ただ一つの宝
ムルトは懐かしの故郷に戻ってきた。そこは己が初めて盗みを働いた街だった。
あれからムルトは森を三日彷徨い歩き、這う這うの体で隣街に着いたのだった。そこでムルトは心を入れ替えようと宝石を毎日の励みに眺めつつ、また勤勉に働いた。
だがまたそれは起こった。特に用もなく街を出歩いていると、ムルトは馬車に乗る良い身なりをした年増の女が首に下げるネックレスから目が離せなくなった。小ぶりながらも目を引いてやまない青い宝石だった。
「ほしい」
ムルトは思わずぽつりと呟いて、心の中で反芻した。欲しい、欲しい、いや盗もう。もはやムルトに迷いはなかった。一度飢えから抜けでたムルトには、それを止めるすべなどなかった。馬車をつけ、屋敷に忍び込み、盗んで逃げる。その繰り返しだった。
そんなことを幾度も繰り返すうちに、盗む宝石の共通点がわかった。涙のような形であることと、初めて盗みを働いた街にその宝石が多いということだ。それからというものあらゆる手で探り、小人の隠れ里でようやく知ったのはとある小人の話だった。
小人のありかは驚くほど簡単に知ることができた。小人の里のある森で迷子のふりをする。それだけでどこからともなく現れた男達に囲まれた。わざと慌てて逃げる様を見せると、笑みを浮かべて掴まれ手を縛られる。そうして連れていかれた場所に宝石を流す小人はいた。
連れられた隠れ家らしき場所は森にひっそりと立つ丸太造りの小屋だった。ムルトは男たちの会話から確かに噂の小人がいることを知り、逃げ出す準備を整える。人攫いをやっているだけあり縄はなかなかきついが、どうにか緩める。目線のみで部屋を見渡したムルトは、机に雑に置かれた鍵を見つけ、なんとなしに転げるふりをして盗んでみせた。
そうして連れて来られたのは如何にも素人が作った地下室だった。雑にくり抜かれたそこには、小太りの男と一つの死体、足枷をはめられた小人の少女が一人いる。ムルトを連れてきた男は無造作に小太りの男に渡すといそいそと地下室を出て行った。好都合だと考えたムルトは状況を確かめるべくあたりを見渡す。すると震える小人の少女と目があった。その何処までも赤い瞳はムルトを見つめる。初めてムルトは何かを美しいと思った。
ムルトにとって宝石を盗むことは金のためでも、ましてやその美しさを愛でるためでもなかった。どうしようもない飢えと欲しいという欲求を満たすのためだった。
ムルトははっとして誤魔化すように笑みを浮かべる。予定にはない蹴りを食らったがどうでもよかった。地べたに這いつくばり、落ちている宝石を見てもまたどうでもよかった。あるのはただ一つ。欲しいものを盗む。ただそれだけだった。
小人の少女、ルルカを担いで地下室を出た頃。ようややく回復したらしい小太りの男が悲鳴のように叫ぶ。部屋には男が二人。素手とはいえ勝てるものではないので部屋の中を右へ左へ、ときには飛び上がり逃げ回る。ムルトの足は大したもので、人一人抱えてなお男二人がかりで捕まえられなかった。やがて小太りの男が上へ来る頃にはムルトはおらず、部屋には息を切らせた男二人が座り込むだけだった。
ムルトは走った。追手など居なかったが、走らずにはいられなかった。馬のように速く、しかし木の根などには転ぶこともなく。ただひた走る。いつしか背に抱えたルルカは笑っているようだった。それを感じてなおもムルトは走った。その足跡に涙の宝石を残しながら。