんなことを伝えたのはアキだけだったから、アキ以外の人に伝えるのは少し戸惑ってしまう。もっとも、彼にそんな気遣いをしてもあまり大きな意味は無いが。
『……橘さん?』
少し訝しげにあたしの名前を呼ぶ声に、はっと意識を引き戻す。そうね、と返した自分の声が、やけに他人事のようにも聞こえた。
「あなたと付き合ってるのも、全部アキのためだけど」『はは、酷いな。それって世間では浮気って言われるんじゃない?』
いつものように嫌味を交えてそう言ったあたしの言葉にそんなつまらないことを返す乙木君に、「あなたにそんな可愛げがあったわけ?」なんて返してしまう。
「そんな可愛げがあれば、今頃紫音さんもあなたに会いに来ていたんでしょうね」
ついいつもの調子で嫌味を言ってしまってから「しまった」と感じたものの、乙木君はもう慣れてしまっているのか、それとも本当にあたしの言葉になんて関心がないのか、『酷いなぁ』と楽しそうに呟くだけだった。
『今の言葉を、そっくりそのまま塩瀬に聞かせてやりたいよ』「……アキには言ったことないわ」『へぇ? 愛されてるんだね、塩瀬って』
羨ましいよと呟いた乙木君の言葉に、思わず「羨ましい?」と聞き返せば、乙木君は『冗談だよ』とあたしの言葉を軽く受け流す。それに眉を顰めて「ねぇ」と声を掛ければ、彼は自分の失言に呆れたように小さくため息を吐くと『そう言えば、今日のデートはどうだった?』なんて話の方向をすり替えてしまう。それに文句を言おうと口を開いたものの、そんな気力も湧かずに「……どうって、普通よ、普通」と言えば、乙木君は珍しく『はは』と軽く笑った。
『君が普通って言うってことは、僕は少なくとも赤点は免れたわけだ』「まぁ、そうね。アキが通ってる高校も見れたし、空の宮市自体のことも少しは知れたし」
悪くなかったんじゃないと続ければ、乙木君はくすくすと笑いながら『塩瀬にも会えたし?』と探るような声色で呟いて。「そんなんじゃないわ」と返せば、『あぁ、そう?』と笑った。
「あなたね────」『冗談だよ』
文句を言おうと口を開いたあたしの言葉を交わすようにのんびりと呟く彼に、あたしは小さく溜め息を吐く。こんな面倒臭い男、アキの身代わりでもなければ願い下げだなんて思いながら。
「だいたいあなたこそ、星花で何を調べたかったわけ?」『あぁ、あれは学外から見える星花の防犯カメラの数だよ。星花の理事長って結構有名な企業の人らしいし、星花には寮もあるからどれくらい警備が厳重なのか確認しようと思ってね。流石に全部は見て回れなかったけど、ざっと見ただけでもかなりの数があったから、学外から正攻法で塩瀬に近づくのは出来そうにないなぁ』
乙木君はのんびりとそう言うと、『あれだと塩瀬を呼び出すだけでも結構骨が折れるよね』と呟く。『車は無いし、君も僕も塩瀬は顔を知ってるから直接呼び出す訳にもいかないし。空の宮まで会いに行くのはやめた方が良いのかなぁ』なんて呑気な言葉を続けた。
『まぁそれはこっちの問題だから、君は別に気にしなくて良いよ』「……アキに暴力をふるったりしないのなら、後はあなたに任せるわ」
どうせ聞いたって教えるつもりはないんでしょう言外に滲ませれば、乙木君は『それは気にしなくても良いよ』と返す。
『問題を起こして第三者に加入されても面倒なだけだからね。この計画はあくまで、君と、塩瀬と、僕の三人で終わるためのものだよ。もちろん、星花の人を巻き込むこともない。……まぁ、巻き込みたいのなら話は別だけど』
とんでもないことを平然と言ってのける乙木君の言葉に、あたしは眉間に皴を寄せながら「関係ない人は巻き込まないでって言ったでしょ」と言えば、彼は『嘘嘘、冗談だよ』なんてのんびりと呟いた。
あたしは彼の言葉を聞くと、彼に聞こえるようにわざと大袈裟な溜息をつく。とはいえ肝心の彼は、『深呼吸?』なんて訳の分からないことを言っていたのだけれど。
それからは、あたしが尋ねて、乙木君が答えると言う会話を何度か繰り返すと、やがて話すことも全て話し終えてしまったあたしたちの間には、あまり意味のない無言の静かな時間が流れていて。それに小さく溜め息を吐けば、乙木君は何が楽しいのかくすくすと笑っていた。
