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29 5月のネズミと象の戦い

 5月のとある日、埼玉マウスのホームグランドの一室で、オレンジ色のユニフォームに身を包む、プロ野球球団、静岡エレファントの面々が、これから始まるナイターの作戦会議を行っていた。


「いいか、間違っても140以上もあるペナントリーグの1試合、だなんて思うなよ! 目の前の一戦に全力で取り組む事が大事なんだ! 俺も、今日を絶対に勝つという気持ちで采配する!」


 まずは勝つという気合から! という信条のエレファントの監督が、先ほどから声を大にして、選手達に演説を行っている。

 監督の口調からは、これまでマウスとは1勝1敗。3戦目はなんとしても取りたい! という気持ちがありありと見える。

 それを聞く選手達は、内心はどうあれ表面上は真剣に監督の演説を聞いていた。

 監督の勝ちに貪欲な精神論を評価している選手は多いし、そうでない者も、つまらない不評を買って試合に出れなくなるのは御免だからだ。

 しばらくして精神論が終わった後、対戦相手の埼玉マウスへと話は移った。


「今日のマウスの先発は、藤大吾だ」


 その監督の言葉に、エレファントの4番打者、大場健太郎は、つい、ヒュウッと小さく口笛を吹いてしまった。

 やべっと、慌てて口を閉じたが、周囲も多かれ少なかれ騒ついていて、健太郎の口笛は上手いこと周囲の喧騒に紛れた様で何よりだ。

 そして、本日の対戦相手のことを考える。

 高卒ルーキー、藤大吾。高校時代は全くの無名でありながら、去年のドラフト会議以降、何かと話題に上がる男だ。

 率直に言って対戦するのが楽しみな相手である。

 いつか戦いたいとは思っていたが、今日はどうやらラッキーデーらしい。

 健太郎に言わせれば、ピッチャーはどいつもこいつもオンリーワンだ。

 ストレート一つとっても十人十色。

 速いストレート。伸びるストレート。逆に沈みがちのストレート。精密なストレート。重いストレートに軽いストレート。熱いストレートや冷たいストレート。気紛れなストレート。ひねくれたストレート。

 ピッチャーの数だけストレートがあり、同じ球を投げる奴など、まずいない。

 更に変化球を加えれば、それはまさに百花繚乱。皆が独自の花を咲かせている。

 そんな個性溢れる投手たちの球を打ち返すのが、健太郎の楽しみなのだが、色とりどりのピッチャー達の中でも、藤大吾は一際、異彩を放っている。

 球界ナンバーワンの長身。球界唯一のジャイロボーラー。そして、球界最高とも噂されるカーブ。

 もはや、始まる前から楽しみで楽しみで仕方がない。

 健太郎は浮かれるままに隣に座っていた同僚に声をかけた。


「おい、今日の相手は藤大吾だってよ。マウスのスーパールーキー。どうする、どうする?」


 その弾んだ声での問いかけに、問いかけられた方は、平常、平熱で答えた。


「どうもしない。何時もどおり、監督の指示に従うだけだ」

「うわ……また、それか……」


 健太郎は肩をすくめた。

 エレファントの2番打者、小倉義則。健太郎と同期で入団した同い年は、何事に対しても、監督の指令、チームの勝利が最優先という信条を貫いており、そのプレイスタイルや言動にもフォア、ザ、チームが根付いている。

 そんな自由人である自分とは正反対の彼のことを、健太郎は信頼しているし、評価もしている。4番の健太郎の前にランナーが出塁しているのは、きっちりと仕事を果たす義則の力が大きいのだ。

 とはいえ、いかなる時もチームプレイに徹する義則のことを、時折、もどかしく思ったりもする。


「お前は、もうちょっと野球を楽しもうって気がないのか?」


 問いかけの形だったとはいえ、答えは聞く前から分かっていた。案の定、


「健太郎の言う楽しむという意味が、自分の好き勝手にやるという意味なら……ないな」


 と、相変わらずこいつは変わらない。更に、


「お前の方こそ、遊びにかまけて悪い癖は出すなよ?」


 という、義則らしい忠告が返ってきた。

 正直、面白くはないが、言っていることはもっともだ。

 エレファントの4番として、東リーグの昨年首位打者として、野球を楽しむこと以上に結果を出す責任とプライドがある。


「……わかってるよ」


 と、殊勝な気持ちで頷いた。面白くはないが……。

 それから、コーチが配った藤大吾の資料に目を通した。

 開幕から先発のローテーションの一角に入り、今に到るまでで6試合登板で3勝1敗、防御率2.64。


 ──可愛くねー!


 というのが、資料をざくっと読み流した健太郎の率直な意見だった。

 今年、プロ野球に入ったばかりのルーキーでありながら、先発ローテの一員としてきっちりと仕事をこなしている。

 そもそも、プロ野球においては1勝することがまず難しいのだ。

 たった25名の一軍に入り、先発を勝ち取り、他球団の一軍を抑える。それだけやって勝ち一つ。

 それこそ、高卒ルーキーなら1勝で大金星だ。

 ルーキーが1勝を挙げると、テレビや新聞が、これでもかというほどに大袈裟に取り上げるが、それは逆説的に1年目の若僧に1勝がどれほどの難事かを示している。

 であるのに、ペナントリーグが始まった3月の末から今日までで、すでに3勝している藤大吾は大金星を超えて可愛くない。

 投手と野手と立場は違うが、少なくとも、健太郎はそうではなかった。高卒ドラ1で静岡エレファントに入団したが、一年目はプロの環境と実力に馴染めず右往左往した。一軍の試合に出ても、プロのピッチングにねじ伏せられた。

