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野良猫とプール開き

野良猫とプール開き


 夏。 それは一年で最も気力を削がれる季節だ。 あの、 容赦のない熱に熱せられればどんな人間でもたちまちやる気と気力を根こそぎ持っていかれてしまう。 それは無論、 授業も同じでまだ冷房の効ききっていない1限目などはあの灼熱の電子レンジと化した教室のすさまじさにノートを取る気もうせてしまうものだ。 ましてや体育など拷問に等しい。 爛々と照り付ける業火の下を、 はたまた蒸し風呂と化した体育館の中で運動部顔負けの肉体労働を、 しかも強制的に課せられるのだ。 あの時の男子たちの瞳と言ったら、 まさに色を失っている。 死んだとかいうレベルじゃない。 せめて花でも添えられれば話は違っていただろうが生憎、 体育は男女別々だ。 こうなるとやる気もへったくれもない。 本格的に出席する意味を疑ってくる。

 と、 まあ。 夏の体育はすこぶるやりたくないのだが、 実は一つだけ、 非常に少ないが絶対的な救いがある。 そう、 それはまさにオアシス。 灼熱に乾かされた心に滴る一滴の雫。 それは……。


「プールの時間だぁぁぁっ」

『シャアァァァァッ!』


 汗と男臭の充満する男子更衣室にこれまた男っ気溢れる狂気が溢れに溢れまくった雄叫びが木霊する。 ちなみに一番最初に叫んだのは宗吾。 実際、 あいつが一番テンション上がってる。 既に今日の朝から異様なハイテンションで現在に至っては目が完璧に逝っている。 あいつ大丈夫か? プールに出た瞬間に理性がぶっ飛びそう。 俺、 絶対に止めないからな。

 まあ、 その他の男子たちも十分に気が狂っているのだがそれも仕方がない。 先ほども言った通りプールはオアシス。 乾いた心におちる一滴の雫だ。 と言っても、 良くわからないだろう。 一言で言えば「女子」 が居るのだ。 それだけだ。 普段の体育は男女別々なのだが、 プールだけは生徒数の関係で合同となっている。 男性体育教諭たちが女子の水着を見たかっただけという説もまことしやかに語られているが……まあ、 深くは踏み込まないでおこう。 きっとそこには大人の闇が広がっている。


「この三日間というプールの授業っ! 最大限に楽しまなければ損だっ!」


 更衣室内ではついに宗吾が椅子の上に立って力弁を始めた。 その様子はさながら革命者、 虐げられた男子を奮い立たすための一筋の矛。 あぁ……絶対、 その革命失敗するな。 

 そんな事を考えている最中にも男子たちのボルテージと宗吾の性欲は際限なく上がっていく。 


「やっぱり田中さんだろっ!」

『いや、 俺は蕾ちゃんに一票っ!』

『俺もだっ』

『お、 俺もっ!』

「おい、 これじゃ賭けになんねーって!」


 ちなみに現在繰り広げられているのは『誰が一番巨乳か選手権』 だ。 俺的にはデカさよりも美しさに重点を置きたいのだけれど……どうだろ?

 全国の女子の皆さん、 高校生の男子は基本こんなもんです。 みてくれはイケメンでも絶対に影で『可愛い娘選手権』 とかやってます。 あと、 たまにまじで理性が崩壊しそうな時とか。 まあ、 男子なら一度は通る道です。 ご了承ください。


 そんなこんなで、 ようやく心と体の準備を整えた我ら男子勢はついにオアシスへと向かう。 ちなみに宗吾は声がデカすぎて廊下までダダ漏れだったので先生に連れていかれました。 ま、 まあ……よかったんじゃないか。 あいつマジで理性飛びそうだったし。 つか、 自業自得だな。

 ということで、 改めて。 いざっ、 楽園へ……。




 気合を入れて炎天直下のプールに足を踏み入れた男子たちは思わず息をのんだ。 そこに広がる光景はもちろん。

「女子だ……」


 どこからともなく聞こえてきた声が自分の呟きであったと理解するのに俺はしばしの時間を要してしまった。 それほどその光景は素晴らしいものだったのだ。 その証拠にほかの男子たちもほかの事は忘れてスク水姿の女子たちをただ茫然と見つめていた。 あ……生きててよかった。


