7 - 襲来1
暗殺者に追われていた女に巻き込まれ、あんなことやこんなことがあった翌日。
俺が匿名の手紙で知らせたからか、それとも、あの場にいた他の誰かが報告してくれたのか、昨日の内に緊急告知で敷地内に賊が侵入したことが周知され、館内には警戒態勢が敷かれていた。
「あー、緊張するな……」
今のところ、俺が昨日の件に関わっていたことがバレた様子はない。
自慢じゃないが、俺はかなり交友関係が狭いし、館内での影の薄さには自信がある。
金髪女やまだ見ぬ助っ人さんに顔を見られたとはいえ、その報告から奴隷の館サイドが俺を特定するのは至難だろう。
金髪女に名乗った『ニート』という名前だって、俺の周りのごく一部しか知らないものだ。というか、そもそも名前ですらないし、俺と結びつけるには至らないはず。
それはわかっているのだが――。
「更新まであと5分。もうちょいゆっくりでもよかったな……」
俺は、朝早くから宿舎のエントランスに来ていた。
各宿舎のエントランスでは、朝と夕方の2回掲示板が更新され、様々な情報を得られる。
新作の朝食メニューや、イベント情報など、知ってお得な耳寄り情報から、改築情報、館内仕様変更の重大なお知らせまで、本当に様々だ。だからこそ、毎日の掲示板確認は欠かせないし、確認を怠ったのがバレれば厳重に注意される。窓口では口頭でも確認できるので、文字が読めないからと言い訳も許されない。
「……大丈夫、俺は別に悪いことはしていない。奴隷の首輪は外せるものなんだ。外せないものだなんて俺は知らなかった。うん、知らなかったんだ」
普段であれば、鼻歌交じりにさらっと目を通して終わりだが、今回は違う。
自業自得とはいえ、俺にもきてしまったのだ。笑顔と絶望を呼ぶ『本日の呼び出し者リスト』に怯えなければならない日々が。
ここに管理番号が載る奴なんていうのは大体決まっている。
気に入られて雇用のオファーを受けた奴か、悪いことをして呼び出された奴の2種類だ。
後者が絶望であり、仮に俺の管理番号がリストに記載されていた場合も同様だろう。
奴隷ニートの俺が雇用のオファーを受けるなどとありえないし、昨日の今日であんなことがあったというのだから、呼び出される心当たりがないとはいえない。
「そろそろか……」
時刻は午前4時57分。朝の掲示板更新が今まさに行われようとしていた。
「あれ、宗司? こんなに朝早く珍しいね」
ん、この声は。
「お、ユー君じゃないか。ゴブも一緒か」
二人と挨拶を交わす。
図書室以外でユー君とゴブに遭遇するのも久し振りだ。俺と同じく第二宿舎に寝泊りしているとはいえ、生活リズムが異なっていると意外と会わないものである。
「宗司もリディア様のことが気になるんだね」
「え? リディア様?」
「あれ、違うの? リディア様が無事だったっていうのは昨日の緊急告知で聞いたけど、行方をくらましていた件も含めて、詳しくは公開されなかったからね。宗司も気になって早くから掲示板を見に来たのかなってさ」
行方をくらましていた? 王女が?
『リディア第一王女の無事が確認されました』という緊急告知は俺も聞いたが、行方をくらましていたというのは初めて知った。
俺の中では、王女様が怪我か体調不良で休んでたけど元気になりました的な、王女様ならではの大袈裟な告知なのだと解釈していたのだが、違ったらしい。
しかし、そうなると……。
恐らく、失踪したという緊急告知もあったはずだが俺はそれを知らない。
俺が密林地帯に入ってから王女様の失踪が告知され、俺が館に戻ってから王女様の無事が告知されたということだ。
確か無事が告知されたのは、俺が館に戻って15分くらいしてからだったか?
……タイミング的にはおかしくないか。
脳内に浮かぶのは一人の女。
昨日の金髪女だ。
――いや、考えすぎか。
……考えすぎだよな?
