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君に捧げる花の名は、  作者: ???
エリカ
32/50

二十九輪

 

「────偶然だねぇ、塩瀬? 今帰り?」「え、あ、あぁ、うん。そろそろ中間試験前だから」


 怯える様な気持ちを隠して言えば、乙木君は「あぁ、そんなに怖がらないでよ」と苦笑した。


「別にとって食べやしないよ。懐かしくて声を掛けただけ。……ああ、ここで会ったのも、もちろん偶然だよ」


 乙木君はそう言うと、やはりにこにこと微笑んで。「そう、そっちもそろそろ中間試験なんだね」と続けた。


「僕のところは二週間後なんだけど、君のところは?」「え、あ、ああ、ボクのところもそう」


 何処か居心地の悪い気持ちを持ってそう返せば、乙木君は「そう、お互いに大変な時期だね」と笑って。その顔はやっぱり、兄さんによく似ていた。


「……ああ、そう言えば前に聞いたことだけど」


 乙木君はやはり底の見えない笑みを浮かべながら、穏やかな口調でそう聞いて。ボクはどうしてか、うまく彼の顔が見られない。


「────前、って」「はは、忘れちゃったかな?」


 乙木君はそう言って苦笑して。ボクはどうしてか、その場から逃げ出すことが出来ない。

 彼の胸の辺りに位置する、進学校の校章が目に映った。金糸で縫われているのか、日の光を受けて微かに煌めいている。ここら辺では有名な進学校の一つだった。

 乙木君はこちらに近づくと、まっすぐにボクの目を見て。それから柔く微笑むと、形の良い薄い唇を楽し気に開く。


「シオンの花言葉の話だよ。……ねぇ、塩瀬」


 ────()()()()()()()()()()()()()()()


 毒を含むような乙木君の声が聞こえる。それは脳の奥を勝手に這いずり回って、無遠慮に心を逆立たせる。

 乙木君の笑顔からは、いつもと同じく何の感情も読み取れなくて。それが酷く居心地が悪いだなんて思ってしまう。


「言っている意味が解らない」「そう?はは、でも、そうは見えないなぁ」


 目の前の乙木君はそう言ってにこにこと微笑んで、短く切られた髪を耳に掛ける。ほんの少し俯いたその表情は、どうしてだか兄によく似ていた。

 薄橙色に染まった空が、乙木君を微かに染める。白い肌が橙色に染まって、柔和な笑みとは対照的な底なし沼のような瞳が、まっすぐにボクを見つめていた。

 ひくりと小さく喉が跳ねた。言葉が喉の奥で張り付いたように出ては来なくて、ボクは俯いてから、ゆっくりと言葉を吐き出す。


「────君には関係ない、だろ」


 やっとの思いで出た言葉を乙木君に伝えれば、乙木君は相変わらず腹の底が見えない笑みを浮かべていて。やがて薄い唇が柔らかく弧を描くと、「そうだね」と小さく笑った。


「確かに、()()()()()()()ね?……ああ、ねぇ、塩瀬。君に見て欲しいものがあるんだよね」


 乙木君は含ませるようにそう言うと、おもむろに携帯電話を操作する。ボクは何となく帰るタイミングを逃してしまったなんて、何処か舌打ちをしたい気持ちを隠しながらぼんやりと窓の外に視線を移して。「あぁ、これこれ」と、彼の差し出した携帯電話の画面に映し出されたアカウント名を見て小さく息を呑んだ。


「────なんでそれ、君が」「なんでだと思う?星花女子学園高等部の、塩瀬晶さん?」


 乙木君が手に持っていた携帯電話の画面に映し出されたのは、紛れもなくボクのアカウントだった。鍵を掛けてしまっているから、一般的に公開はされていないはずのアカウント。それを知っているという事は、恐らくボクの知り合いの中に彼が居ると言うことで。

 パニックから何も返せなくなってしまったボクを見て、乙木君は少し呆れたように溜息を吐いて。兄に似たその顔は、少し意地が悪そうに薄く形の良い口元を歪めると、「君、本当に何も知らないんだな」とせせら笑う。


「────誰?」「教えられないな。()()()()()()()()()()


 言外に含ませた意味に気が付いたのか、乙木君はにこにこと笑って携帯電話の画面を自分の方へ向けると、画面を落として制服のポケットにしまう。兄に似たその顔が柔く目をすがめて、「ああ、そんなに怖い顔しないでよ」と呟いた。


