逃げ馬、又は千里を射るキュロス
ニ十歳ほどの男が遠く彼方の敵将を見る。
見えるのだから矢は当たる、というのがその男、キュロスのただふたつの特技だった。今日もまたキュロスはそれを生かすため、百余りの兵に囲まれた敵将をただ一人で討たんと主君に願い出たのだ。
馬上からキュロスはゆったりと山道を進軍するうちの、敵将に狙いを定める。二メートルを超える長弓はゆっくりとしなり、刹那弾けた。矢は空を、風を裂く。やや斜め上に放たれたそれは、幾度も曲がり、そして敵将へと吸い込まれるように落ちていった。将は口に矢を射込まれ、しばらく馬上であがいたのちにぐらりと体を地に打ち付けた。
「ヤア!」
馬はキュロスの合図とともにぐるりと反転し、険しい山道を瞬く間に駆け出した。これもまたキュロスの特技だった。キュロスはどんな馬であろうと己の足のように扱えた。ただの農夫の子であったキュロスには過ぎた才だったが、キュロスの才を見込んだ主君アウゲルニウスは弓と馬の才を惜しみなく磨かせた。そのかいもあり、キュロスは若くして一端の兵となり、アウゲルニウスは隣国の進攻を何度となく防ぐことができた。
キュロスはヤアともう一度声をあげた。いまだ見えぬ敵に慌てふためく様を見て、頷く。これから敵は攻めるにしても、逃げるにしても大事であるのは間違いが無い。また一つ声をあげ、主君に報告せんと帰路を急いだ。
山道を抜けると主君の治める故郷の小麦畑がキュロスを出迎えた。抱える兵は百に満たない。山を挟み隣国が二つありいくさは絶えない。しかし今年もたしかに小麦は実ったのだ。まだ帰るべきふるさとはあるのだ。