33 5月のネズミと象の戦い
2回の表、静岡エレファントの6番レフト、島田悟は、ネクストサークルボックスで目を血眼にしながらエレファントの5番と埼玉マウスのピッチャー藤大吾の戦いを眺めていた。
──ついに来た……ついに来たぞ!
今の島田は、押さえきれない戦意が身体中を駆けまわっている。ぎゅっとバットを握りしめていないと、今すぐにでも藤大吾に襲いかかってしまいそうだ。
それほどまでに、島田はこの対戦を心待ちにしていたのだ。
去年のドラフト会議の翌日、藤大吾という男の名前を知ったその日から、
──いつか奴を打ってやる。
そう思い続けてきたのだから。
……。
……。
島田悟。
去年の甲子園を春夏連覇した深海鮫高校の4番を務め、去年のドラフト会議で5球団から1位指名された男。
そんな悟が、一体どんな野球選手かと言えば、一言で表すならバランスのいいオールラウンダーである。
まずバッティングがいい。
直球にも変化球にも対応できる。
高めも低めも対応できる。
プロ野球で金属バットから木製バットに切り替わったが、それにも上手く順応した。
しなやかなスイングで打率を出しながらも長打も期待できる悟は、打順のどこに置いても構わない。
ついで、足も速い。それは攻撃においては出塁する確率を上げ、盗塁なども狙え、守備においては、広い外野を守る基盤となる。
そして、守備もいい。先に言った様に足が速いし、ボールのキャッチ力も優れたものがある。なおかつ、肩の強さや送球の正確さにも定評がある。
走攻守、全ての面で高水準の実力を備えた悟だが、それらを凌ぐ最大の特徴は……5つの球団から一位指名された最大の要因は、圧倒的なメンタリティにある。
島田悟は打って欲しい場面で打つ。
一点差を追いかけている展開や、大舞台での勝負所。否応なしにプレッシャーがかかる場面で、最高の力を発揮するのが悟だ。
例えば去年の甲子園、縦浜鱈高校との試合も、一点ビハインドで9回という極限の状況で、神原の球をスタンドに放り込み試合を決めた。
よく心技体と言われるが、悟はその心の部分が圧倒的に強い。
そして、それはプロ野球に入っても、上手く機能した。
環境の変化、高額な年俸、周囲の注目、その他様々な要因が重なり、実力を十分に発揮出来ないのが普通の1年目で、開幕から6番レフトとしてレギュラーの座を奪取。それから今日までに打率.271。本塁打数6本と、野手のルーキーの中では、ここ数年で断トツの結果を叩き出している。
そんな快進撃を続ける悟を支える精神力は、訓練によるものというより、悟の生来の性格から作られている。
簡単に言えば、悟は目立つ事が好きなのだ。 褒められることが大好きなのだ。自分の活躍を、世間に見せつける事が大好きで大好きでたまらないのだ。
究極の目立ちたがり屋にして圧倒的な承認欲求の塊、それが島田悟という男であり、悟自身、そんな自分の性格を自覚している。
きっかけはリトルリーグ時代にまでさかのぼる。
当時10歳の悟は、とある試合の9回で、逆転ツーベースヒットを打ち、一躍、ヒーローになった。
監督からの「やったじゃないか島田! ナイスバッティング!」という言葉。
チームメイトから称賛され、もみくちゃにされた事。
観客からの拍手。
そして、お祝いとして、悟の好物ばかりで作られた豪勢な晩御飯と両親の笑顔。
その全てが、心地よく、強く悟の心に残った。
それまでも野球が嫌いという訳ではなかったが、両親の勧めでやっていたという側面もあったのだが、この日から悟は、悟自身の意思で野球にのめり込んでいった。
──もう一度、あの時の快感を味わいたい。
という思いが、悟を練習へと向かわせ、その結果、実力が向上し、試合で活躍し褒められ、褒められた嬉しさからまた熱心な練習。というスパイラルを繰り返す内に、いつしか悟はリトルリーグでも有数の選手に成長していた。
中学生となり、シニアのチームに入団してからも、その流れは止まらなかった……どころか加速した。
シニアでも高い実力を発揮した悟には、一年の頃から野球強豪校からのスカウトが声をかけてきたのだ。
名門校のスカウトや監督といった大の大人が、
「島田君。是非、ウチの高校に特待生として来てくれ。一緒に甲子園を目指そうじゃないか」
そう、勧誘してくるのだ。
凄いし、嬉しいし、最高だった。
ウキウキるんるん。テンション爆あげの悟は、これまで以上に練習に熱を入れ、試合で結果を出し、更に沢山の勧誘が悟に舞い降りた。
その頃には、悟は悟っていた。野球こそが自分の人生なのだと。将来、プロ野球選手になり、活躍し、沢山のスポットライトを浴びることこそが、自分の生まれて来た意味なのだと。
それを思えば、根を上げて野球から離れる者も多い辛い練習も、何の苦にもならなかった。
褒められる為なら、称賛される為なら、千の苦労も厭わない。それが島田悟という男だ。
さて、そんな悟は、数ある勧誘口から、名門かつ、練習の厳しい深海鮫を選び、進学した。
県外の高校であるが故に、親元から離れての寮生活だったが、野球が上手くなる為なら構わなかった。
目指すのはもちろん甲子園出場であり、優勝であり、プロ野球だ。
そして、もう一つ、少し変わった目標を掲げた。それは、自分のスクラップノートを作ろう。というものだ。
スクラップノートとは、新聞の記事やイラストなどを切り取り、ノートに貼り付けて作る自作のノートのことなのだが、つまり悟は、悟自身が活躍した新聞の切り抜きを収集して、一冊のノートにまとめようとしたのだ。
というのも、シニア時代に、悟の活躍が新聞に載り、超嬉しかったからだ。
地方のローカル新聞の小さな記事だったが、それでも、大勢の人間が悟の雄姿を目にしただろう。
踊り上がらんばかりの悟は、その記事を切り抜き、宝物として持ち歩いていたが、ある時、不注意で無くしてしまった。あの時は超へこんだ。
失意に沈んだ悟だったが、
──高校野球で活躍すればいい。高校野球の注目はシニアとは段違いだ。新聞にもバンバン乗るし、テレビ中継だってされる。高校野球で活躍すれば、無くした記事の何十倍も注目されるんだ!