「君とは友達になれそうだと思ってるんだけどねぇ」「────は、友達?」


 冗談だろと思いながら聞き返せば、乙木君は相変わらずにこにこと微笑んだまま「冗談だよ」と訂正する。それに何処か得体の知れない気味の悪さを感じていれば、胸ポケットに入れていた乙木君の携帯が低く唸り声を上げた。

 乙木君は「あぁ、ごめんね?」と断ってから携帯電話を操作すると、やがて何が面白いのかころころと笑い声をあげる。そして一瞬だけぴたりと動きを止めると、ゆるりとこちらを見て、やっぱり笑った。


「あぁ、ごめんね。もうすぐ彼女が来るって連絡があって」「……え、あ、ああ、そう」


 内心、彼の言っていた約束が、誰との約束なのかは気になったけれど。それよりも今は、この場から逃げ出してしまいたい気持ちの方が強くて。「助かった」と思いながらそう言えば、乙木君は酷く残念そうに「まだ話したいことがあったのになぁ」と言って微笑んで。やけに嗜虐的なその物言いに、頭の奥が痺れるような不快感を感じた。


「────あの、さ」「うん?どうしたの?」


 彼の態度に微かに首を絞められているような不快感を感じながら、「ボクの想像だったら申し訳ないんだけど」と前置きをしてから、その黒く光のない、二つの目を見つめた。


「────ボク、何か君に嫌われるようなことをしたのかな。久しぶりに会ったにしては、やけに突っかかるよね?」


 思わずそう尋ねれば、乙木君は一瞬────本当に一瞬だけ、驚いたように目を見開いて。それからすぐに、動揺を呑み込むように再びにこにこと笑うと「えぇ?」と、彼にしては珍しい素っ頓狂な声を上げた。


「僕、君が嫌いだなんて言ったっけ?」「……いや、言われてない、けど」


 ボク濁すように語尾を沈めれば、彼は「そうだよね?」と相変わらず底が見えない笑みを浮かべて。「そもそも君とは、そんなに話したことも無かったんだからさ」と続ける。

 電車の発車ベルが駅構内に響いていた。アップテンポな鐘の音はこの場には酷く似つかわしくなくて、けれどどこか、それが正しいような気がしていた。

 やがて電車が到着したのか、改札には他校の高校生たちで混みあい始めて。すれ違いざまにちらちらとこちらを見られる視線に居た堪れなくて目を伏せれば、乙木君は「ああ、残念」と呟いてから、「引き留めてごめんね、塩瀬?」と笑う。


「突っかかっていたつもりはないけど、そう思わせたなら謝るよ。ごめんね」「……いや」


 悪気があるのかないのか読み取れない表情で謝られれば、ボクもどうしていいのか解らなくて。どことなく気まずい気持ちで「ボクも、ごめん。言い過ぎたかもしれない」と言えば、乙木君は酷く楽しそうにころころと笑って、「君は悪くはないと思うけどねぇ」と呟いた。


「そんなに警戒しなくても、僕ももうテスト期間だから暫く君の前には現れることは無いよ────もちろん、君のアカウントとその周辺の人に危害を加えようとも思ってないし、君の学校と本名、住所をネット上で拡散しようなんてことは何一つ考えていない。そんなのは、僕に何の利益もないからね」


 こともなげにそう言い放つ乙木君に「じゃあ利益があれば言うのか」なんて呆れたような気持ちで見れば、乙木君はその視線に気づいたのか苦笑して。そうしてから、「ねぇ、塩瀬」と改まった口調で尋ねてきて。それに「なに?」と返せば、乙木君はにこりと微笑んで。「だから君に聞きたいことがあるんだよ」と呟いて、笑った。



「────()()()()()()()()()()()()()()?」



 その声に、口調に思わずびくりと肩を跳ね上げれば、乙木君は「あぁ」と楽しげに呟いてから、「見つかったんだね」と笑った。眼鏡の奥の瞳は酷く優し気で、だからこそ、ボクは彼がどんな気持ちでいるのか解らない。


「────知らないよ」「知らないはずないだろ?塩瀬。……ああ、それとも言えないのかな」


 どうして言えないんだろうね?と、彼は心底不思議そうに笑う。知っているのに言わないなんて、不公平だよねと続けた。


「君はきっと、いつもそうやって知らない振りをして過ごしていたのかもしれないけど────それは、君の周りの人が、君の目を塞いでいたとも言えるけど────そんなのってさ、君の周りにいる、()()()()()()から見れば、酷く不公平だと思わないか?」


 ────知らない、解らない、好きになっちゃいけない。そんな駄々を捏ねることが通るのは子供だけなのにねぇと言って、乙木君は笑う。それは酷く楽しげで、それでいて酷く不愉快そうだった。