「ちょっとっ! ちょっと! 猫実っ!」


 気が付くといつの間にか目の前に人がいた。 あまりに茫然としていたので気が付かなかっ……ん!?。


「な、 なにぼさっとしてんのよ……」


 目の前の光景は辺りのそれよりさらに素晴らしい物だった。 今、 俺の目の前には猫子が……頬を紅潮させ恥ずかしそうに体をモジモジさせながらこちらを見ている。 


「な、 なによ……」


 しかも口では素直になれないからツンデレ全開だし。


「お前、 なかなかやるじゃねーか……」

「へ?」

「あ、 いや……似合ってるな」


 思わず口から零れてしまった。 殴られることを覚悟したが当の猫子はさらに顔を真っ赤に染めて俯いていた。 全く主張してこない胸……これもありだな。 そんな風に嫌にモジッている猫子をほけーっと眺めていると、 突如、 後ろから何者かに雄叫びと共に抱き着かれた。


「ねーこっざねーっ!」


 背中っ、 胸っ、 やわらかいっ! 唐突に襲ってきたその重量と弾力に一瞬俺の中の何かが覚醒しかけたが、 すんでのところでそれを力技でねじ伏せ、 抱き着いてきた奴、 を払いのける。


「やめろっ、 蕾!」

「えー、 良いじゃない」


 払われた蕾は唇に手をあて残念そうにしている。 ダメに決まっているでしょうが。 そうしないと俺、 一世一代の大決心を易々と決めちゃうところだよ。 そんな俺の葛藤など梅雨知らず。 蕾は全く悪びれる様子もなくくるりと可愛らしく一回転し「どう?」 といたずらっぽく聞いてきた。 俺は間髪入れずに。


「世界一、 きれいだ……」


 と心の呟きを漏らしてしまう。 やっぱり無いよりもある方がいいね。 そんな事を思っていると後ろから凄まじい勢いで殴り飛ばされた。  


「痛って、 なにすんだ猫子っ!」

「なんか、 視線が嫌らしい……」


 そういって腕を胸の前で交差させる猫子。 

「お前のなんか見ねーよ……」

「え、 ほんきで呆れないでよ……」


 猫子さんはやけに今の言葉が突きき刺さったようで涙目になっている。 今度……牛乳奢ってやるか。 ふいに蕾をほったらかしていたことに気が付きそちらを見やると。


「蕾……?」


 なぜかこちらは頬を紅潮させて放心していた。


「お、 おい?」


 蕾は二度目の呼びかけでようやく我に返り。


「えっ! な、 なによバカっ!」


 とキレられた。 なにこの子……意味わかんない。

 と、 そんな調子で男子が待ちに待っていたプールの時間はやってきたのだった。




 プールを挟んで向かい側のプールサイド。 そちらから女子たちがこちらに向けて物凄い殺気を放っている。 その様相はまさに虎。 獰猛に敵を威嚇するかのような立ち振る舞いだ。 対するこちら。 男子も負けてはいない。 もともと体格やらはこちらの方が断然良いので、 我々はそれを存分に生かし切った風格で女子を威嚇する。 それはまさしく龍の名を語るにふさわしい迫力。 この世の覇者として下々の者すべてを見下す王者の風格。 そんな空の王者と陸の覇者がプールを挟んで互いに威嚇、 牽制し合っている。 それだけで何やら神話が生まれそうな勢いだ。 

 なぜ先ほどまで和気藹々と楽しんでいたのにこんな事になったかと言うと。 


「それでは男女対抗水泳リレーを始めるっ!」


 隣の女性体育教師に鼻息を荒くした変態クソ眼鏡(女子命名) の一言からだった。 彼は隣の若い体育教師をチラチラ見ながら意気揚々と言い放つ。 その一言によりこれから男女対抗で自由形のリレーを行う羽目になってしまったのだ。 

