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君に捧げる花の名は、  作者: ???
黄色いチューリップ
3/50

三輪

 

「────あの、何かお困りですか?」


 胸の上まででゆるく二つに分けた焦げ茶色の三つ編みが、春独特の何処か暖かな風に揺れる。同時に、鼻を通って脳の裏側にこびりつく様な甘い花の香りが入り込んで来る。

 ボクは間抜けな事にぼんやりと口を微かに開けたまま、彼女の姿を見つめていて。その様子に戸惑った様に、彼女が再度「あの……?」と控えめに言葉を渡してくる。その様子にはっと意識を引き戻せば、彼女は幾分かほっとした様な表情をする。


「……こちらの学校、敷地が大分広いから……その、もしご迷惑では無ければ案内……」


 そう言ってぎこちなく微笑む彼女に、「あ、ありがとうございます」と言って校内図を渡す。微かに触れた手は、小さく震えていた。

 何だか申し訳無いななんて、自分の方向音痴さに嫌気がさしながら何処か苦々しい気持ちで彼女とともに校内図を見れば「どちらに」と控えめに尋ねる声に、写真部に行きたくてと答えれば、彼女は小さく頷いて校内図を見る。ボクはその様子を見つめながら「そう言えば昔もこんなことがあったな」なんて頭の片隅でぼんやりと思い返す。中学生になって初めての部活動見学も、校内でちょっとした隙に「彼女」とはぐれてしまって。結局「彼女」が、あちこち探し回ってくれたんだっけ。

 ボクは結局、彼女と向かう筈だった美術部の部室に辿り着けないまま一学年上の先輩に連れて行かれたバスケットボール部の説明会に何故か出席して。後から探しにきてくれた彼女に物凄く怒られたなぁなんて、そんな事ばかり思い出してしまう。

 嗚呼、本当に嫌になる。変わりたくて、新しい世界が見たくてへ来たのに。思い出すのは昔も今もずっと「彼女」のことばかりだ。

 苦々しい気持ちで校内図を見つめれば、突然ぱっと顔を上げた彼女とかちりと目が合う。わかりましたと呟いた声は、先程よりも明るい声だった。


「……その、こちらは園芸部の方向です。写真部は方向は、逆……です」


 彼女の細い指先が、地図の上をなぞってゆく。その道順に思わず溜息を吐けば、彼女の華奢な肩がびくりと震える。


「……あ、あの、すみません。差し出がましい真似をして」「えっ、あっいや、違います。こちらこそ本当にすみません」


 失礼でしたね、と謝罪をすれば、ふるふると左右に首を振った。その様子に不愉快にさせてしまった訳ではないと知り、ほっと息を吐く。教えられた道筋を頭に入れようと地図を眺めれば、「目印を」と言う声が聞こえる。


「……その、目印を決めて進んで行けば、迷わないかと……。階段、の隣の教室を目印にすれば、もしかしたらわかりやすいかもしれないので……」


 そう言って俯いてしまった彼女に、何処か「残念だな」と言う気持ちが生まれる。もっと顔が見てみたい、もっと話してみたい。もっと、彼女のことを知りたい。


(……でも、あまりじろじろ見るのは失礼か)


 そうでなくとも初対面なのだ。不躾にじろじろ見るのも、無理に話しかけて彼女の時間を奪ってしまうのも、どちらもとても失礼だろう────初対面で無かったとしても、失礼なことなのだけれど。

 そう思いなおすと、「ありがとうございます」と頭を下げて教えられた方向へ向かおうと踵を返す。少し歩いてからなんとなく彼女の方を振り返れば、ふわりとした表情で花を見つめていた。


 ────あんな風に笑うのか


 柔らかなその表情に、いつの間にか少しだけ上がっていた口角を戻して前を向く。そうしてから、教えられた道順を地図とにらめっこしながらゆっくりと進んでゆく。


(なんて名前なんだろう。……彼女の事、もっと知りたいな)


 思いがけずに出逢った温かな感情をゆっくりと噛んで一歩ずつ進んでゆけば、彼女とボクとの距離は少しずつ開けてゆく。柔らかな花の香りが、風に乗って何処かへと消えて行った。



