3 - 非日常1
奴隷の館での代わり映えのしない日々が俺は好きだ。
好きなだけ寝て、美味しいご飯を食べて、図書室で本を読んで、また美味しいご飯を食べて、好きなだけ寝る。
それぞれ時間配分や回数が変わることがあっても、俺の行動自体は”基本的”に同じである。
基本的に同じではあるのだが――
「いや、さすがにあれは無理だよね」
『奴隷の館』という広大な施設の一部である密林地帯を一人歩きながら俺は呟く。
実技系の試験や授業において使われる密林地帯だが、幸いなことに今日は誰も利用者はいないらしく、先ほどから人っ子一人見つからない。
「まったく、この静けさを見習って欲しいものだ」
つい先ほどまで図書室で読書を楽しんでいた俺。
ユー君もゴブも今日は姿を見せなかったので、嫌な予感はしていたのだが案の定だ。
ある時間を境に、突然、周囲が騒がしくなり、半強制的に俺の楽しい読書の時間は終わりを告げた。
『図書室では静かに』、そんな注意書きにも盲点はある。
図書室外――具体的には隣の建物での騒音に対しては無力だということだ。
「先月もやけに隣がうるさい日があったのは、そういうことだったんだな」
正確には先月だけではない。
先々月も、その前の月もあった。
大物が来館して盛り上がっているのだろうと深く考えることはしなかったが、まさか全て同じ人物が原因だったとは。
――そう、今日は例のリディア王女の来館日である。
この国、クラベスの第一王女で、今は亡きシーラ王妃の娘。
シーラ王妃の意志を継いで、奴隷制度変革の中心となっているらしく、今の素晴らしい奴隷制度は、シーラ王妃やリディア王女がいたからこそ成り立っているといっても過言ではない。
そんなようなことが、以前、元同居人に貰った来館者予定ノートに書かれていた。
「容姿端麗、聡明、寛大、カリスマ、あとはなんだったかな……」
ありったけの褒め言葉がノートに書き連ねられていたのを覚えている。
フルカラーイラスト付きのラスボスはやはり何かが違うということだろう。
「――まあいいや。とにかく俺が言いたいのは、人気がありすぎるのも考え物だよねってことなんだよ」
契約争いが白熱してか、図書室にまで声が届いてくることは珍しくはない。
ただ、今回のはそんなものの比ではなかった。
加えて、外がうるさいだけならまだしも、図書室にいる連中までもが、どこにいるかもわからないリディア王女を探し、窓から身を乗り出して騒ぎ出す始末。
「おい、図書室では静かにしないと駄目らしいぞ」という俺の優しい忠告に対して、「なに言ってんの? 窓の外は図書室じゃないじゃん」と、とんでもない理屈で対抗され、俺は全てを諦めた。
そして現在。
「うし、到着だ」
密林地帯に入り、小川沿いに進んで変な切り株二つが見えたら右折。そこからきっちり2分進んだところにある1本の大木こそが俺の目的地――いや、出発地点と言うべきか。
禁止区域に3方向を囲まれたこの地形は、今の俺にとって非常に都合がいい。警戒すべき範囲が後方のみに絞られるし、大木の反対側にいけば後方からの視線も遮れるからだ。
「こんなところ誰かに見つかるわけにはいかないからな」
今回の俺の目的はズバリ、外出である。
俺は奴隷ニートとはいっても、引きこもりではない。
刺激欲しさや、今回のように図書室が暴徒の手に落ちた際に、奴隷の館からコッソリ抜け出すこともある。
無論、本来であれば奴隷の首輪を付けている限り、奴隷の館から抜け出すなどということは不可能なのだが、壊れた首輪を付けている俺はその限りではない。
もしも俺の付けている奴隷の首輪が正常に作動しているなら、ここから一歩、二歩と進む度に首輪が締まり、禁止区域を越えるまでに俺の意識は途絶えることになるだろう。
死ぬほど首輪が締まるということはないにしても、恐ろしい話だ。
「さて……」
周囲を再度確認し、大木の裏側に回ってから俺は首輪を外す。
機能はしていないとはいえ、こんなものを付けたまま街に出るわけにはいかない。世間一般では、奴隷の首輪を外すことと奴隷の館から解放されることが同意義である以上、首輪を館の外で晒せばどうなることやら。
「行くか」
首輪は鞄にしまったし、心の準備もできた。
後は外に出るだけ。そう考えて禁止区域に足を一歩踏み出した矢先であった。
「逃げて!!」
――え?
