二輪
次々と簡単な自己紹介を終えるクラスメイトを見つめながら、なかなか個性が強いクラスだなとぼんやりと考える。馴染めるのかな、と無意識に考えてしまった自分に、酷く嫌気が差した。
ボクはもともと、人付き合いがあまり得意な方ではなかった。昔から年の離れた兄がよく自分の遊び相手をしてくれていたこともその原因の一つだが、もともと集団生活にうまく馴染めないほうだったのだ。保育園で自分が浮いた存在であることは幼心に何処か自覚していたが、周囲の大人が自分を孤立させまいと気を配ってくれればくれるほど、ますます馴染めなくて、ついにボクは幼稚園生にして完全に集団生活に馴染めない子どもになっていた。
そんな周囲の大人の気遣いに一番敏感なのはきっと子供だったのだろう。大好きな先生たちが子ども一人に構ってくれる様子は傍から見ていて酷く面白くないものだったようで、ボクは次第に孤立していった。ちょっとした仲間外れや無視は次第に積み重なっていった。
物事に関心が薄かったとしても、やはり気分は良いものではなくて。ボクは少しずつ心の奥のしこりが固く大きくなってゆくのを無意識に感じていた……けれど。
─────ねぇ、あなたたち、そんなことしてはずかしくないの?
当時、彼女は今よりも舌足らずで。けれど、今と変わらずにとても正義感の強い女の子で。
「そんなことってどんなこと」なんて返された言葉に、うぐ、と言葉を詰まらせる彼女が、とても眩しく見えて。嗚呼、思えばあの時、ボクは初めて─────
「じゃあ、自己紹介はこれで。この後は、説明をしたあとに部活動見学と─────」
教師のぱんと手を叩く音に急速に意識を引き戻す。またぼんやりしてしまったと、自己嫌悪から沸き上がる、どこか苦々しい気持ちを噛み締めた。
望みの無いものをいつまでも引き摺るなんて馬鹿みたいね、なんて。何処か悪戯っぽく彼女が笑ったような気がしていた。
休み時間に入ると、途端に教室内は何処か遠慮がちな新学期特有のざわめきに満ちる。とは言え、中には全く交流をせずに机に伏して眠る子や携帯電話をいじる子もいるのだけれど。
どうしようかなと頭の中で考えれば、「ねぇねぇ」と言う何処か人懐っこさを感じる声が聞こえる。
「ねぇねぇ、名前、「あきらちゃん」って読むの?」
何処か人懐っこさを感じるその声に、小さく微笑みを返す。
「うん、そうだよ。ごめんね、まだ皆の名前覚えきれなくて。もし良ければ教えて貰っても良いかな?」「もちろん。私ね、佐伯。佐伯莉菜」と言うと、まるで花が咲くように柔らかく笑った。
「……可愛いね」
そう呟くと、「えっ」と目の前の彼女から裏返った声が出る。心なしか頬が赤い気がして、思わず頬に手を伸ばせば、彼女はますますうろたえる様に視線を左右に彷徨わせる。
「え、あの、名前がかわいいなって」「あ、あぁ、名前ね、名前……。びっくりした……」
頬が紅潮したままの彼女に首を傾げつつ、「びっくりさせてごめんね」と言えば、彼女は花が咲くようにふわりと微笑む。「晶ちゃん、面白い」と言う声に「そうかな」と返せば、「そうだよ」と彼女は続けた。
「じゃあ、君はボクのこと、もっと見ていてくれる?」
自分でも気付かなかった面白さがあるなら知りたいし、もっと他人とも関わりやすくなるかもしれない。もしも、彼女の視点で見たボクを知る事が出来るのならば、きっと彼女ともっと友好的な関係を築いてゆけるかもしれない。
そんなことを思いながら彼女の目を見つめれば、真っ赤な顔をした彼女がこくりと頷いた。その様子にほっと息を吐いてするりと手を離せば、彼女は「ああああの!」と声を上げる。
「ああああの、晶ちゃんは部活動見学を一緒に行く人って─────」
彼女が言いかけた時に、丁度良いタイミングで教室の引き戸が開いて教師がするりと入ってくる。「前向いてー」と言う声に視線を移せば、目の前の彼女は何処か残念そうな表情をして前を向く。
「……ね、良ければ、また話してよ。君と話すの、楽しいからさ」
ボクも話しかけるからとこそりと言えば、彼女は柔らかく微笑んでこくりと頷く。ボクは彼女に微笑み返してから、前を向いた彼女から担任の先生へと視線を移す。この後の流れを頭の中に入れながら、小さく溜息を吐いた。
─────"晶ちゃん"か
本当に高校が違うんだなぁなんて当たり前のことをぼんやりと思いながら、心臓の奥深くに彼女が刺さっているような微かな痛みを静かに呑み込んだ。
彼女は、ボクの名前を必ず「アキ」と呼んだ。「ちゃん」とも、「君」とも付けないその呼び方が酷く心地良かったことを覚えている。制服以外のスカートを穿かなくても、髪を可愛いヘアゴムで結わなくても、異性にバレンタインデーのチョコレートを渡さなくても、興味が無くても。彼女だけはボクのことを「おかしい」とは言わなかった。
「アキはそのままで良いの」なんて、そう言って笑うから。いつの間にかそこに依存してしまったんだろう。
─────アキの"性別"ってそんなに大切?