そう言えばずっと昔、こんな夜はアキといつも一緒にいたな なんてぼんやりと思い出す。あの子があたしを家に招いてくれたり、あの子があたしの家に来たり、その方法は様々だったけど。少なくとも、あの頃のあの子は間違いなくあたしだけのアキだったのだ。あたしの後をついて回って、あたしの言ったことにはいつだって頷いて、あたしを褒めて、慈しんで、愛されている優越感で満たしてくれる魔法使いのような存在。だからあの頃のあたしはあの子のことを、友人で、家族で、自分の身体の半分のようにも感じていた。あたしがあの子に出会った時に感じていた『あたしがあの子を守ってあげないと』と言う純粋な庇護欲は、一緒に大人になってゆく過程で『あたしだけを信じていれば良い』と言う感情に変わっていって。だから実際あたしはアキの交友関係のすべてに口を出していたし、アキもそれを受け入れるべきだとも思っていた。だって、あたしはアキのためにやっているんだから。あたしが一番、あの子を理解しているんだから。
(あたしはいつだってアキのために生きてきたし、あたしが一番あの子のことを解っている。あの子にはあたしじゃないと駄目だし、あたしにもあの子じゃないと駄目なのよ。だって、あたしたちはずっとそうやって生きてきたんだから。……なのに、)
あたしは今日、電車の中で呑気に眠っていたアキの姿を思い出す。あたしはあなたがいなくてこんなにも苦しいのに、こんなにも辛いのに。毎日毎日、寝ても覚めてもあなたのことばかり考えてしまうのに。なのにあなただけが楽しんで、あなただけが幸せだなんて狡いじゃない。あたしの知らないあなたを星花女子学園の人は知ってるなんて、そんなの不公平じゃない。
(あんな風に楽しそうに電車の中で眠ってるアキなんてあたしは見たことないし、あんな風に無防備なアキなんてあたしは知らない。……あたしを置いて行ったのはあなたなのに、あなただけが勝手に大人になってしまうなんて許せない────でもあたしが無理矢理あの子を連れ戻しても、あの子を幸せにしてあげられる保証もない。そんなこと、解ってるのに)
「……幸せになんてならなければ良いのに」
思わず呟いた言葉は、予想以上の重さと湿度を持って吐き出されてゆく。自分の口から飛び出たその言葉に驚いて思わず口を手で覆えば、乙木君は電話の向こうで『熱烈なんだね』なんて呑気に呟いた。
『それで? まさか、塩瀬への熱い想いを聞かせるために、僕に電話した訳じゃ無いんだろ』
あたしたちの間に流れる沈黙を破ったのは、やっぱり乙木君だった。空気を読まないような呑気な声に眉間に皴を寄せながら「何よ」と素っ気なく返せば、乙木君は笑い混じりに『何か聞きたいことがあるの?』なんて呟く。あたしはその言葉を聞くと、小さくため息をついてからゆっくりと呟いた。
「……しつこい。何もないって言ったでしょ」『はは、手厳しいな。わかったよ、もう聞かない』
乙木君はまるで聞き分けのない子どもをあやすようにそんなことを言う。すべてを見透かされているようなその言い方が妙に癇に障ったものの、今この男と喧嘩をすると全部が水の泡だと思い直してあたしは小さくため息をついた。
あたしはこの男と話すと、時折自分がおかしいのか相手がおかしいのか解らなくなる時がある。どっちもかなんて思いながら、あたしはベッドの上で腰掛けるような体勢に直すと後頭部を壁に預けた。
「……あたし、高校生ってもっと大人なんだと思ってたわ。アキがいなくなっても、あたしは大丈夫だって思ってた」
でも違うのねと呟いた言葉は、乙木君のこちらを小馬鹿にするように鼻で笑う声にかき消されて。それに思わず「馬鹿にしてるわけ?」と眉間に皴を寄せれば、彼は『してないよ』と彼にしては珍しく柔らかな声で呟いた。
『外側から見る景色と、実際になってみる景色が違うのは当たり前だよ。君は単に今まで見ていた景色が急速に変わったから、それにギャップを感じているだけなんじゃない』