「ええと────ここが、写真部……?」


 彼女に教わった方法で地図を見ながら、何とか写真部の部室へと辿り着く。と同時に、目の前の扉ががらりと開いた。


「あれ、見学希望かな?」「あ、はい。そうです。……あの、まだ見学って可能ですか?」


 迷ったお陰でだいぶ時間が掛かってしまったから、時間はあまり長くは残っていない。すると、写真部の先輩らしき人は「大丈夫だよ」と言ってゆるりと微笑んだ。


「でも、ちょうどついさっき見学希望の子が帰ったところでさ。だからあなた一人になっちゃうんだけど、それでも大丈夫?」「あ、はい。すみません」


 すると、彼女は「いいよいいよ」と言って部室の引き戸を引く。ガラガラと言う音が、がらんとした部室に響いた。


「ええと、じゃあ説明するから適当に座って貰っても良いかな?」「あ、はい」


 見慣れない場所に、ほんの少し緊張しながら椅子に座れば、「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ」と苦笑する。


「ええと、集まるのは文化祭の前後くらいで基本的には個人活動が多いかな。今のところ部員は11人くらい。ええと、一眼レフって持ってたりする?」


 こくりと頷けば「良かったー、あ、ちなみにデジタル?」という問いかけに「そうです」と返せば、目の前の彼女は安心したように「よかったー」と笑った。


「一眼レフって言うとだいたいデジタルだからさ、アナログのほうは先生くらいしか使えないし。あ、調節はそこのパソコンのソフトを使ってる。色味を変えたり、トリミングしたりもし易いし。ええと、一眼レフで写真を撮ったりはしてる?」「えっと、趣味で写真とか、短いカットを繋ぎ合わせて映像作品とか作ったりしてます。あの、本当に趣味なので、そんなに凄いものでは無いんですけど」


 そこまで言ってから、ふと今まで撮った写真の中身を思い出す。思えば写真の中身はほとんど「彼女」ばかりだったな、なんて。そんなことを思い出して、また自分自身に呆れてしまった。


「そう? じゃあ扱いについての説明はあまり要らないか。一応新しく入った子達にカメラの使い方の説明をする日があるから、もし入部を考えてくれているならその日は出席してもらえると助かるな」


 はいと答えた自分の声は何処か硬い声で、声と共に吐き出したその言葉はどうしようもなく他人行儀だった。



 「失礼しました」と頭を下げて写真部の入口の引き戸を閉める。からからという乾いたドアの音は、ざわめき出した廊下の声に掻き消された。


(彼女のお陰で助かったな。さっきはいきなりだったし、今度お礼を伝えに行かないとな)


 上級生なのかそれとも同級生なのかも解らないけれど、園芸部の方向にいたからもしかしたら園芸部員なのかもしれない。


(なんて名前なんだろ。学年は? クラスは? でもクラスでは彼女のことを見掛けなかったから、少なくとも1年2組ではないんだろうな)


 もしかしたら友達に、なんてお腹の中の奥深くがほんの少しふわふわと温かな感情(もの)で満たされていく。緩んだ口角を戻そうと頬に手をあてた瞬間、


 ────ねえ、アキ。あたしは貴女のこと、大嫌いよ。綺麗で純粋で、誰にでも優しくて、誰にでも良い顔をして


 聞き慣れたその声が、頭の中で反響する。絡み付くようなその声に、思わず緩んでいた口角が戻る。


(……そっか、そうだった)


 あれほど「彼女」を傷付けて悲しませた人間が、友達なんて作れる訳が無い。そんなことが許されるはずが無いよな、なんてそんなことを考えれば先程のふわふわとした温かな気持ちは途端に萎んでゆく。


(ボクはもう、誰も好きになったらいけないんだ。「彼女」を酷く傷付けて、悲しませて、そんなことをするくらいなら)


 ボクは小さく息を吐くと、教室へとゆっくりと進んでゆく。真新しい上履きが、リノリウムの床が微かに音を鳴らした。


(また誰かを傷付けるならもう誰にも興味なんて持たない方が良いのに、新しい生活で緩んだのかな)


ボクはせりあがってくる深い罪悪感から逃れるように首を抓りながら、小さく息を吐く。身体の痛みは心の痛みよりも的確で理由があって、そんなことにいつも安心してしまう。


(……もう、あんな思いは嫌だ。あんな辛い思いも、みじめな思いも、罪悪感ももう嫌だ)


 浮かんできた淡い感情を振り払うようにきつく瞼を閉じてから、自分の教室へ向かって歩いてゆく。名前も知らない「彼女」が教えてくれた場所から、だんだんと距離が開いていった。


 ────それでも、ボクは確かに知っていたはずだった。言葉にも出来ないほどの熱を、その熱に浮かされてしまった時の、恐ろしいほどの行動力を。……生まれてしまった感情がそう簡単には消し去れないことを、ボクは一番よく知っていた筈なのに。

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