30 5月のネズミと象の戦い
三軍ライン
桂馬:やったな、大吾。勝ち星3つ目だ!
太陽:おめでとうございます! テレビで見てました! 凄いカッコ良かったです。
大吾:ありがとう、二人とも。
大吾:そういえば、桂馬。大学にはもう慣れた?
桂馬:ああ。受講したい講義が一杯で、かなり忙しいが大分慣れたぞ。
太陽:桂木先輩! ツーシームシンカー、形になったので今度、見てください!
桂馬:なら今週末の土日、いつもの河川敷のグランドに来れるか? 来れるなら、見るぞ。ついでに守備練もやろう。
太陽:お願いします!
大吾:え? ちょっと待って。日暮君、シンカー習っているの?
太陽:はい! 3月の終わり頃に桂木先輩に教わりました。
大吾:桂馬。なんで、俺にはシンカー教えてくれなかったの?
桂馬:一度、試してみたら全然駄目だったうえに、他の球のコントロールにまで悪い影響が出ただろうが! 大吾にシンカーやシュートは向いてない。太陽は向いている。それだけだ。……いいか大吾、お前は迂闊に手を出すなよ? 生命線のコントロールが死ぬぞ。
大吾:それは、やれって言うフリじゃないよね?
桂馬:違う!
大吾:了解。ところで日暮君は平日はどうやってピッチング練習をしているの?
太陽:あれ? 言ってませんでしたっけ? 新学期からは三軍顧問の所沢先生に1日20分、キャッチャーをして貰ってます。
大吾:本当に? あの幽霊顧問が? よく引き受けてくれたね?
太陽:はい。どうも東方監督から、顔を出すように頼まれたみたいです。
大吾:へ〜〜。でも20分で大丈夫なの?
桂馬:十分とは言えんが練習は量より質だ。不足分は週末、俺が補う。それに、太陽の一番の課題はフィジカルだから、体作り優先のメニューを組んでいる。
大吾:なるほど……頑張れ、日暮君。
大吾:明日のナイター、先発予定。
桂馬:おお! じゃ、島田とルーキー対決か! 頑張れよ!
太陽:テレビの前で応援します!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
静岡エレファントの面々が作戦会議をしている一方で、球場の反対側では、既に作戦会議を終えた埼玉マウスの面々が、思い思いに試合までの時間を潰している。
その中の一人、正捕手、犬養八代は、茶を飲みながら本日の相方、藤大吾と、エレファント打線のおさらいをしていた。
「いいか、大場の見かけには絶対に騙されるなよ。昨年の首位打者で、今年もトップ走ってるのは伊達じゃねえ。──あいつはぱっと見は、陽気で、派手な服きて、派手な車転がして、四六時中、女の尻を追っかけてるようなチャラい男にしか見えないが…………いや、中身も実際その通りの男なんだが、バットを持った時だけはエグい。訓練された狩猟犬みたいに冷静に喉笛を喰いちぎりにくるぞ」
「わかりま……」
大吾は、言葉の途中で顔を押さえて、くしゃみをした。
「すみません」
そう謝る大吾に念のために聞いた。
「大丈夫か? まさか風邪か?」
「いえ、誰が俺の噂でもしたのかも……」
「おいおい……」
確かにくしゃみをした時の常套句ではある。
だが、
「プロ野球の一軍選手が、噂されるたびにくしゃみしてたら生活できねーよ」
「それもそうですね。とすると風邪のひき始めですかね? 気をつけないと」
そうは言っても深刻そうには見えない。大吾本人も本気で心配している気配はない。
ただの冗談だ。と、八代は判断したのだが、
「おいおい、藤! 大丈夫か⁉︎」
横から、心の底から心配そうな声が、大吾にかけられた。
そちらを向くと、今年一軍に昇格した山城が、これまた心配そうな顔つきで大吾を見つめている。
そして、
「調子が悪いのか? 今日、投げられるか? なんなら、よく効く風邪薬を買ってこようか? それとも医務室行くか?」
──大袈裟だっつーの!
そう思ったのは八代だけじゃなかったみたいだ。
大吾は、若干、呆れた様に返事を返した。
「いや、大丈夫です。身体の調子はいいですよ」
それを聞いた山城が、あらかさまにホッとした表情を浮かべると、
「それなら良かった! じゃあ、俺は少しバット振ってくるわ。──あっ! それから、藤。何か困った事があるなら言ってくれよ? 先輩として力になるぜ」
そう言い残して、部屋から出て行った。
残された大吾と八代はなんとなしに顔を見合わせた。
「山城さん。なんか俺に対して、すっごい親切ですよね?」
「そりゃそうだろ。あの人が今年1軍に上がったのは、どう考えても大吾のおかげだ」
「……俺は別に何もしてないですけどね」
「まあ、きっかけってだけだからな。まがりなりにも、1軍に居続けてるのは山城さんの実力だし、これから居続けられるかは、山城さん次第だろ」
どこまでいっても自分次第。それがプロ野球だ。
そう言う八代とて、ただ漫然と正捕手の座に座ったわけじゃない。
去年のペナントリーグの後半に、長らく正捕手を務めていた先輩捕手が、年齢による衰えが原因で一線を退いたのだが、そこからの、リーグ後半からシーズンオフを挟んで春季キャンプやオープン戦の期間中の正捕手争奪戦は、それはそれは熾烈なものだった。
そして、めでたく今期の正捕手の座を勝ち得た八代だが、別にその座が安泰という訳でもない。ちょっと怠慢プレーでもすれば、即座に他の捕手に取って代わられるだろう。
今日ベンチに座る25名は、一人の例外もなく、過酷な選別を潜り抜けている。
──正捕手の座は、絶対に譲らねえ!
その決意と共に、残りのお茶を飲み干すと、相方に告げた。
「よし、大吾。俺らもブルペンに行くぞ!」
「はい」
連れだって、ブルペンに向かう道中、八代はふと思い出したことがあり、歩きながらも隣に告げた。
「大吾。一応、言っとくが……」
「なんですか、先輩?」
「世間じゃあ、お前のカーブのノーヒット記録で盛り上がっちゃいるが、俺はそれを気にしないぞ。例え打たれるとしても、使う所では使うからな?」
八代のセリフに、大吾は不快な顔はしなかった。むしろ、心外そうな表情で言った。
「当たり前でしょう。勝つことが最優先に決まってます。──そもそも、正式な記録でもないですし、俺も、あんまり気にしない様にしてます。遠慮なく要求して下さい」
「ああ、わかった。つまんねえこと言っちまったな……」
八代は、すまんな。と謝りつつも内心では感心していた。
──こいつは、いい意味で鈍感なところがある。
大吾は、去年のドラフト会議以降、ドラ1並みに……というかドラ1以上に世間から注目されている。
更に、一軍を勝ち取り、白星を挙げるたびに、より注目され、今じゃあ、ちょっとしたお祭り騒ぎだ。
それこそ、一挙手一投足を見られているなかで、変に舞い上がったり、緊張で萎縮することなく、実力を実力通りに出し切れるのは、中々に得難い才能だ。
今日も、その才能を存分に発揮して欲しい。
「よし、勝つぞ!」
という八代の鼓舞に、大吾は、
「はい」
と、力強く頷いた。
もうすぐ、静岡エレファントとの試合が始まる。