そう、自らに言い聞かせる事で失意から脱却した。
そして、二度と無くさない様にノートにまとめようと決めたのだ。
そんな経緯でスクラップノートを作り始めた悟だが、これが当たった。
どんな漫画を見るよりも、どんなテレビを見るよりも、自分のスクラップノートを見返す方が楽しかった。
そして、ノートを見返すたびに、
──このノートをもっともっと輝かしくしたい。
そう思い、それは野球へのモチベーションに繋がった。
ぐんぐんと成長を続ける悟は、高校2年の頃には4番として、甲子園で活躍した。
その頃にはもうプロ確実と呼ばれて注目され、同時に、ノートも華々しい活躍で埋まっていった。
そして、圧巻の高校3年。数々の死闘を潜り抜けての春夏連覇。春夏通算の甲子園での打率.591 同じく本塁打数7本。
そして、Uー18以下の日本代表選抜に選ばれ、そこでも4番として活躍。
輝いている! 島田悟は誰よりも輝いている! 島田悟と書いて、栄光と呼んでも構わないぐらいの活躍を世間に見せつけた。
スクラップノートも次々と悟の記事で埋まっていった。
──いやあ、このままじゃ、一冊のノートに埋まりきらないぞ。分厚いノートを選んだのになあ……。
と、にやけながらも、なんとか上手く切り貼りして、最後の2ページは確保した。
ラスト2ページ。そこに載せるべきはドラフト会議だ。
数多の活躍を成し遂げた悟が、ドラフトで複数の球団から1位指名され、どこどこの球団に入団決定。それを最後のページに貼り付ける事で、悟の輝きし高校野球が、その栄光のスクラップノートが完成するのだ。
そして、待ちに待ったドラフト会議。悟は静岡エレファントを含む5球団に1位指名され、悟を取材しに来た50を超える記者たちから、フラッシュライトを浴びた。
最高だ。本当に最高だった。
ちょっとだけ不満があるとすれば、縦浜鱈高校の神原が島田と同じく5球団から1位指名を受けたことで、島田だけが1位ではなく、同着1位だったことだが、すぐにそれも悪くないと思い直した。
──打撃の俺と投の神原、そんなライバル関係も悪くない。
そう思ったからだ。
良きライバルの存在は、むしろ、より悟に脚光を浴びせてくれる。
事実、記者の1人から、神原が同じ東リーグだけど、どう思うか? と、問われた。
その質問に、悟は勢いよく答えた。
「もちろん意識しています。神原君は素晴らしいピッチャーでありライバルです! プロ野球でも彼との対戦は楽しみです!」
そして、記者たちに向かって、いや記者たちの向こうにいる神原や数多の読者たちに向かって、ビシッと人差し指を突きつけながら、力強く言い放った。
「神原! プロ野球でも、あの夏のような熱い戦いを繰り広げよう!」
決まった。ポーズも台詞も完璧だった。
記者たちの間にどよめきと興奮が走り、パシャパシャとカメラのシャッターを切る音が途切れない。
そんな光景を見て、悟は自分がやり遂げたことを悟った。絶対に、明日の新聞のスポーツ欄の一面に、今の悟のかっこいい指さしポーズが載る。
日本中の人が、悟の雄姿をその目に焼きつけるのだ。
最高の記者会見を終えた悟は、多少の筋トレの後、安らかな眠りについた。
そして翌朝。ドキドキわくわくしながら寮の新聞を開くと、そこには、藤大吾とかいう今まで見たことも聞いたことないポッと出が、でかでかとスポーツ欄の一面を飾っていた。
「……………………誰だよ、こいつ?」
悟は、まるで狐に化かされた様な気持ちで新聞を読んだ。するとそこには、
縦浜鱈にもう1人の怪物がいた、その名前は藤大吾!
公式戦、皆無! 三軍上がりのプロ野球選手!
