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君に捧げる花の名は、  作者: ???
ゴボウ
17/50

ゴボウは優しい夢を見る/川蝉 弥斗

※軽度暴力描写有り。苦手な方はブラウザバックをお願い致します

 ────子供の頃の記憶でいつも真っ先に思い出すのは、私を庇うように覆い被さる母の姿だ。「ごめんなさい」「許してください」と、壊れたテープレコーダーのように何度も何度も繰り返し呟いて。幼かった小さい私の体を、その痛みから守るようにぎゅっと抱き締めた。

 幼かった私は、目の前で与えられる理不尽な暴力を泣きながら見つめていて。けれど子供特有の甲高い声が(かん)に障るのか、その声を聞いた瞬間に母を無理矢理引き剥がして、私の背中を思い切り蹴った。

 サッカーボールのように、小さな私の体がフローリングの上を転がってゆく。「()()!」と、必死で私の名前を呼ぶ母の声が何処か遠くから聞こえていたような気がした。

 私が転がっているフローリングの床は、無垢の木と言う素材で出来ていて。「子供が走り回っても床が冷たくない素材にしたんだよ」と言って笑ったその人が選んだ床は、皮肉なことに暴力を振るわれて床の上に転がされても体が冷たくならない素材として活用されていた。

 髪を掴まれた母が小さく悲鳴を上げる。助けないとと思うのに、体が動かなくて。その暴力が服で隠れる箇所に集中しているのを眺めながら、「ああ、まただ」と頭の中でぼんやりと考えていた。



 ────()()()()()()()()()()()()()



 転がった缶ビールの空き缶と点々と床につく血痕を見つめながら、私はゆっくりと意識を手放した。機嫌が良かったときに父が買ってきて、それを見た母が花瓶に活けたキンセンカが、頭を垂れながら私達を見つめていた。




「────しおせ、あきらさん?」


 一年三組の教室で、同じ園芸部に所属している白石さんから話を聞いたのは四月に入って少し経ってからだった。「ええ」と微笑みながら話の合間に私に手作りのラッピングされたクッキーを差し出され、戸惑いながら受けとると「そうなんですよ~」と何事も無かったかのように話を続けた。


「────四月に校内で迷ってしまって、弥斗さんに案内して頂いたそうで。「お礼が言いたい」って、探していらっしゃるみたいです」


「どうしますか」と尋ねられた言葉に俯いて、曖昧に言葉を濁す。どう言えば良いのか解らずに、「律儀な、方ですね」と言えば「ふふ」と白石さんは微笑んだ。

 ────「どうしますか」とは、「会う意思があるのか」と言うことで。いくら星花の生徒とは言え、名前も存在もあまり良くは知らない人と会うなんて、恐ろしいに決まってる。


 ────断ろう。…………クラスの人とお話しするだけでも、精一杯なのに。他のクラスの人なんて、怖くてもっと話せない


 断ろうと口を開いた瞬間、飛び出してきた言葉は真反対で。そんな言葉が出てきたことに、自分が一番驚いてしまった。



「────…………わかり、ました」



 飛び出した言葉は予想外で。あっと思い、慌てて取り消そうと口を開けば、「良かった」と白石さんが微笑んだのと同時で。


「塩瀬さん、本当に弥斗さんに逢いたいようでしたので────…………。じゃあ今度、都合のつく時間を────」


 不自然に言葉を切った白石さんを見れば、普段から温厚な彼女にしては珍しく眉をひそめていて。少しだけ興味本位でその視線の先を追えば、二年生の学年章を身につけた女性がにこにこと微笑みながら教室の出入り口に立っていた。


「やぁ、白石さん。こんにちは」「────あらあら、こんにちは、酒田先輩。こちらは一年生の教室ですが、何か御用ですか?」


 酒田先輩と呼ばれた女性は、「うん、御用だよ。君に見て欲しいものがあってね」と彼女に手招きをして。警戒心を強めた表情をしながら、「ごめんなさいね、ちょっと失礼します」と彼女がその場を立ち去った。