 正直言って……悪くない。 そもそも男子はクラスでの自分達の扱いには心底うんざりしていたのだ。 あの、 男子を奴隷としか思っていない目つき。 男女平等参画社会とはいずこに消えたのか。 そのレベルで現在の我々の教室は女尊男虐が進んでいる。 その状況を鑑みれば現在の男子の昂ぶり加減は当然と言えよう。 この戦いに勝って、 あくまで王者は我らにありと、 失われた権威と誇りを取り戻そうという意気込みである。 (※ただの体育のお遊びである)。 

 はたまた女子の纏うオーラは男子たちのそれとは物が違うものの、 男子たちに引けを取らない位に凄まじい物だった。 それは一言で言うなれば『殺気』。 虐げても、 虐げても立ち上がってくる亡国の王者どもに今度こそ「貴様らの世は終わったのだ」 と圧倒的な力を誇示すべく立ち上がった矛であり殺戮兵器。 邪魔で目障りな者ども。 自分が生まれてもいない「過去」 に必死に縋りつく哀れで悲しき種族を根絶やしにしようという根端である。(※ほんとにただのお遊びです)。

 そんな「夢追う者達」 と「今を守ろうとする者達」 が互いにそれぞれの思いに火花を散らしながら対峙する様の凄まじさと言ったらまさにかの有名な三国志の『赤壁の戦い』、 今にも燃え盛る大河が見えてくるようだ。 (※もう……いいです)。

 そんな背景を知ってか知らずか変態クソ眼鏡が。


「じゃあ、 一人目。 飛び込み台に立て」


 と静かに促した。 

 それに応じて男女それぞれの第一泳者が飛び込み台に立つ。 双方の緊張が高まる。 

 こちらは敵の様子を探るべく可もなく不可もなくと言った「高橋」 を選択した。 それに対して女子はと言うと、 まさかの「蕾」 である。 確かに蕾はこちらとしても謎の多い相手である。 転校生と言うことで彼女の強さは未だに未知数だ。 それを考えるとこの第一泳者と言う選択はこちらへの牽制になるなどの点から妥当と言える。 だが、 彼女のカーストがそれを良しとしない。 我がクラスの女子には明確なカースト制度が存在している。 低い順から地味っ子、 眼鏡っ子、 凡女、 部活少女、 委員長、 ギャル、 女王様、 という内訳になる。 ちなみに唯一無二にして絶対不可侵の腐女子というカーストも存在する。 これらのカーストは大体、 入学してから1、 2か月のうちに形成され、 一度つけられたカーストからは下がることはあれど上がることは絶対にない。 また、 自らのカースト外との交流は固く禁じられている上に、 下のカーストの者は上の者を敬わなければならない。 唯二、 例外となりうるのは女王と腐女子のみ。 

 改めて聞くとやっぱ女子怖えぇ……。

 さて、 勝負に戻ろう。 蕾がなぜ第一泳者に似つかわしくないのか、 答えは単純だ。 彼女のカーストがそれの最上位にあたる「女王」 に位置しているからである。 蕾は女子界のイレギュラー中のイレギュラーなのだ。 転校生の癖にその磨き抜かれた多重人格を駆使して当時の女王を追い詰め失脚させた。 それが約1月前ほどの事。 当時の女子の空気と言ったらまさにフランス革命期のそれ。 毎日一人は裏切りか単純な力負けで権力と言う名の断頭台で公開処刑させられてた。 血が血を生み、 二日おきくらいには勢力図が塗り替えられる様は見ているだけで身の毛のよだつものだった。 そして、 革命が終わってもなお「奴隷」 のままの我々とはいったい。 まったく権利の章典とはいずこに消えたのか。 

 とにかくそんな経緯から女王の座を奪い取った蕾だ。 しかも、 基本こういうお祭りごとではトリをかざる女王をこの最序盤に引きずり出したという事は……確実に何かある。

 これは用心せねばという事で、 俺は高橋に目配せを一つ。 高橋はと言うと……全く気付く気配はなかった。 うん、 知ってた。 だってそんな仲良くないもん。 

 という事で、 不安しかない物の変態眼鏡の口にホイッスルが咥えられる。 自然と緊張は最高潮に、 そして……。


 ピーィッ!


