鬼喰いファルド
ファルドが二十になった頃だった。戦場に鬼が現れた。その時の戦は凄惨極まるもので、既に両軍は当初の半分以上の兵が死に絶えているというのに戦を止めなかった。草花の良く生えた平原は死骸と肉を貪る獣で埋められ、それでもなお両軍は戦った。兵を国中から呼び寄せ死骸が積もりゆく。そうしてやがて戦場の真中には死骸の山ができた。
自然両軍は山を挟んで動きを止めた。あるいは死骸の山を見て将も冷静を取り戻したか、とにかく誰もが山をじっと見た。ぐちり、と何かを食う音が響く。
山は突然崩れた。いや、正確には次々死骸が減って行った。肉の蠢く音がして、気付けば平原中の死骸は山に集った。肉を食う音だけが戦場に響き、誰もが来たる恐怖に震えた。生まれるのだ、怪物が。
やがて山は無くなって、残ったのは大人一人分の肉だった。その肉ははじめ口しか無かったが、手を足をと次々生やしていった。最後に三つ目と額に紅い角を二つ生やして怪物は笑った。
「腹が減った」
怪物は確かに人の言葉でそう言った。そしてその言葉を理解するよりも早く真近に居た人間の頭を腕でちぎる。取れた頭を割って脳を啜る様を見てようやく兵どもは動き出した。背を向けて逃げるもの、震えて蹲るもの、武器を構えるもの。逃げるものは死ぬことはなかった。幸い怪物は食うことに夢中で手近のものしか襲わない。しかしそれ以外の物は悉く食われた。脳を、手足を、心臓を。ただそこにあったのは捕食者による食事だった。
ファルドは怪物から離れた場所にいたが、自分を雇った将に捕まった。ファルドの名声はなかなかのものでそれに頼ったのだろう。あの怪物を殺せと言われた。契約外だと言ってやると、槍で周りを囲まれる。誰もがやつれて手が震えていたが、将はにやりと笑って言った。行かねばお前を今ここで殺す、と。
ファルドは怪物と相対した。大きくはない。背丈は大人と同じ程度だ。肌は浅黒く目が爛々と輝いている。なるほどまるで鬼だな、とファルドは思った。
ファルドが怪物と戦うのは将に命じられたからではなかった。あのにやけ面の将は即座に叩き切った。囲みも構わず将に真っ直ぐ大剣を投げると頭が割れる。将を殺したというのに囲みの槍兵に動きが無いのが印象的だった。むしろ清々したという表情だ。
怪物はファルドを見るとにやりと笑った。まるで餌が自らやってきたと言わんばかりにだ。それを見てファルドは猛然と駆けた。戦い、殺す。それがファルドの全てだ。
怪物は不意を突かれて一撃を食らう。見た目が子供であることは怪物の油断を誘うには十分だった。予想外の早さで接近し、これまた予想外の早さで大剣が唸りをあげて舞う。頭を狙ったそれは、骨を断つ感触を生んだ。かあん、と音が響き右の角が根本から折れていた。
怪物はすぐさま距離をとった。額から流れ落ちる血を拭い、折れた角とファルドを交互に見る。それには未知の恐怖を孕んでいた。人でなしの怪物はありふれているといえる。しかし人の、子供のなりの怪物。そんなものが一体どれ程いるというのか。それは鬼に生まれてはじめての恐怖を与えた。
ファルドは変わらず猛然と攻め寄った。勝利の予感などというものは何もない。あるのはただ戦いだ。死か生か。鬼が死ぬか己が死ぬか。ただ力一杯に剣を振るう。右と左、上と下。両の手から人外の力で迫る二つの大剣は次々鬼を切り刻んだ。右腕と左腕を同時に断つ。両の目を同時に縦に切り裂く。膝と腰を叩き割る。気づけば鬼は虫の息だった。既に立つことも出来ず、両の目からは血が溢れている。それを拭う腕もなく、残った額の目にはただ恐怖が宿っていた。捕食者を前に鬼は震える。
「食べないでくれ」
震える声で鬼は言った。ファルドはただ鬼の口に剣を突き込んだ。これは戦いだ。食事ではない。