右前方。反射的に声の方向に顔を向ける。
まさか禁止区域側から人が来るとは俺も思っていなかった。向こうには塀しかないはずなのだが。
「早く逃げて!! 早く!!」
肩まで伸びた金色の髪を乱しながら、一人の女が禁止区域の奥からこちらに向かって走ってくる。
女はグレーをベースとした服装で、動きやすさに重点を置いたような格好だ。太ももと二の腕以外の肌の露出は抑えられているが、それがかえってエロイ。
「高級そうな素材に高級そうな装飾品……ふむ、俺がこの女のファッションに名前を付けるとするなら『森のレンジャー80レベル』と名付けるね」
ボウガンが似合いそうだ。
「何してるの!! お願いだから逃げて!!」
そう叫ぶ女の後ろからは、後を追うように動く複数の黒い影がちらほら見える。
数は3、4、5……。
「おいおい……、いつからここはリレー会場になったんだ?」
バトンの代わりにダガーを持った黒装束の小団体が、独特な走り方で向かってきている。
バトンの受け渡しではなく、ダガーを突き刺せば走者交代だろうか。どうやら異世界のリレーは一味違うらしい。
――って、どう見ても暗殺者です。本当にありがとうございました。
ありとあらゆるだまし絵を一発で見抜いてきた俺が言うのだから間違いない。
彼等は暗殺者だ。
そして、ターゲットは金髪の女だろう。
俺がその答えに辿りついた時には、俺と女の距離は声を張らずとも会話が成り立つくらいには近づいていた。
「どうして逃げないの!? 逃げてって言ってるじゃない!」
足を止め、必死な表情で女が俺に訴えかけてくる。
よほど余裕がないのか、女の焦りが目に見えてわかる。
「お願いだから何も聞かずに今は逃げて! このままじゃあなたも殺されちゃう!!」
何も見なかったことにして帰りたい。そう思わなかったかと聞かれれば答えはYESだ。
だが、その姿を見てしまったのだから戻れない。
傷だらけの身体で怪しげな連中から逃げている女。
そのおぼつかない足取りでは、追いつかれるのにそう時間は掛からないだろう。それは恐らく女にもわかっているはず。
それでも女は俺に向かって『助けて』ではなく、『逃げて』と言う。
「はあ、本当になんでなんだろうな……」
せめてもっと憎たらしい奴であって欲しかった。
『私を助けなさいゴミ野郎』とでも言ってくれていれば、俺は光の速さで逃げていただろう。
まあ、逃げてたとしても結果は同じだろうけどな。
本音を言わせてもらうと、それがこの場で立ち止まっている一番の理由かもしれない。
迫る暗殺者さん達の目が俺を逃がさないと言っている。
彼等が、バトンと間違えてダガーを持ってきちゃったうっかりリレー選手なら、どんなによかったことか。
この女とあちらの方々の間にどんな事情があるのかは知らないが、この場に居合わせてしまった時点で俺はどのみち詰んでいたようなものだ。
だってのに、なんで俺はこんなに落ち着いているんだろうな……。
自分でも不思議である。
現実逃避しているのか、はたまた無自覚のうちに死を受け入れてしまったのか。
こうしている間にも、生き延びられる方法を考えているのだから、生への執着がなくなったわけではないはずなのだが。
「何してるの、早く――うっ……!」
ついに女が立っていることもできなくなったようで、その場にしゃがみ込む。
足の傷が深いようで、出血が酷い。放って置いても死ぬことはなさそうだが、よくこれで走れたものだ。
「助けが来る予定はあるのか?」
大丈夫か、などと答えのわかりきった質問はしない。
俺が今知りたいのは、助かる見込みがどの程度あるかということだ。
俺の直感によると、女を置いて逃げ出していた場合の生存確率は0.3%、暗殺者と戦闘になった場合は0%と出ている。
ここは、俺の華麗なネゴシエーションで時間を稼ぎつつ、助けが来るのを待つのがベスト。こんな敷地の端では奴隷の館からの援軍は望み薄だろうが、女に当てがあるというのなら話は別だ。暗殺者の何人かが負傷していることから、女には仲間がいると俺はみた。
「私のことはいいから逃げて!!」
「残念ながら、あいつらは俺を見逃す気なんてないさ。むしろ、動けないあんたより、俺を先に仕留めにくる可能性の方が高そうだ」
俺の言葉に女が顔を俯かせる。
そして一言「ごめんなさい」とこぼした。
「気にすんな、こんな人気のない所にいた俺も悪い。それより、助けはどうなんだ?」
「……来るわ、必ず。でも……」
女はそれ以上口にしない。
きっと『来たところでこの人数を相手にするのは難しい』、あるいは『来るのに時間がかかる』という意味合いの言葉が続くのだろう。
それでも頼るものが他にない以上、俺達に選択肢は残されていない。
なに、この女の仲間が、奴隷の館に知らせてくれている可能性だってあるんだ。
諦めるには早い。
「当面の目標はあんたの仲間が来るまで時間を稼ぐことだな。あとのことは来てから考えよう」
作戦を練る時間はなさそうだ。
俺と女は既に暗殺者達に囲まれてしまったのだから。