 甲高く鳴り響くホイッスルと共に高橋と蕾はそろって入水した。 ドボンっという水が跳ねる音。 それをかき消すように二人は騒がしく水をかきクロールを始めた。 

 さすがは高橋だ。 ほんとに可もなく不可もない、 マジで凡庸。 対して蕾は……あれ、 あいつどこに行った? 一瞬、 蕾の姿を本気で見失ってしまった。・ だが、 見つけた次の瞬間、 男子たちは一様に絶句することになったのである。 なぜなら……。


「は、 速いっ!」

「嘘だろ……もう、 半分かよ」


 そう、 蕾は既に高橋の遥か先を泳いでいたのだ。 それも凄まじい速度で。 良く考えれば当然の事かもしれない。 蕾の運動神経は抜群に良い……らしい。 語尾が不確かになってしまうのは男子で見たやつが一人もいないから。 通常の体育は男女別々である、 それゆえに蕾の体育中の武勇伝と言うのは体育後の教室での女子たちの会話からしか聞いたことが無い。 だが、 その伝聞だけでもなにやらすごいらしいという事は伝わってくるのだ。 ならば水泳も例外では無いだろう、 彼女の泳力も何やらすごいようだ。 

 こんな事を考えている間にも蕾はどんどんゴールへと近づいている。 もちろんどこをとっても凡庸な泳ぎしか出来ない高橋がここから巻き返しを図れるとも思わない。 ならば次にかけるしか。 そう思って女子陣営の次の泳者をみる。 敵はどうやらこのままケリをつける気だ。 蕾の次に控えるのはクラスでも運動ができると評判の女子、 確か去年のプールでも見事な泳ぎを披露していた。 対するこちらはしばらく凡庸な人間が続くこれじゃ巻き返せない。


「あっ! 女子は次にいったぞ」


 そうこうしているうちに蕾はゴールに辿りつき次の者にバトンタッチしていた。 このままじゃマズい。 誰しもが絶望を予感し始めた時。


「俺が行くっ!」


 声高に聞きなれた声が響いた。 それは……。


「そ、 宗吾っ!」

「事情は何となく察した……この戦い、 俺たちの全てが掛かってるんだろ」


 それは流石に言いすぎだろ……まあ、 本人は何やらノリノリだしいっか。 でも、 連行されたよな?


「お、 おい。 こっちにいて大丈夫なのかよ?」

「ん? ああ、 なんか生徒指導のおっさんにプール(性的な)の素晴らしさを説いたら共感して快く送り出してくれたぞ」

「おれ、 もうこの学校やめよーかな」


 先生としてどうなんだそれ。 こちらの虚しさなど梅雨知らず宗吾はさっさと飛び込み台に立っていた。


「お前、 勝算はあるのかよ?」


 見れば女子との差は既に半分ほどある、 これを巻き返すのは並大抵の事じゃない、 それなのに宗吾は。


「男には何よりも強力な力ってもんがあるだろ?」


 と、 すまし顔で言ってきやがる。 一体、 どんな秘策があるというのだろう……力ってなんだ? 

 宗吾はいつの間にやら美しいフォームで飛び込みの姿勢を取っていた。 高橋ももうじきやってくる。


「男の活力、 それは別に平和への希求とか悪の打倒とかそんなもんじゃない」


 迫る高橋を前に何やら宗吾は力弁を奮っている。 その姿はまさに革命家の勇姿、 あのレーニン顔負けの大演説……「男子に関する布告」だ。 

「けど、 いつだって俺たちの心の中にあってっ、 時に莫大な力を授けてくれる……あるものはそれを魔物と呼び、 またある者はそれを聖剣と呼んだ。 畏怖も畏敬もされる、 俺たちしか持たない力っ! それはっ」


 迫る高橋、 轟く布告。 もう男子たちは宗吾の言葉の虜だ。 皆、 一様にその言葉の素晴らしさに感慨深く聞き入っている。 さあ、 革命の勇者よ、 時は今だ……その力と言葉で俺たちを再びあの玉座へと連れて行ってくれっ!