「あらあら、何でしょう?私、この後まだ部活でやらないといけないことが────」「まあまあ、今回のは最高傑作なんだ」


 にこにこと微笑む彼女に連れられ、白石さんは渋々と言った様子で教室を出て。私は園芸部の花の水やりの為に、持参したエプロンを鞄から取り出した────瞬間だった。



「きっ、きゃぁぁぁぁ!」



 普段は温厚で大きな声も出さない白石さんが、珍しく叫び声を上げて。その声にびくりと肩を震わせれば、慌てたような表情で教室に戻ってきた白石さんと目があった。

「どうされたんですか」と尋ねようとした瞬間、「弥斗さん!私、今日は先に園芸部に向かいますね~!」と、バタバタと教室を後にして。その後ろを小さく欠伸をしながら酒田先輩がのんびりと歩いて行った。

 私はその様子をぼんやりと見つめながら、はてと首を傾げて。白石さんに言われた言葉を、頭の中で反芻した。


 ────しおせ、あきらさん。校内案内、か


 そもそもどう言った外見の方なんだろうなんて、肝心な部分を聞きそびれてしまったことには気付かないままだった。




 ────結局のところ、人間の記憶力と言うものには人それぞれの個人差があって。目が回るほどの忙しい日常の中で、私自身も道端に咲く花弁を見るほどの余裕が無くなってしまっていたことは、避けようがないほどの事実だった。だから────


「────…………四月の最初に、教室を案内してくれて本当にありがとうございました」


 ────だから、その事を覚えていなかったことも、もしかしたら仕方のないことなのかも知れなくて。震える声で言葉を紡いでゆく、どこか中性的な目の前の少女を見つめながら、私は心の中で焦りにも似た感情を抱えていた。

「四月に校内案内をした」と言うことは、もしかしたらあったのかもしれないけれど。目まぐるしいほどの高校生活と、近頃は激減した父からの暴力がいつ再び母と私に向くのかを考える度に、毎日が気が気ではなくて。だから少しだけ、他者に対する気持ちが疎かになってしまっていた面もあるかもしれない。

 一瞬だけ、「このまま知っている振りをして、話を合わせてしまおうか」なんて考えが頭を(よぎ)って。けれど、それは目の前の「しおせあきらさん」に対して、不誠実なのではないかなんて考えてしまったから。



「────…………ごめん、なさい。あまり、覚えていなくて」



 舌先に乗せて、ゆっくりと「終わりの言葉」を紡いでゆく。始まりかけた関係性も、白石さんの気遣いも、目の前の「しおせあきらさん」の勇気も、何もかもを終わらせてしまう言葉。育てた花の花弁が咲かなかったみたいに、するすると感情が色褪せてゆく彼女を見つめながら、申し訳ない気持ちを食んで、彼女から目を逸らすように俯いた。

 気まずい雰囲気があたりに漂って、「しおせあきらさん」は慌てて言葉を紡いでゆく。

 彼女は必死に言葉を紡いで。気を遣われているのが、とてもよく解った。

 だから────だから一瞬だけ、反応が遅れてしまった。

 ふらりと塩瀬さんの体が揺れた。過呼吸に似た症状だ。それがストレスから来るものなのか、はたまた別のものなのか、彼女のことを何も知らない私には判別が出来ない。


 ────どうしよう。どうしよう。どうしよう


 焦りにも似た感情が、鎌首をもたげて呑み込んでゆく。塩瀬さんはその場に立っていられなかったのか、とうとう座り込んでしまって。けれど、()()()()()()()()()のか、ぽんぽんとその細い腕を一定のリズムで叩いて、無理矢理呼吸を安定させようとした。