 二年目は二軍でみっちりと下積みを重ねた。三年目の途中からやっと一軍に上がり、それからも努力と苦労を重ねて、六年目の今、健太郎は4番に座っている。

 そんな()()()()な野球人生を送っている健太郎だが、自分以上に早く頭角を現す奴は、何が何でも打ち込んで地面にめり込ませてやりたいと思ってる。流石に自分の所のルーキーをどうこうする気はないが、その分、他球団のルーキーには容赦はしない。

 さて、どうやって叩いてやろうか? と思案していると、


「カーブは狙うな」


 そう、監督が皆に方針を告げたので、健太郎も含めた皆の視線が監督に集まった。


「藤のカーブが世間で騒がれているのは確かだが、それは気にするな。カーブが打てない記録なんてないんだからな。他所の球団との対戦映像を見ても、カーブにこだわりすぎるチームは深みにハマっている。だから、カーブは球すじを見るに留めて、ストレートとジャイロボールを見極めることに集中して、確実に打っていけ」


 監督の方針は、大胆と言えるのか消極的と言えるのか、判断に困るものだった。3種類の球のうち1つをスルーしろと言っているのだから。

 だが、あえてそう指示する理由もわかる。

 健太郎は、再び藤の資料に目を通した。

 そこには、エレファントのスコアラーが、様々な角度から洗いだした、藤のペナントリーグ前のオープン戦を含めた今までのデータが、こと細かく載っている。

 中でも特に目を引くのは、球種別の各種成績欄だ。


 ストレート:投球数316 投球割合33.0 被打率.289

 ジャイロボール:投球数358 投球割合37.4 被打率.268

 カーブ:投球数281 投球割合29.4 被打率.000


 健太郎はつい、苦笑してしまった。

 カーブの被打率の所に、綺麗に0が3つ並んでいる。これはつまり、藤大吾はオープン戦を含めた9試合で、およそ60イニング近く投げていて、その投球の3割がカーブでありながら、今までに一本のヒットも打たれていない。

 そりゃ、藤のカーブは誰にも打てない。と、世間が騒ぐ訳だ。新聞でも、藤のカーブの0安打は、一体いつまで続くのか? と大きく取り上げられている。


 ──あ〜〜……どうすっかな?


 健太郎は興奮と共に迷った。

 ぶっちゃけ打ってみたい。今まで誰にも打たれていない藤のカーブを打ち返して、カーブの0安打を破ってみたい。確かに監督の言うとおり、連続無失点イニング数のような公式の記録ではないのだから、下手にこだわるのは下策だと思うが、投手の決め球を仕留めたいと思うのは健太郎の本能のようなものだ。

 一方で、監督の指示通り、カーブに振り回されずにストレートとジャイロボールに絞ってボールを捉える方が、より効果的に藤を打ち崩せる様な気がする。


 ──ああ〜〜、どうすっかな? どうすっかね〜〜⁉︎


 悩みに悩んだ結果、


 ──よし、実際に藤の球を見てから決めよう。


 という結論に落ち着いた。

 つまりは現時点では監督の指示に従うつもりはないのだが、どうせなら仲間が欲しい。赤信号、皆で渡れば怖くない……だ。

 とっさに隣の義則に尋ねようとして止めた。答えは火を見るよりも明らかだ。

 代わりに、後ろの席に座っている奴に首を回して聞いてみた。


「おめーはどうする? カーブ、捨てんの?」


 問われた方は即座に答えた。


「そんなわけないでしょう! 奴のカーブは俺が打つ!」

「あん?」


 その、監督の指示を真っ向から否定した声には、激しい怒りの感情が混じっていた。隠す気すらない。

 健太郎は体ごと向き直って、相手をまじまじと見つめた。

 日に焼けた浅黒い体が、若き黒豹を思いおこさせる男、島田悟。

 昨年、ドラフト1位で入団し、開幕から今に至るまでレギュラーの座を勝ち取り続けている静岡エレファントのスーパールーキーが、荒々しく燃えていた。その目には憎しみすら垣間見る事が出来る。

 だが、健太郎には理解が出来ない。


 ──何で、こいつはこんなに怒っているんだ?


 全国ニュースだった故に健太郎だって知っている。去年の夏の甲子園で、島田が在籍していた深海鮫高校と藤が在籍していた縦浜鱈高校が戦ったことを。

 だが藤は三軍で、島田と顔を合わせたことはなかった筈だし、何よりも、その二校の戦いは深海鮫高校の勝利で終わった筈だ。なのに何故、ここまで島田が荒ぶっているのか理解が出来ない。

 それとも島田には他に藤と接点があるのだろうか。


「お前……藤に会った事があるの?」

「いいえ」


 と、首を振る島田に、


 ──だったら、何でそんなキレてんだよ?


 そう尋ねる前に監督からの注意が飛んできた。


「こらあ、大場! 前を向いて話を聞かんか!」


 やべっ、と内心で呟いた健太郎は、慌てて前を向き、精一杯、 殊勝な顔つきで、監督の話に集中した。


 もうすぐ、埼玉マウスとの試合が始まる。









続きを待っていた方、待っていてくれて、ありがとうございます。

三軍ピッチャープロ野球編を始めたいと思います。面白くなるかはわかりませんが、精一杯、頑張ろうと思います。

ですが、続きを書く都合上、一箇所、修正したいと思います。元の話ではドラフトで神原が最多1位指名だったのですが、神原と島田が5球団ずつ1位指名を受け、龍虎相見える様な形に修正しました。


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