 高橋がプールの壁を触った。 その瞬間、 飛び込む宗吾から雷鳴の如く、 声が上がる。


「性欲だぁぁっ!」

「は?」

『うぉぉぉぉっ!』


 いやいや、 あんな大演説しといてそれは無いでしょ、 つか『うぉぉっ』 ってうちの男子どんだけ頭わりーんだよ。 先ほどとは打って変わって狂気に満ち溢れている。 テンションに飲まれた男子は時に女子より怖い。 


「お、 おい……あいつ早くねーか?」

「ほんとだ、 さすがは性欲……」


 う、 嘘だろ……。 確かに速い。 凄まじく速い。 既に開いた差を半分ほど巻き返していた。 その上、 まだ加速している。 これがほんとに性欲によるものなのだとしたとんでもない大発見だ。 


「あれはまさか……」


 ふと遠くから呻くような声が聞こえた。 なんだと思いそちらに目を向けると視線の先に居たのは彼の変態眼鏡……そろそろかわいそうになってきたな。 そんな彼は明らかに高揚の表情を隠しきれていない。 唇を不気味に引きつらせ、 眼鏡の奥の瞳はぎょろりと見開かれている。 正直、 遠くから見ているだけでもおぞましい。 そんな彼の不気味な口から何やらブツクサと言葉が漏れだした。


「あれは……追っているっ!?」


 へ? なにを? 宗吾が?


「目の前にある、 女子生徒の()を追っているだと……バカなっ」


 嘘だろ……きもちわりぃ! なんかやけに尻の語調だけ妙に強かったし。 つか、 幾ら宗吾でもそんな。 

 そう思い泳ぐ宗吾の方に目をやると……絶句した。 泳ぐ宗吾の眼が変態眼鏡のそれと比べ物にならない位に見開かれていたのだ。 その血走った視界の先にあるのはゴールではなく……尻。 追ってるぅぅぅ! 完璧に追ってるよ宗吾君っ。 つかそれで力を得るとかどんだけ変態なのよこいつ! 

 だが、 確かに性欲の力は絶大らしく実際宗吾は放された差を埋める勢いだ。 それに苛烈を帯びる男子たちの声援の中、 さらに一際大きなセクハラが木霊する。 


「だが、 あれは諸刃の剣っ! 力の源である尻を失えばたちまち失速してしまう!」


 マジかよ……そんな制約ついてのかっ。 待てよ、


「じゃあ、 相手を抜いたらっ?」

「あぁ、 無論、 力の供給が止まり失速する」


 おい、 それじゃマズいだろ……あいつもう抜くぞ。 その瞬間に皆が息をのんだ。 宗吾が女子に迫る、 あと少し。 そして……。

「失速……しない!?」


 驚愕に溢れた変態の声。 それもそうだ宗吾は今しがた確かに相手を抜いた。 なのにも関わらず失速するどころかさらに加速を始めたのである。 その勇姿に猛り狂う男子。 激しい嫌悪感に満ちた目を(主に宗吾と変態に)向ける女子。 それでも宗吾は進む、 魚雷の如く。 その瞳は血走ったままっ、 血走ったまま……あいつまさか!


「おっぱいだと……」

 

 呻くようにつぶやく変態。 その言はさらに苛烈に弁舌になっていく。


「奴は尻を失うや否やすぐさま対象を飛び込み台に立つおっぱいに向けたのかっ!」


 いや、 今の表現はちょっと女子に失礼じゃないか? 隣の女教師、 一歩引きましたよ。 


「本来、 男子は一つの属性しか持たない……それを彼はっ、 まさかほんとにいたとはっ、 「二刀流(メシア)」っ!」


救世(メシ)()」っ! 二刀流(メシア)救世(メシ)()っ!? あーもーわけわからん。 あたかも神々しい者の様に放たれた言葉はアッという間にアホな男子を魅了した。