「ごめんなさい」と、塩瀬さんが苦しげな呼吸の合間から言葉を紡いだ。ほとんど無意識のようだった。

 ごめんなさい、ごめんなさい、許してください、ごめんなさい────

 紡がれてゆく言葉は、何処か舌足らずで幼く聞こえて。泣き声にも似たその言葉を聞いて、思わず駆け寄って言葉を紡いだ。



「────…………ゆっくり、で、良いですから」



 なるべく優しく届くように、ゆっくりと言葉を紡いでゆく。急かされたときに慌てて紡いだ言葉ほど、後悔するものは無いから。

 背中を擦ろうと伸ばした手が震えた。がさがさとした布地のブレザーに触れようと手を伸ばせば、一瞬だけ彼女の手に触れる。触れたその手は、驚くほどに冷えきっていた。

 塩瀬さんは浅い呼吸を繰り返して、慌てたようにこちらを見つめる。整ったその顔に映る目は、迷子の子供みたいだった。

 私はゆっくりと言葉を紡いで、塩瀬さんの背中を擦ってゆく。柑橘系の香りが鼻腔を擽って、これはきっと塩瀬さんのシャンプーの香りなんだろうななんてぼんやりと考えた。


「…………その、私も話すこと、あまり得意じゃなくて。話すことも、男の人も、ずっと怖くて。…………その、自分に、自信もなくて」


 必死に言葉を紡いでしまうのは、目の前の彼女が私よりも幼く見えてしまったから。────踞る彼女の姿に、()()()()()()()()()()()()()()()()()

「気を遣わせてしまってごめんなさい」と、震える声で彼女が言葉を紡いだ。そうして、ほんの少し言い淀んでから、突然「あの!」と、澄んだその声を張り上げる。

 びくりと顔が強ばったのを感じた。私にとって大きな声は、無条件に恐ろしいもので。それを感じ取ったのか、「ごめんなさい」と塩瀬さんが言葉を紡いでから、大きく深呼吸をして言葉を吐き出した。



「────ボクと、()()になってくれませんか?」



 勢いよく、けれどどこか怯えたように彼女は言葉を紡いで。好きなものとか、嬉しかったこととか、幸せだって思う瞬間を共有したりとか────…………相手を知りたいとか、その関係性は友達なんじゃないかなんて紡がれた言葉に、思わず息を呑んだ。


 ────相手のことを知りたいなんて思ったことは、あまりなかった。どうすれば父に暴力を振るわれないか、どうすれば母を守れるか、毎日そればかり考えていたからだ。「幸せ」を共有したいなんて、思ったことも無かった。


「────私、は、」


 だから、彼女に自嘲的な言葉を吐いてしまったのも、何処か彼女を信じきれない自分が根底に居たからで。性善説を信じきれない自分が、ゆっくりと言葉を吐き出してゆく。


「────私は、塩瀬さんが思っているほど、優しい人じゃ、ありません。────自分に自信もなくて、コミュニケーションも、あまり得意じゃなくて。自分で自分を、認めてあげられない。」


 だから友達になれる資格なんて無いのだと暗に示せば、「それだって良い」なんて熱の(こも)った言葉に、一瞬呼吸を止めた。


「────っ、ボクは、君を────」


 塩瀬さんの、肩につくくらいの髪の毛の隙間から見える耳は赤くて。顔には全く出ないから、気付かなかったなんてぼんやりと考えた。

「君をもっと知りたいんだ」と、塩瀬さんは言葉を紡いだ。優しくない私のことも知りたいって、なるべく迷惑なんて掛けないからと紡がれたその姿が、何処か昔の私と被って見えた。

 頭の中で警笛が鳴る。この先を聞けば、もう他人じゃいられない。()()()()()()()()()()()を、緊張で震える左手を差し出して、塩瀬さんはゆっくりと紡いだ。



「────君が笑ってくれることを、知りたいんだ」



 反射的にその手をとった。すらりとしたその指は、彼女の姿形にとてもよく似ていて。けれども何処か、柔らかな感触を持っていた。

 何かが変わるような気持ちがして、私はゆっくりと「彼女」に視線を合わせた。その感情は、初めて植えた花が蕾をつけた瞬間にとても良く似ていた。



「────もしも、」



 小さく言葉を吐き出せば、繋がれた手を驚いたような表情で見つめていた塩瀬さんとかちりと目があって。整ったその顔が、心配そうにこちらを見つめる。


「────もしも、貴女を傷付けてしまったら?もしも、貴女を悲しませてしまったら?そうしたら、きっと貴女は()()()()とお友達にならなければよかったって、そう、思います。だから、だからいつでも私のことなんて────」