乙木君はそう言うと、ふっと小さく息を吐く。どこか笑ったようなその声に「……どうかした?」と聞き返せば、『それで?』と呟いた。
『それで? いったい何の用があってわざわざ電話を掛けてきたの?』
どこか呆れたような、それでいて面白がるような乙木君の言葉を聞いて思わず眉間に皴を寄せれば、乙木君は黙り込んだあたしを面白がるように『ねぇ?』と問い掛けてくる。
「……別に、用なんかないけど」『ふっ……あぁ、そう?』
あたしの言葉を聞いた乙木君は、どこか小馬鹿にしたように鼻で笑って。『じゃあ、僕の勘違いってわけだ?』なんて呟く。どこか小さな子供を相手にするような言葉遣いに、彼に聞こえるように舌打ちすれば、それを聞いた彼は少し楽し気に笑っていた。
『橘さん』「何よ。ひとしきり笑って満足したの?」『ふっ……まぁね。お陰様で』「何がお陰様よ。馬鹿じゃないの。用なんかないって言ってるでしょ」
暫く笑った後、乙木君は声を震わせながらあたしの名前を呼ぶ。あたしは結局目的を果たすことが出来なかったことを内心腹立たしく思いながら冷たくそう返せば、彼は言葉の端々に笑いを滲ませながら『そんなに怒らないでよ』と呟いた。
『君が意外と人に気を遣うタイプだって知れてよかったよ』「気持ち悪いこと言わないでくれる? あたしは、」『あたしは?』「……ちっ」
あたしは彼の言葉に舌打ちをすれば、彼はあたしの反応を面白がるようにくすくすと笑う。小馬鹿にしたような反応に、あたしは内心こんな奴に気遣いなんてするんじゃなかったと思いながら「もう切るわよ」と通話終了ボタンを押そうとした────時だった。
『────シオン』
不意に、懐かしい呼び方があたしを呼んだ。それに思わずぴくりと肩を動かしてしまうのは、いったいどうしてなんだろう?
「……『なぁに、アキくん』」『ふっ……今は君に言ってるんだよ、シオン』
電話の向こうのアキは、酷く似つかわしくないほど優しい言葉を吐いて。「どういうつもり、気持ち悪いのよ」と言おうと口を開いたあたしは、自分の口から飛び出した言葉に驚いてしまう。
「……アキ?」『……そうだよ、シオン。変なこと言うね』
どこか縋るような自分の声に、電話の向こうの乙木晶は優しく返す。これはアキじゃない、こんなのはごっこ遊びの延長にすぎない。そんなことは理解しているのに、携帯を持つ自分の手が震えてしまうのが解った。
彼はきっと、あたしだけのアキを演じている。あの電車にいた、星花女子学園の塩瀬晶じゃない、泣き虫で、臆病で、従順で、穏やかで、そして誰よりも優しいあたしだけの『アキ』を。それが一体どういうつもりでしているのかは、解らないけれど。
あたしはこくりと息を呑むと、緊張で僅かに乾いた唇を舐める。ざらりとした舌が、あたしの唇をなぞっていったのが解った。
ああもう、どういうつもりだって良い。今この瞬間だけは、この人は『あたしだけのアキ』だ。星花女子学園の生徒でもない、あたし以外の女の子を好きな訳でもない、あたしだけの可愛い可愛い王子様。
「……アキ」『うん』「……アキ」『なぁに、どうしたの、シオン』
電話の向こうにはアキがいた。優しくて、穏やかで、従順な可愛い可愛いあたしだけのアキが。あたしが喉から手が出るほど、欲していたアキの熱が、そこには確かにあったのだ。
「アキ、あたし、あなたのことが大好きよ」『うん』「誰よりもあなたのことを愛してるわ」『うん』「あたしを好きって言って、アキ」『うん、ボクも好きだよ。シオン』
くだらない茶番劇だと、頭の中であたしが呟く。そうだって別に構わないと、あたしは小さく息を吐く。頭の中に浮かんできたあの時のアキの怯えた顔を振り払うように、あたしは何度か深呼吸をすると、ゆっくりと呟いた。
「あたしが一番だって、言って? アキ。一番好きだって、星花に行って後悔してるって、好きな人なんていないって。……言ってよ、アキ」
情けなく震えるあたしの言葉に、電話の向こうのアキはふっと小さな息を吐く。笑っているのかもしれないな、なんてぼんやりと思った。
『……君が一番好きだよ、紫園。ずっと君が一番だよ』