二刀流(メシア)……」

救世(メシ)()……」

二刀流(メシア)っ! 救世(メシ)()っ!』


 そして狂ったようなメシアコールを呼び寄せたのだ。 メシアは近づく不当な支配に苦しむ哀れな亡国の臣下達の思いを乗せて、 それを次に託そうと必死になって泳ぐ。


「彼こそが……彼が!」

「宗吾こそ……」


 水を掻くあいつの手がプールサイドに振れる。 それを持ち望んで居たかのように上がった大音声。


『うぉぉぉぉぉっ!』


 まだ勝ってもいないのにこの歓喜、 それほど宗吾の姿は皆に希望を与えたのだ。 それに何より、 先ほどまで引き離される側だったこちらが今度は引き離す側になったのだから。 だが、 この宗吾が何か大事なものを失ってまで手に入れた差は結構、 あっさりと奪われることになる。




 熱気と狂気と殺気が入り乱れるプール。 競技も最終局面だ。 アンカー対決。 競技の花形、 またアンカーはほかの人とは違い往復、 すなわち50メートル泳がねばならない。 その大事な局面にこちらが選んだのは隼人。


「おい、 大丈夫かよ。 この大事な時にあいつって」


 となりで不安そうにぼやくメシアこと、 宗吾。 


「仕方ないだろ、 速い奴は序盤で投入しちゃったんだから」

「そうは言ってもなあ」

「ま、 まあ。 運動神経は俺たちの中じゃあいつがトップじゃんか」

「所詮、 俺たちの中でだろ?」

「う、 それにほら、 こんだけ差がついてるんだぜ?」


 事実、 現在の戦況は圧倒的にこちらが有利。 隣に居るメシア様のおかげで一周差がついている。 それで宗吾に得意顔されんのはなんだか癪なんだが。


「まあ、 せいぜい期待するか」


 未だに不安の残る宗吾である。 まあ、 わからなくもないけどね。 そんな事を考えながら視線を隼人の隣、 即ち女子側のアンカーの方を見やる。 そこに居たのはこちらもよく知る人物。 


「へー、 相手は櫻子か」


 どうでも良さそうな宗吾の声。 まあ、 この差ならまず並の女子には覆せないだろう、 そう並の女子……あれ、 なんか大事な事を失念してねーか? 

 春野 櫻子……普通に仲の良いクラスメイト。 成績は凡庸、 ただその分、 部活動に力を入れていてそちらでの成績は凄まじいだとか、 インターハイとかなんとか。 そして、 確かその部活ってのは……。


「よっしゃあ、 行けっ隼人!」

 そんな宗吾の激励から少し遅れてばしゃっと言う水を叩く音。 隼人が入水した。 対する女子はというと未だにアンカーの一人手前がそろそろゴールしそうと言ったところ。 櫻子は余裕の表情。

 櫻子の部活って確か……。


 水泳部。


「油断すんな隼人っ! もっと速くっ!」


 思わず叫んだが水を必死に掻く隼人には届かない。 そんな時、 向こうでばしゃっという入水の音が聞こえた。 櫻子が水に入った音、 そして残酷な敗北への始まりの音。 

 入水した櫻子はそのまま凄まじい速度で進み始めた。 それは魚雷もかくやと言った速度で、 瞬く間に隼人との間隔を詰める。 


「急げっ! 隼人」

「もっと速く!」


 男子たちの悲鳴にも似た声援。 隼人は辛うじてギリギリ抜かれずに25メートルのターンを切る。 ただ辛うじてだ。 隼人がターンを切ったそのすぐ後に櫻子もプールの壁を蹴る。 残るは単純な直線勝負25メーター。 片や息も絶え絶えの一人、 片やまだまだ余裕そうな一人。 勝負はあっという間だった。 


「……あ」

「うそだろ……」


 男子たちのそんな小さな悲鳴と共に櫻子は余裕そうに隼人を抜き去って行った。 それはもうごく自然に、 何事もなく。 勝ちに喜ぶ女子の歓喜が、 負けに悲しむ男子の嘆きが、 双方、 微妙に遅れる程、 それはあっさりとした、 あっけらかんとした勝利であり、 無論、 敗北であった。