 ────私のことなんて、見捨ててくださって良いんです



 嗚呼、吐き出した言葉はいつだって、逃げ出せるように予防線を張っているのに。繋いだ手が震えていることも、紛れもない真実で。


 ────お前なんて産まれてこなきゃ良かったんだよ


 ────俺も、()()()()()()()


 吐き出された鋭い言葉と、引っ張られた髪。(かん)(しゃく)を起こして思い切り割られた瓶ビールの破片を踏んで、血が出た朝。泣いている母親と、大鼾(おおいびき)をかいて眠るその人を横目に見ながら、8枚切りの食パンを一人でかじった。

 嗚呼きっと、あの頃の私が求めていたものは無条件に与えられる愛情のようなもので。それでもあの頃の私は、それがいったいどんな姿をしているのか解らなくて。

 ────だから、花を育てた。一生懸命育てた花が、幸せそうに咲く瞬間が好きだった。

 捨てられるのは、傷つけられるのは、傷つけるのはいつだって怖い。だから、最初から触れなければ傷つくこともない。だから────



「────どうして、」「────…………え、」



「────どうして、君がそんなことを言うの?」



 ボクは君に救われたのになんて、何処か迷子の子供のような表情をした塩瀬さんをぼんやりと見つめて。泣き出しそうなその目が、たじろいでしまうほど真っ直ぐに私を見つめていた。

 ────どうしてって、だって、そんなの。頭の奥深くで、思考がぐるぐると回ってゆく。錆び付いた感情が、痛みを伴って回りだす。

 ────それでも、その感情をうまく言葉にすることも出来なくて。思わず俯いてしまった私に、「ごめんなさい」と塩瀬さんは呟いた。


「────一方的に押し付けてごめんなさい」


「フェアじゃなかった」なんて呟いた言葉に、戸惑いながら左右に首を振って。「大丈夫、です」と返せば、彼女は目を伏せて頭を左右に振った。


「────違うんだ。口に出そうとすると、頭の中で言葉がいつもこんがらがってしまって。その、君を傷つける意図は本当に無かったんだ」


 繋がれたままの手が震えていた。ひやりとしたその手に、少しずつ私の体温が移ってゆく。

 泣き出しそうな目は、やっぱり私を真っ直ぐに見つめていて。その目はやっぱり、幼い頃の私に似ていた。

 花の香りが鼻腔を(くすぐ)ったような気がした。ほのかに甘いのに、風にすべて消されてしまうほどの微かな香り。

 触れればちくりとして、けれどとても柔らかくて。もっとずっとその花を知りたいなんて思ったから、花言葉を調べ始めたんだ。

 花を育てる時はいつだって調べることから始まる。肥料、時期、かかってしまう可能性のある病気、毒を持っているか否か。それはきっと、人間も同じなのかもしれない。

 繋がれた手の先に、もしも未来があるのなら。その未来を見る資格を、私に与えられているのなら。それは、どれ程幸せなことなんだろう。

 私はゆっくりと口を開いた。断ろうと思っていた言葉は、いつの間にか全く別の言葉へと変化していた。



「────…………私、にも、塩瀬さんのこと、教えてくれますか?」



 震える声で言葉を紡げば、彼女は驚いたように目を見開いて。泣き出しそうなその顔が、「もちろん」と呟いた。


「────もちろんだよ。何十個だって、何百個だって君に教えるよ」


 そう言って彼女が笑うから、何だか私まで柔らかな気持ちに包まれたような気がした。





 ────塩瀬さんと別れたその日の晩、夢を見た。真っ暗な部屋の中で、(うずくま)って泣いている夢。

 どこまで行っても暗闇で、歩き疲れてしまった私はその場に蹲って座り込んでしまって。体を縮こませて、息を殺して泣いていた。


 ────ねぇ


 不意に、澄んだ声が聞こえた気がして。俯いていた顔を上げた。

 滲んでゆく視界に光が映る。影は私の手をとって、呟いた。



 ────君が笑ってくれることを、知りたいんだ



 触れられたその手は、少しだけ冷たくて。告げられた言葉は震えていて。けれど同じくらい、どうしようもなく優しかった。

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