 ボクはその様子を見て結局俯いてしまえば、乙木君は「……本当に解らなかったのか」と、納得したように呟く。それは少し呆れたようで、それでいて諦めたようでもあった。

 携帯が再度低く唸り声を上げた。ボクのものではないから、恐らく乙木君のものなのだろう。乙木君は「あーあ」と楽しげに呟いて、「もうおしまいだね」と呟いて。携帯電話の画面を一瞬だけ確認すると、「じゃあね」とボクにひらひらと手を振って、駅の壁際まで向かってゆく。

 ボクはその様子をぼんやりと眺めながら、くるりと踵を返して、逃げ出すようにその場を後にした。……ボクは結局また、逃げ出したのだ。



 夕食と入浴を済ませてからテスト対策の勉強をしていると、携帯電話が低く唸り声を上げた。思わずびくりと肩を跳ね上げて、恐る恐る確認すると、差出人は川蝉さんで。その文字にほっと息を吐きながら確認すれば、『夜分遅くにすみません』と言う、何とも彼女らしい書き出しだった。


『テスト後に、園芸部で新しい花を植えようって白石さんと話をしていたので。もし塩瀬さんも宜しければ、お忙しくないときにでもいらしてください。白石さんも会いたがっていましたから』


 その文面に、彼女が一緒に帰ったときに、ボクを訝しげに見ていたことを思い出して。ああ、恐らく気を使ってくれたんだろうななんて苦笑して、『ありがとう。楽しみにしてます』とだけ返して、携帯電話を落とす。

 携帯電話のディスプレイは、夜の九時半を示していた。小さく欠伸をしてから、ボクは学習椅子に腰掛けると、ノートと教科書、そして配布されたテスト範囲のプリントを並べて問題を解いてゆく。

 父の撮った映画には、エンドロールがあった。決まった配役が決まった台詞をなぞるのだから、予測不可能な出来事は映画の中には起こらない。なぜならそれはあらかじめすべて決まっていて、そして必ず()()の意思で作られているものだから。


 ────例えばこれも全て、()()()()()()()()だったとしたら?


 ふとそんなことを考えて、思わずぴたりと動きを止める。例えば、と声にならない言葉が口から小さく零れた。

 例えば、乙木君の不可解な発言も、行動も、突然現れた[Aster]も、全てが()()()()()()()()()()()()()()()ボクが高校生活を上手に送れないことを、強烈に願う人が居たとしたら?その手段として、SNSを使用していたとしたら?

 ボクはシャープペンシルを置くと、携帯電話の検索欄をタップして[Aster 花]と打ち込んでゆく。そこから導き出された検索結果に小さく息を呑むと、振り払うようにかぶりを振って、携帯電話の電源を落としてから、逃げ出すように勉強に没頭する。


 ────偶然だ。そう、偶然。同じような名前の人なんて、世の中に沢山いるじゃないか


 ボクは昔から、色んなことを気にしすぎなんだなんて自分に言い聞かせながら、ノートに数式を書き連ねていって。正答を赤いボールペンで丸をつけながら、「偶然だ」と言い聞かせた。冷静に考えてみれば、ボクと関わりがあって異様なほどに執着しているであろう存在なんて、たった一人しか思い至らなかったのだけれど。

 それでも、()()が────紫園が、ボクのことを未だに覚えていてくれているなんて。そんな都合の良いことはありはしないのになんて苦笑して、滲み出る罪悪感をなじませるように息を吐けば、せりあがってくるような強烈な悔恨がじわりとボクを呑み込んでゆくような感覚がして。それに慌てて意識を逸らすように首元を強く抓って意識を逸らすと、乙木君のあのどこか嘲る様な居心地の悪い笑みを思い出した。


「────執着と言えば、乙木君はどうしてあんなにも「シオンの花の花言葉」に拘っていたんだろう」


 猫山さんくらいにしか教えていないはずのボクのSNSのアカウントを知っていたのは?鍵を掛けてしまっていたのに、ボクのアカウントを知っていたのは?ボクのアカウントを探したのはどうして?一体、なんのために?そもそもそこまで親しくなかったから連絡先も知らないはずなのに、彼はどうしてボクと同じ時間帯に現れるんだ?



「────君は、何をしようとしているんだ?乙木君」



 小さく呟いた言葉は、静かな室内に霧散していって。ボクは思考をかき消すように頭を横に振ると、赤いボールペンからシャープペンシルに持ち替えて、教科書の問題に完全に意識を移す。

 静かな室内には、ボクが丸を付ける音だけが残っていて。一人分の体温の中で静かに寄り添うようなその音が、今は少しだけ救いだった。

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