馬脚のムルト
ムルトはなにかに飢えていた。それは子供の頃から変わらないただ一つの強い感情だった。その飢えはどれだけ食べようとも満たされる事はなかった。成人しても身長一メートルに満たない小人であるムルトにはまともに稼げる仕事など貰えるはずもなく、子供でもできる仕事をし、小遣い程度の金を貰う。食えぬ飢えと正体の知れない飢え。親の顔も知らないムルトにとって生きることは飢えとの闘いだった。
そんなムルトに転機が訪れたのは、ある宝石商の荷をどこだかの金持ちの邸宅へ運んでいるときのことだった。ムルトは子供のなりではあったが、よく働き、たいへん足が速く、馬のようだと重宝されていた。
金持ちはどうにも偏屈な人物らしく、邸宅は街から離れにある森にぽつんと一つ建っている。ムルトは自慢の足で森を進んでいくが、慣れない森ということもあってか、木の根に足を取られて転んでしまった。幸いムルトに怪我はなかったが、荷の包みは解けてしまっている。傷は無いかと包みの中を見た。それは小さな黒い箱だった。黒く艷光り、金で装飾された箱だ。その箱はどうしてかムルトを惹きつけた。
「みたい」
ムルトは思わずぽつりと呟いて、心の中で反芻した。見たい、見たい、いや見よう。もはやムルトに迷いはなかった。あるのは期待だ。これほどの箱に入っているのはなんなのか。ムルトはゆっくりと震える手でもって箱を開ける。中にあったのは赤く妖しくも木漏れ日に当てられ輝く宝石の裸石だった。いくらの装飾もないというのにその宝石はムルトを惹き付け、そして何かが満たされる感覚を味あわせた。
宝石の入った箱を抱えたムルトはただ森の中をひた走った。おそらくもう街には帰れない。い帰らないのだと決意して。