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君に捧げる花の名は、  作者: ???
ゴボウ
14/50

十三輪

 柳は緑花は紅。ものにはそれぞれ個性が備わっていることの喩えなんだって、パソコンで調べものをしながら「彼女」はそう言っていた。


 ────あたしは紫の方が好きなんだけど。ほら、前にアキが見せてくれたシオンの花も紫だったじゃない?


 ボクはティーポットに紅茶を注ぎながら「知らないよ」と返す。花の色よりも生まれてきたそのままの姿を愛してあげる方がずっと大事なんじゃないのと言って、注ぎ終えた紅茶を蒸らすために蓋をしてくるりと砂時計をひっくり返して。「彼女」の方を見ればもう既に花の話に飽きてしまったのか、「良い匂い」と言ってのそのそとリビングへ戻ってきて、家から勝手に持ってきたと言うマドレーヌの箱をびりっと破って開けていた。


 ────君さ、気にしないのは良いけど、もう少しこう丁寧に開けようって気は無いの?


 その様子をみて思わず呆れてそう問えば、「面倒臭い。食べれれば良いでしょ」と言って、机にマドレーヌを配り分ける。その様子をぼんやりと眺めていれば、()()()()()()()()()()()を机の上に乗せるものだから、二十四個入りのマドレーヌの箱の中の十二個が、山のようにボクの箱に積み上がっていて。その様子に、単純なんだよなぁとため息を吐いた。


 ────そもそもそれ、家の人に断りなく持ってきちゃって良かったの?二十四個入りって言ったら、普通はお客さんに出すお茶菓子とかで使うと思うんだけど。


 蒸らし終えた紅茶とティーカップをお盆に乗せてかたりと勉強机に置く。そうして紅茶を注ぎながら問えば、彼女は「良いのよ」と言ってその細い手をひらひらと振った。


 ────うちの家族はおかしいから。友達も呼ばなければ外出もしないしね。どうせなら腐る前にアキと食べようと思ってたの


 高いんだって、これと言ってレモン味のマドレーヌを口に放り込む彼女の様子を見ながら、何とも言えない気持ちになって。せめて一つくらいはと、びりりと個包装を破る。すると、「アキ」と呼ばれて、無意識に顔を上げる。と、突然口の中に何かを突っ込まれて「うぐっ」と言う声が出る。


 ────栗味のマドレーヌだって。アキ、十月生まれだしあげるよ


 いきなり人の口にものを突っ込まないでよと言おうと彼女の方を見たものの、その柔らかい笑顔に怒る気も失せて。「美味しい?」と無邪気に笑う表情に小さく頷いた。


 ────美味しいよ。ありがとう、シオン


 そう言えば、シオンは無邪気に笑って。そうでしょうと微笑んだ。



 ────誰かと一緒に食べるって、美味しいものなのね



「あたし、栗が一番好きよ」と彼女は言って、ボクの淹れた紅茶を飲んで笑った。────彼女は確かに、笑ったのだ。




 自室に鳴り響くアラームを止めようと携帯に手を伸ばす。ひやりとした冷たい画面の感触に起きて、アラームを止めるボタンを横にスライドした。

 ぐるりとうねった毛先を指先で弄びながら直して、「何年前の夢だよ」と独りごちる。どうしようもない夢に、乾いた笑いが飛び出した。

 待受画面に表示された時期は、もう四月の終わりに近づき始めていた。残すところあと一週間ほどになったカレンダーに小さく溜め息を吐いて、のそのそとベッドから起き上がる。

 階段を降りて、キッチンで珈琲を淹れていると、同じようにのそのそと兄が起きてくる気配がして。ガラリとリビングの戸が開いたのを確認してから「おはよう」と言えば、同じように「おはよう」と言葉を返して戸棚からマグカップを取り出す。


「兄さんのも珈琲で良い?もし飲むなら二杯分淹れるけど」「ああ。気を遣わせてごめんな、ありがとう」


 良いよ、インスタントだしと言ってマグカップを取り出して。「母さんと父さんから夜勤終わったって連絡が入ってたよ」と言えば、「そうか?」と言ってポチポチと携帯を操作して。「ああ、本当だ」と言って再び少し携帯を操作してから、コンロ下の棚からフライパンを取り出してコンロに置き、冷蔵庫からカットレタスとハム、そしてトマトを取り出す。