「いやー、 やっぱすごいね櫻子は」

「ああ、 まさか負けるとは思ってなかったよ」

「そ、 そんな事ないよ」


 戦いが終わって直後。 緊張状態も解けて再び男女混ざって自由時間を謳歌している。 一部を除いては……。


『なにやってんだ隼人っ!』

『なんであそこで負けんだよ』

「た、 助けてねこっち……ってーなぁっ、 宗吾!」

「ひ、 ひぃっ! ごめんなさい!」


 なんか遠くでリンチが起こってんな……まあ、 いいや。 あと、 宗吾……自業自得だ。 

 そんな事は置いといて、 現在、 俺の目の前に居る女性は女子陣営のまさに勇者、 勝利の女神と言った所だ。 先ほどから性別問わずチヤホヤされているが、 これまた彼女は「そんなにすごくない」 と謙遜しまくるのだ。 そりゃもう謙虚すぎるくらいに、 この辺、 俺の隣に居る生意気娘にも見習ってほしいものです。 なあ、 猫子?


「お前、 戦犯の癖になんでそう得意気なんだよ?」

「敗者はだまらっしゃい!」

「げふっ!」


 脇腹への肘鉄、 チョー痛い。 そもそも余裕かましといて足つらせて差を広げまくった大戦犯が何を偉そうに言ってるのか。 軍だったら間違いなく軍法会議ものだろうに。 ただ、 今回は敗戦の将らしく大人しくしておこう。


「あら、 やけに素直なのね、 敗残者(、、、)さん」

「うっせえ……大戦犯」


 このまま、 取っ組み合い、 かと思われた。 そう、 思われただけ。 咆哮を上げながら俺に掴みかかろうしていた猫子が突然、 ぴたりと動きを止めた。 厳密に言うと、 異変に気付いた。 俺たちの目の前、 いつもなら軽口と共に(主に猫子の)味方をするであろう彼女が今日は妙に静かな事に。


「ど、 どした?」

「どうしたの櫻子?」


 俺たちは掴み合った姿勢のまま尋ねる。 櫻子はあからさまに逡巡していた。 まるで迷っているかのように、 言うべきか言うべきでないか。 だが、 しばらくすると答えを得たのかおずおずと口を開く。


「最近ね泳ぐの楽しくないんだ……なんか作業みたいに感じちゃってさ、 それでタイムも伸び悩んでて」


 その声音は実に弱々しいもので櫻子が本当に追い詰められているのだと感じとる。


「来週には大会も迫ってて、 なんとかしないとなんだけど……どうにもね」


 エヘヘと自嘲気味に笑う櫻子。 そんな櫻子に俺にかけていた腕を解いて猫子は歩み寄る。

「ごめんね、 こんな話してっ! 大丈夫、 たぶんどうにかなるよ!」


 大丈夫じゃない、 そんなことくらいはわかるこのタイミングでの大丈夫に一体どんな感情が籠っているのか。 本当に弱った人間の大丈夫ほどあてにならない物はない。 ふと、 猫子を見る。 猫子もそれを感じ取っているのかなにやら複雑そうな瞳で櫻子を見ていた。 おそらくもどかしいのだろう。 何かをしてやりたいが何も出来ないそんな自分が気に食わないんだろう。

 でもな猫子、 こういう奴にしてやれる事って結構たくさんあるんだぜ。 例えば傍に居てやるとかさ、 だから俺は一歩を踏み出す。


「手伝ってやるよ、 水泳の練習」

「えっ?」

「はっ!」


 呆けたような二人の表情。 そんなのには構わず俺はさらに続ける。


「いや、 やっぱそういう時ってのは自主練だろ? ただ自主練にも人ではいる、 だから手伝ってやるよ」

「い、 いや……でも」

「良いじゃん! やるやる」


 戸惑う櫻子に猫子の力押しが炸裂する。 おっ、 わかってんじゃん大戦犯。


「な? 良いだろ」


 と、 いうわけでこちらも力押しに便乗。 辛いとき重要なのは傍に居る事、 これ重要。 友達ならなおもよし。 相手が本気で辛そうだからこそこちらも少し強引な位が丁度いい。 このままひきづっても辛いのは櫻子だから。 だからさ、


「う、 うん分かった」


 しばらくは支えてやるよ。 


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