だって、どこからどうみても森のレンジャーだったし、元同居人から貰ったノートのイラストと似ても似つかない。
イラストではなんかキラキラしてたし、世界とか管理してそうな風格だった。
「グギャギャ! ソウジも王女様気になる。王女様、綺麗だから当たり前。女神、女神」
「だよな、王女様は女神だよな。森のレンジャーじゃないよな」
うん、やっぱり違うな。
確かに容姿は整ってたけど、女神ってほどじゃない。
「――あ、張り出されたよ。時間丁度だね」
「お、ようやくか」
ユー君に言われ、俺も掲示板に視線を移す。
俺が最初に注目するのは――
よかった……。
載ってない。
『本日の呼び出し者リスト』に俺の管理番号の記載はない。
1週間ほどは緊張した日々が続くだろうが、一番張り出される可能性の高い今を乗り越えられたのは大きい。
「宗司!! これって!?」
「ソウジ!! ソウジ!!」
安堵する俺の隣で、ユー君とゴブがなにやら騒いでいる。
そんなにテンションの上がるような記事があったのだろうか。
残念だったな。
今の俺は、並大抵な出来事なら容易に受け止められる鋼の精神を手に入れてしまったのだ。
二人と同じテンションで楽しむことはできないだろう。
んーと、なになに……。
『リディア第一王女 暗殺者に襲われるもニートを名乗る青年に命を救われる』
……うん、なるほどねー。
そういうことね、なるほどなるほど。
――いやいやいや!!
待てって! 何の冗談だよ!!
確かに嫌な予感はしていた。
でもこれは想定外だ。
ここまでのことは想定外だ。
「ねえ、宗司。まさかとは思うけどニートって……」
「あ、ああ、そうだな。王女様だもんな。うん、やっぱり王女様だし。王女様は森のレンジャーで、暗殺者が暗殺者だよ。俺は知ってるんだ」
「宗司、意味がわからないよ……。というか、その焦りよう……、やっぱり宗司のことなの?」
待て、冷静になれ。
冷静になれ、俺。
全てを話すわけにはいかない。
ユー君は大丈夫そうだけど、ゴブは隠し事とか苦手そうだし。
暗殺者に襲われたというだけなら話しても問題はなさそうだが、俺の首輪の件は知ってしまうと良くない類の話だ。
ただでさえ、今回の件でバレるリスクが跳ね上がったのだから、二人をこんなタイミングで巻き込むのは身勝手がすぎる。
幸い、この記事には首輪のことは書かれていないし、首輪の件――現場にいた理由については隠したまま話そう。
「あれだ。現場にはいた」
「それじゃあ宗司が――」
「違う違う! 現場には確かにいたんだけど、俺じゃないんだ。この『ニートを名乗る青年』っていうのは間違いなく俺のことだが、実際に王女様を救ったのは俺じゃない。凄腕の魔法士が何人もいて、その魔法士達が俺と王女様を助けてくれたんだ」
「でもリディア様の証言では宗司が助けてくれたって……」
証言!? そんなものまで書かれてるのか!
『彼はとても謙虚で、最後まで自分の手柄を認めようとはしませんでした。
そして、素性も明かさないまま私の前から立ち去っていってしまったのです。
どうか、彼を探してください。一言でいい。御礼がしたいのです。
彼は、身長171cm、痩せ型、象牙職の肌、真っ黒な髪と瞳、右手の甲には薄っすらと古傷がありました。その時、着ていた灰色の上着の裾には、私を助けてくれた時に付着した私の血が残っているはずです。』
……やってくれる、あの糞女。
とんでもない行動力だ。
上着の裾、背中側には確かに血液のようなものが付着していた。
人の衣類に血でマーキングとか頭がおかしい。
何が『助けてくれた時に付着した』だよ。
絶対わざとだ。俺の上着を引っ張ったときに付けやがったな。
全部終わった後の話じゃねえか。
「ユー君、ゴブ、これは巧妙な罠だ……」
頭に疑問符が付いたままの二人に、俺は静かに語りかける。
「どうやら王女様は、たまたま居合わせただけの俺をヒーローか何かと勘違いしているらしい。俺は何もやってないんだから、お礼なんていらないし、きっと時間がたてば王女様の勘違いも解けると思うんだ。本物のヒーローが名乗り出てくるかもしれないしさ」
だから俺のことは黙っていて欲しい。
そう言いかけた時だった。
「失礼いたします」
エントランスの入り口が大きく開かれ、二人の女が圧倒的な存在感をもって現れた。
一人は声の主であろう、クールな印象の銀髪メイド。
そしてもう一人は――
「げ、あいつは……」
昨日の金髪女――リディア第一王女であった。