「晶はどうする?」


「どうする」とは「朝食を食べるのか」と言う意味で。その答えは解りきっているはずなのにそう問うのは、()()()から始まった兄の日課だった。だから────


「────レタスとトマトのサラダなら、食べていこうかな」


 そう言って笑えば、兄は少しだけ驚いた顔をして。そう言ってから、「わかった」と少しだけ嬉しそうに笑った。



「行ってきます」



 ローファーを履いて、とんとんと爪先を直してから玄関の戸を開けて外へ出る。春の温かな陽気は、少しずつその姿を消していって。まるで入れ替わるかのように、少しずつ緑色の若葉が柔らかな緑色の光を放ち始めていた。

 改札にICカードを通して電車に乗る。相変わらず人が少ない電車の車内は、それでも何となく乗り合わせる人々のなかで定位置が決まっていて。空いている席に座って、ぼんやりと反対側の窓から見える景色を見ていた。

 と、不意に線路のすぐ傍にタンポポが咲いているのを見付けて。ぼんやりとそれを見つめながら、彼女────白石さんから昨晩送られてきたメッセージを頭の中で反芻する。


 ────明後日の待ち合わせの件ですが、園芸部の方で花の植え替え時期が前倒しになってしまったため、予定より早く活動が終わってしまいそうです。彼女の方では、早めの時間でも構わないとのことですが、塩瀬さんはどうでしょう?


 その言葉に、『こちらは大丈夫です。ありがとうございます』と返して。待ち合わせの時間を聞いてから、メッセージのやり取りを終えた。

 ────もう明日か、と心の中で呟いて。どこか跳ねるような、それでいてふわふわと落ち着かないような不思議な気持ちを食む。明日は何て言おうとか、とにかく教えて貰ったお礼が先だよなとか。ぐるぐると頭の中で考えて、緩む頬を手で抑えた。

 ────そう、とどのつまりこの時のボクは酷く浮かれていて。恥ずかしいことに、()()もボクと同じように、()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて、浅はかな希望を当然のように信じて疑っていなかったのだ。


 ────でも結局、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 出ていたはずの答えは、頭の中で意識的に排除してしまっていたから。訳のわからない、ふわふわとした感情を食むより他なかった。



 ────先程も言った通り、その日は酷く浮かれていた。朝、いつも通り「おはよう」と言ってくれた莉菜ちゃんに「おはよう」と二割増し程に大きな声で返事をして。その莉菜ちゃんに会いに来た高野さんに睨まれながら、「おはよう、()()()()()」と間違えて挨拶をするほどには。

 高野さんはボクが挨拶をすれば、心底嫌そうな顔をして。それでも一応、莉菜ちゃんの手前だからか「おはよう、()()()()」とにっこりと笑って返してくれた。莉菜ちゃんはその様子を見て、「仲良しになったんだね」なんて言っていたけれど。


 ────つまりボクは、その日一日()()()()()()()()()()()()()()()。だから────だから、気付かなかったのだ。



 ────()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()




 その日の授業終了の合図と共に立ち上がると、ゴツッと鈍い音がして。机の裏に打ち付けた太腿の痛みに暫く悶絶してから、生理的に滲んだ涙を拭う。

 大丈夫?と尋ねられた言葉に、大丈夫だよと答えて。余裕のない自分自身に苦笑した。


「晶ちゃん、今日はもう帰るの?」


 荷物をさっさと纏めたボクを不思議に思ったのか、莉菜ちゃんはそう尋ねてきて。それに対して、「うん、今日は部活が無いからね」と笑い掛けて。ふと思い至って、「莉菜ちゃん」とその名前を呼んだ。


「なぁに?」「その────」



「────沢山、親身になってくれて本当にありがとう。それから、ごめんね」



 そう言えば莉菜ちゃんは、「どうして?」と言葉を吐き出して。「え?」と間抜けな声を出せば、莉菜ちゃんは再度ボクに向かって言葉を渡す。



「────どうして謝るの?晶ちゃん、何も悪いことしてないのに」



 不思議そうに問われた言葉に、思わず言葉を止めて。暫く考えてから、「違うんだ」と返した。


「────違うんだ。多分ボクは、君のことを沢山傷付けてしまって居たかもしれないし。君に、沢山迷惑を掛けてしまったし。君に────」



「君に────何も渡せなかった。君はいつも、両手から溢れてしまいそうなほど沢山優しさをくれたのに」



 だから、ごめんなさいと呟いて頭を下げれば、「良いの」と莉菜ちゃんの言葉が聞こえて。思わず顔をあげれば、莉菜ちゃんはどこか痛みを堪えるような目をして────そして、笑った。