もっと大切な事があるじゃないなんて、彼女は確かにそう言って笑ったのだ。
「じゃあ、部活動見学に移ります。指定された時間までに教室へ戻って来てください」
そう言ってチョークはカツカツと小気味よい音をたてながら、黒板に白い文字を描いてゆく。付箋に書かれた時間をメモしてから配布された各部活の活動場所を纏めた冊子の表紙に貼り付ける。ぱらぱらとぺージを捲りながら、「写真部」の文字を探す。
(ええと、写真部は……あった)
"写真部"と書かれた文字に目を落とすと、手元にあった蛍光ペンで活動場所と時間にシュッと線を引く。「移動してー」と言う声に、筆記用具と貴重品を持って椅子をひくと、「晶ちゃん!」と言う声に急速に意識を戻す。
「晶ちゃん、もし良ければ一緒に見学に─────わっ!」
彼女が話しかけてくれた瞬間、上半身が前のめりにこちらへ倒れてくる。その様子に思わずのけぞると、彼女の友人であろう女子生徒が彼女の背中へ寄り掛かっていた。
「おーい、部活動見学行くよ!」「うう……ちょっと、もう……!」
彼女は寄り掛かる彼女の方へ視線を向けると、拗ねたように唇を尖らせる。その関係性が、何と無く昔の自分達を見ている様で酷く苦しくなって、つい顔を背けてしまう。すると微妙な表情をしていたのか、彼女に寄り掛かった少女の方が「誰?」と彼女に尋ねる。「晶ちゃん」と彼女が答えると、「いやいや全然解んないから」と呟いて苦笑する。
「塩瀬晶ちゃん。同じクラスで、席が前後なんだ。あっ、晶ちゃん。この子は、高野由里ちゃん。家が近くて、幼馴染なんだ」
由里ちゃんと呼ばれた少女は、「初めましてー」と答えると彼女─────齋藤さんのお腹にそっと腕をまわす。彼女はその様子に慣れてしまっているのか、されるがままの状態で「晶ちゃん、もし良ければ一緒に見学に行こうよ」と笑う。
「由里ちゃんも、一緒でも良い?」
齋藤さんが「由里ちゃん」を振り返ってそう言うと、彼女は一瞬だけ虚を衝かれたような表情をしてから、「もちろんだよ!」と返す。
その様子が、何処か身に覚えがある感情を思い起こさせて。思わず、言葉が口をついて出る。
「ええと、ごめん。ボク、急にお腹が痛くなったみたいで。待たせるのも悪いし、遠慮するよ」
そう言うと、彼女は一瞬目を伏せてから「大丈夫?」と気遣ってくれる。その言葉に、罪悪感がふつふつとわき上がるのを堪えてトイレの方へと向かう。
「ん、大丈夫。心配かけてごめんね。トイレに行ってくる」
ボクはそう言うと、するりと教室を抜け出す。「場所わかる?」という齋藤さんの声に「うん、ありがとう」と返してからざわざわとする廊下に出ると、小さく息を吐いてから手元の冊子に目を落とした。
嘘をつくことに罪悪感がないわけではなかったけれど。少なくとも、新参者が邪魔をするよりは気心が知れた人たちで行った方が良い。自分の存在は邪魔だからと思いながら、入学前から目を付けていた部活動を探した。
「ええと、写真部は────」
写真部と書かれた教室を地図で照らし合わせながら廊下を歩く。上履きが鳴らす音が微かに鼓膜で響いて。その音が、まるで自分の歩いてきた場所を示している様で、理由の無いほんの少しの寂しさに少しだけ目を伏せた。
校舎を地図と照らし合わせながら歩く。教室名と位置関係をきちんと把握された校内図は、とても解り易くて。これならとても迷いようが無いだろう────なんて思っていた。
────迷い様が無い、はずだった。
「……ここ、どこだ?」
頭上では微かな鳥の声と、春独特の何処か甘く柔らかい香りがゆるゆると鼻腔を擽る。ふと視線を彷徨わせれば、どうやら今まで歩いていた場所とは全く違う場所に辿り着いてしまった様で、困ったなと溜息を吐いて手元の校内図を見れば、「あの」と言う微かな声が鼓膜に響く。
優しげで、それでいて何処か心臓の奥が締め付けられるような声。ふと視線を移せば、二つにわけたゆるい三つ編みが視界に映る。
「……あの、何かお困りですか?」
そう言って、ほんの少し怯えた様な目で彼女がこちらを見た瞬間。何処からか、ふわりと香る花の香りが届いた様な気がした。