藤大吾と神原直樹、前代未聞の決闘騒ぎ!
藤大吾の名前と神原直樹の名前と縦浜鱈の名前が出るのみで、島田悟の名前はどこにもなかった。
慌てて自分の記事を探すと、裏のページに悟の予想より、2回りは小さい記事がちまっと掲載されていた。
──そんな馬鹿な⁉︎
やるせない気持ちを抱えた悟がコンビニに突撃し、色んな新聞を眺めても、やはり、一面は悟ではなく藤大吾だった。
……。
……。
失意に沈む悟が、幽霊の様に部屋に戻り、新聞の自分の切り抜きを、スクラップノートの最後の2ページに貼り付けると、空白が目立った。
2度言おう。空白がもの凄く目立った。
「…………」
彫像のように固まった悟に、その空白が語りかけてきた。
『いやあ、最後の最後でやらかしたな。竜頭蛇尾もいい所じゃないか?』
『いやいや、島田悟なんて元からそんな程度の男さ』
『無様だなあ、この負け犬が!』
スクラップノートを持つ腕がプルプルと震えた。そして、
「うあああああああああああっ!」
感情が爆発し、頭が真っ白になった。
悟はそこから先の記憶を覚えていない。何度思い返しても、その時の記憶がぽっかりと抜けているのだ。
そして、どれほどの時間が経過したのか? 我を失った悟が正気に返ったときには、悟が丹精込めて作り上げたスクラップノートはビリビリに引きちぎられて、部屋の中に散乱していた。
「俺のマイメモリー⁉︎ あああっ! あああああああああ!」
まるで、逆転ホームランランを打たれ、その場でガックリと膝を着く投手の様に、悟は部屋の中で崩れ落ち、とめどなく涙を流した。
「何で⁉︎ 誰がこんなことを⁉︎」
そうは言っても悟だってわかっていた。ここは悟の部屋で、悟しかいなくて、部屋には鍵がついていて、さっきまで悟はしっかりとスクラップノートを持っていたのだ。
どんなヘボい探偵でも、犯人は島田悟、そう言うだろう。
だから悟だってわかっている。だが、それを素直に受け入れるには、ノートに対する思い入れが強すぎた。
ただ単に新聞を切り貼りしただけじゃない。より、輝かしいノートを作る為に島田は頑張ったのだ。
いや、本当に、誰よりも頑張ったのだ。
それなのに、今、自分の高校野球の象徴であるスクラップノートが無惨にも喪われた。
この途方もない悲しみと憤りを、一体どうしろというのか?
絶望に沈む悟は、長い苦悩の果てに、ある男にたどり着いた。
「藤……大吾……」
小さく、かすれた声だったが、それでも、悟自身の耳に届いた。
──そうだ、あいつだ。あのポッと出が……。
「藤大吾……お前が奪った!」
本来なら、悟こそが新聞の一面を飾る筈だった。
春夏連覇、甲子園での打率.591、本塁打7本、日本代表の4番打者、5球団からの1位指名。悟にはその資格があっただろう。いや、悟以上にふさわしい選手などどこにもいない。
なのに、あいつは!
「藤大吾! 藤大吾! ふううじいい、だあああいごおおおお! 俺はお前を許さねえええ!」
許せない! 絶対に許せない! 悟の栄光を奪った藤大吾を許せない! 許してたまるか! 今日から悟の嫌いな漢字ベスト3は藤と大と吾だ!
「許さねえ! 許さねえからな! 藤大吾ーー!!!」
さあ、どうする⁉︎ どうやって、藤大吾に思い知らせてやる⁉︎
悟の頭の中で、闇討ちやSNSでの誹謗中傷など、ありとあらゆる嫌がらせが思い浮かんだが、即座に却下した。自分は、甲子園のヒーローにして静岡エレファントのドラフト1位の島田悟なのだ。
そんな、陰気でみっともない真似は断じて出来ない。
ならどうするか? 決まってる。奴はピッチャーで俺はバッターだ。つまり、奴の球を打って打って打ちまくって、悟の力を思い知らせてやるのだ。悟の方が上なのだと骨の髄まで刻み込んでやるのだ。それしかない。
決意を胸に、悟は吠えた。
「必ず! 必ずコテンパンにしてやるからな、藤大吾! 藤大吾ーー!!!」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
5番打者と藤大吾の対戦は2ストライク、3ボールのフルカウントにまで持ち込まれた。
そして6球目、カーブ。
内よりに投げられたボールを、力強くスイングしたが、芯を外したのだろう。
ふわっと上がったボールを、レフトが危なげなくキャッチした。
そして、悟の出番が回ってきた。
──ついに……行くぞ! ノートの仇だ!
打倒、藤大吾を誓ったドラフト会議から、約半年。ついにこの時がきた。あの時の無念を晴らす時がとうとうやってきたのだ。
体中から戦意を滾らせながら、バッターボックスに足を入れると、ゆっくりと藤を見据えた。
藤大吾と島田悟。どちらも1年目から活躍する超新星同士とあって、観客の反応はこれまでで一番の盛り上がりを見せる中、二人の対決が始まろうとしていた。




