36 5月のネズミと象の戦い。
4回の表、エレファントのトップバッター、石原が遂に藤を捉えた。
低めジャイロボールを弾き返し、ライナー性のボールがファーストとセカンドの間を抜けていった。
少数とはいえ、外野席で一塊になっているエレファントのファンが歓声を上げた。
ノーアウト、一塁。
続く2番打者、小倉義則が、バッターボックスに入って監督のサインを確認すると、送りバントだった。
0対0で、一点が欲しいこの状況では、常道と言える作戦だ。
だが、
──セーフティーバントの次は送りバントか……ずいぶんとまあ……。
義則とて、バントより打つ方が好きだ。2打席連続でバントとなれば、流石に不満の一つもない訳ではなかった。
無論、それを顔や態度に出すことはしない。絶対にしない。
使い勝手のいい駒になりきる事が、義則の生きる道なのだから。
──こういう時こそ、集中だ。
自分を叱咤して、バットを普通に構えた。ギリギリまでバントであることは隠しておく。
おそらく、警戒されているだろうがそれでもだ。
脳裏で、ヒッティングの構えたからのバントへの移行をイメージしながら、相手ピッチャーを見据えた。
──ストレートとジャイロボールは初球から行く。カーブだったら、一球、球筋を見る。
失敗は出来ない。3割打てれば上出来のヒッティングと違って、送りバントに求められているのは確実性だ。1塁ランナーを確実に2塁へ送る。その為にワンナウトを使うのだ。他ならぬ義則自身の為に、軽々に失敗する訳にはいかないのだ。
──絶対に送ってみせる。
そう、腹に据えたと同時に、藤が動き出した。
ゆっくりとした動き出しから、途中、一気に加速して、ボールを放った。
──カーブ!
内よりに投げられた高い弧を描く白球は、まるで、義則へと襲いかかって来る様に見え、思わずのけぞってしまった。
審判がストライクのコールを上げた。
──なるほど……これが……。
凄まじい球だ。頭上からボールが降ってくる。一球目は球筋を見ると決めていた義則だったが、仮にそうでなくても、手が出なかっただろう。
──えらい武器を持っているな、藤大吾。
持たざる者として、素直に羨ましいと思う。
今でこそ、フォア、ザ、チームを信条とする義則だが、そんな彼が、子供の頃から憧れて今でも尊敬している選手は、どんな時でも自分のルールを曲げないワガママな選手だった。
勝敗以上に勝負にこだわる選手で、その生き様は多くのドラマとファンを生んだ。
義則とて、その1人だ。
プロになる前や、なりたての頃は、義則も彼の様になりたかった。
だが、プロ野球の世界は、義則の想像を超えて高かった。同い年ながら、自分よりもあきらかに才能がある健太郎が、一軍の試合に出れば軽く捻られた。正に格が違った。
それどころか、2軍の中にも、義則以上の選手など、ごろごろと存在していた。いや、義則などプロ野球の世界においては下の下だった。
──こんな化け物共の間で、俺はやっていけるのか?
そう絶望したこともある。
なんせ、何をやっても上がいるのだ。義則はプロ野球の世界では、バッティング、走力、守備力、肩、どれをとっても平凡で、これなら一軍連中に勝るという武器がなかった。
強いて言うならインコースの捌き方に自信があったのだが、それすら、幾らでも上がいた。
そんな自分の低さをこれでもかという程実感した義則が、それでもレギュラーの座を掴む為に選んだ道がフォア、ザ、チームだった。
自分の我を消し、監督からも、コーチからも、こいつは使い易い選手だと思われる為に全力を尽くした。
当時はそれしか道がないと思えたし、今、振り返って見ても、それは正解だった。なんせ、今レギュラーの座を獲得している。
義則は間違ってはいない。なら、これからもフォア、ザ、チームを貫かなければならない。
監督の為やチームの為にではない。自分が一軍に居続ける為の、ピッチャーとキャッチャーを除けば、たった7席しかないレギュラーの座に座り続ける為の、義則の義則による義則の為のフォア、ザ、チーム。
──次は、行く!
ツーストライクに追い込まれたら、バントをやり辛い。
カウントに余裕がある内に、バントを決める。
腹を決めて、藤を睨んだ。
藤の2球目。2球目は、またもやカーブだった。
──バント、警戒されてんだろうな!
そう毒づいた義則だが、それでも行く。球筋はさっき見たし、小技の2番としてバントの練習は誰よりも積んでいる。
1球目はインコースへのカーブだったが、2球目はアウトコースへのカーブだった。
同じカーブとはいえ驚く程、印象が違った。
内のカーブがまるで義則めがけて襲いかかってくる様に見えたのに、外のカーブは逃げていく様だ。
だが、逃がすわけにはいかない。
「おおっ!」
義則は、気迫と共に逃げるボールを追いかけた。
身を乗り出し、バットを差し出す。
コン。 という音がしたのと、重心が崩れてバランスが取れなくなったのは、ほぼ同時だった。
そのまま地面に転がり、無様にも一回転した。
口の中に入った苦い土の味に顔をしかめながらも、義則は相手ピッチャーのことを賞賛せずにはいられなかった。
──ほんと、えらい武器を持ってやがる。
バントで転んだのは、当たり前だが、初めての事だ。そうまでしなければ、あの落差に付いて行けなかった。
だが、それでも──。
ボールは点々と三塁線を転がっていた。サードからもキャッチャーからも取りづらい絶妙な場所。
──よし!
間違いなく、石原は2塁まで行った。役目は果たせた。
──後は……。
義則は立ち上がると、一塁めがけて、全力で駆け出した。
転んで一回転したのだから、間に合う筈もないことは承知している。
それでも、審判からアウトを宣告までは全力でやる。それが義則の生き方だからだ。
生き残る為に始めたフォア、ザ、チームだが、今では、義則なりの愛着とプライドがあるのだ。
とはいえ、サードが暴投などというエラーはそうそうに起きる筈もなく、あえなくアウトとなった。
ベンチに戻る途中、ネクストサークルに向かう健太郎とすれ違った。
「ナイスプレー」
健太郎のエールに義則は、
「打てよ」
と、短く激励した。
点が入ってこそバントの意義がある。
それに対して健太郎は、
「わかってらーな」
と、いささか軽薄な、けれど、やる気に満ちた声で返してきた。
──繋いだ先が、頼りになるのはいいことだよな。
──死にがいがある。
無論、本人に言ったら調子に乗るから言いはしないが……。
義則は少し笑いながらベンチへと戻った。