「良いの。私は、晶ちゃんと過ごす今がとても楽しいから」


 友達になる理由なんて、きっとそれだけで良いのと彼女は笑って。だから気にしないでと呟いた。その表情が、どこか()()()の自分と重なって見えて。思わず「ボクもだよ」と呟いた。


「ボクも────ボクも、君に逢えて本当に毎日が幸せだよ。君のお陰で毎日が本当に楽しくて。その、それで、」


 必死に言い募った言葉は、塊のように目の前に積み上がっていって。なのに、相手が望む気持ちを入れることが出来ない言葉は、どうしようもなく空っぽだ。

 良いのと彼女は呟いて。一瞬だけ目を閉じてから、良いのと再び呟いた。


「良いの。私は、今のままが一番幸せだから。だから、それで良いの」



 ────変わることはいつだって怖いんだ、晶ちゃん。



 彼女はそう言って、柔らかく笑った。



 好きだとか、相手をもっと深く知りたいとか。もっと相手に優しくしたいなんて感情は、とどのつまりボクの身勝手さの現れのようなもので。相手からしたら、身勝手な感情を押し付けられているにすぎない。

 ボクは浮かれたまま、ふわふわと落ち着かない気持ちで最寄りの駅までの電車に乗り込む。足元にあたる温かな空気に、これももうすぐ無くなるのかななんて思って。そのことが、少しだけ寂しかった。


 ────四月も もう終わりか


 電車の中には、ドアが開く度に淡い若葉の匂いが少しだけ流れてきて。どうしようもなく寂しいその季節の変化に、少しだけ泣き出しそうになった。

 停滞を望んでいるのか、それとも変化を望んでいるのか。どちらを選ぶことが正しいんだろうなんて、そんなこと考えたってどうしようもないんだけど。

 変わることはいつだって怖いと莉菜ちゃんは言った。それは、実を言えばボクも思っていたことで。心の中を見透かされたようなその言葉に、心臓がどきりとした。


 ────アキ


 呼ばれた声に、心臓がひやりとして。思わず周りを見回して、「彼女」の姿が無いことを確認してからふっと息を吐いた。

 変わることはいつだって怖い。なのに、変わりたいと願ってしまう。知らないその世界を見たいって、「彼女」のことをもっと知りたいって、そう思ってしまう。



 ────ごめん。ごめん、なさい。許して。許して下さい



 変わりたいと願ってしまったことを。君を悲しませて、傷つけたことを。────君を、幸せに出来なかったことを。

 隣にある銀色の棒に凭れて、呼吸を整える。頭の奥がじんと熱を持って、確かな痛みを脳に訴え掛けた。


 ────それでもボクは、()()()()()()()。そしてそれは、きっとこのままではなれないんだ


 甘えて、すがって、傷つけて、傷つけられて。()()()()()()()()()()()()()()()ボクと、傷つけることで安心している君は、きっと()()()な友人関係じゃなかったから。

 だから、ボクは変わりたい。()()()()()()()を否定しないために、変わらなければならない。



 ────ごめん、ごめん、ごめんなさい。シオン



 吐き出した呼吸と絡まる思考が熱を持って、緩やかにボクの首を締め上げてゆく。そのことに、少しだけ安心した。

 最寄り駅まで、あと一時間半。重苦しい感情に押し潰されてしまいそうになりながら、心の奥で小さな願いを呟く。



 ────もしも、変わることが罪だと言うのなら。それならどうか、被る罪が全てボクへ向かってきますように。



 どうしようもなく傷付けて、どうしようもなく悲しませたのはいつだってボクだから。被る罪も罰も、泣き出してしまいそうなこんな痛みに苦しむことも、全部ボク一人でいい。

 変わりたくない。けれど、どうしようもなく変わりたい。痛みに心を押し込めるだけじゃなくて、もっと新しい世界に触れてみたい。


 世界はきっと、()()()()()()()()()────


 そこまで考えて、ひゅっと息を呑んで。最低なことを考えた自分自身に、酷く嫌気が差した。

 これは罰だともう一人の自分自身が冷たく告げる。ボクの目を、耳を、口を塞いで、緩やかに心を蹴り上げる。


 ────()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 やけに冷たく響く自分の声に、ぴくりと体を震わせて。再び沈んでゆく心の奥深くで、「変わらなくたって良いじゃない」と彼女が笑っているような気がした。

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