電話の向こうからその言葉が聞こえた瞬間、あたしは急に自分の胸が空っぽになっていくのが解った。望んだ言葉を得られたはずなのに、満ち足りたはずなのに。なのに、どうしてか苦しくて、痛くて堪らないのだ。
あたしの知らないところで、一人で大人にならないで。あたしの知らない人を好きにならないで。あたしのことをずっと考えて、傷ついて、あたしを憎んで、許さないでいて。ずっと、ずっと、この先も。
『……橘さん? ……もしかして君、泣いてるの?』
ほんの少し戸惑ったような乙木君の声に「そんな訳ないでしょ」と返そうとして。それでも、出てくる言葉はずっと嗚咽ばかりだ。
自分で手放したのに、どうしてあたしは泣いているんだろう。酷いことをしているのが解っているのに、まるで自分が被害者みたいにどうしようもなく泣けてくるのはどうしてなんだろう。許されないことが解ってるのに、許して欲しいと思ってしまうのはどうしてなんだろう。好きなものを時々無性に傷つけたくなるみたいに、アキをどうしようもなく傷つけてやりたいと思うのはどうしてなんだろう。傷つけることが解っているのに、欲しいと願ってしまうのはどうしてなんだろう。手に入ったらきっと、あたしは今まで以上にあの子を傷つけることを理解しているのに。
どうして────どうしてあたしも彼も、上手に生きていけないんだろう。人を上手に大切に出来ないんだろう。
液晶に表示された通話時間は、淡々と時刻を刻んで。乙木君は静かに黙ってあたしの言葉を待っている。早く切らなければと思うのに、どうしてか通話終了のボタンを押せないでいる。
誰もいないリビングに、薬局で貰った処方箋。開けられた銀色のブリスターパックと白い錠剤は机の上に無造作に散らばって、あたしに興味がない両親は今夜もどこにいるのかわからない。
あなたはどんどん大人になってしまうのに、あたしだけがいつまでも一人ぼっちで、この家であなたが迎えに来るのを待っている。きっとずっと、この先も。あなたばかりが大人になって、やがてあなたはあたしを置いて行ってしまう。あなたが大人になってしまったら、あなたの世界が広がってしまったら、あなたは今度こそあたしよりずっと素晴らしい人が世の中には沢山いることに気付いてしまう────そうしたら、あたしはどうすればいいの? あたしにはあなたしかいないのに。あなたしかあたしを解ってくれないのに。あなただけが、いつもあたしを見つけてくれたのに。受け止めてくれたのに。認めてくれたのに。……あたしを愛してくれたのは、いつだってあなただけなのに。
(アキ、あたし、あなたのことが大好きよ。いつだってあなたがあたしの後をついてくるたびに、あたしは自分が一人じゃないことに救われていたわ。あなたに対して感じていた優越感が、愛情が、身勝手な庇護欲が、いつだってあたしを孤独から守ってくれた)
本当はきっと、アキがいなくて苦しいのはあたしだけだ。アキを連れ戻したいのも、傍にいて欲しいのもあたしだけ。あなたはどんどん大人になってゆくのに、あたしだけがあの頃からずっと大人になれないままでいる。あたしだけがずっと、あなたと過ごしたあの夏の中であなたが戻ってくる夢を見ているのだ、きっと。
あたしが一番だって、あたしが好きだって、星花に行って後悔してるってその言葉も、本当は全部あなたの口から聞きたかった。あたしだけのあなたでいて欲しかった。戻ってきて、あたしが一番だってあの穏やかな笑顔でそう言って、晶。あたしを好きでいて。あたしを忘れないで。あたしをずっと覚えていて────だけど、あたしを許さないで。
「────乙木、君」『うん』「あたし、アキのことが大好きよ。本当に、心から大好きなの」『うん、知ってるよ』
情けなくぼろぼろと零した言葉に、電話の向こうの乙木君は静かに相槌を打つ。電話の向こうの乙木君は、いつもよりも優しい気がした。
『橘さん』「……なによ」『あんまり泣くと、紫音さんと別人になるからやめて欲しいな』「……馬鹿じゃないの」
相変わらず訳の分からないことを言い出した彼の言葉に呆れて、それでも少し笑ってしまえば、電話の向こうの彼も少しだけ笑ったような気がした。




