25 - エピローグ1
ラシッド騒動から2日が経過した。
襲撃は暗殺者ラシッドの単独によるものと断定され、現在、奴隷の館は通常運営に戻っている。
良くも悪くもすっかりいつも通りの館内に、あれ程のことがあったのにこれでいいのかと僅かな引っかかりを感じるが、それはきっと俺が直接関わってしまったからこその感情なのだろう。
ラシッドといわれても、『え、誰?』というのが大半の意見だろうし、関わりのないまま終わった者からすれば、ただの避難訓練、あるいは話のネタ程度にしかならないのかもしれない。ラシッドの目的や、流転を所持していたこと、どうやって死んでいったかなど、話題になりそうな情報は何も公開されなかったのだから、なおのことだ。
「――いかんな、館内が平和なのはいいことだってのに……」
愚痴の一つくらい許して欲しい。
館内はすっかりいつも通りでも、俺の奴隷ニート生活はそうもいかない。
リディアとシェラによる環境の変化にようやく慣れてきたと思ったら、今度は流転とかいうオリジナルの魔装具が俺のところに転がり込んできた。
不吉な伝承を引き連れて……。
「――なあ、頼むから大人しくしててくれよ?」
宿舎の外。木陰で横になりながら俺は緑色に光る宝石――流転に語りかける。
「だんまりか……」
あれ以来、流転の声が聞こえる頻度は増えている。だが、毎回、流転からの一方通行だ。勝手に脳内に語りかけてくるくせに、それに答えても反応はない。流転さんはコミュ障らしい。
「はあ……。厄介なものを抱え込んじまったなぁ……」
怖くて使えないし、捨てることもできない。そのくせ持ってるだけで厄介ごとに巻き込まれる可能性大とか、もう、呪われてるとしか思えない。
流転の情報が漏れないよう、色々と手配してくれている館長とリディアには、今度何かお礼をしなくてはならないだろう。
「流転よ、流転。どうしてお前は戻ってきてしまうの? ――そい!!」
よっしゃ! 新記録!
投げた流転が宿舎の屋根の上に乗っかる。
まあ、無駄なのはわかってるけどね。
…………ほら、戻ってきちゃった。
右手を開くと、流転が手の中にある。
――って、あれ? 金貨まで。
なんだこれ。
流転だけではなく、身に覚えのない金貨も俺の手に握られていた。
流転が屋根に引っかかっていた金貨でもとってきてくれたのだろうか。
「なんだよお前、いいとこあるじゃん!」
ちょっとだけ見直した。
これからはもう少し大切に扱ってやろう。
『――ちょろ……。契約の時は近い……』
「おい、こら!! 聞こえてんぞ!!」
『…………』
くそッ、まただんまりか。
雇用契約に決闘申請に今度はなんだってんだよ。
「おーい、聞こえてるんだろ?」
どうにか会話できないものかと流転を指でつついてみるが、効果はない。
流転と会話するには、もうしばらく時間がかかりそうだ。
――しゃあない、今日は諦めるか。
流転をポケットにしまって俺は体を起こす。
すると――
「うわ! シェラ!! びっくりさせんなよ!」
「驚かせてしまったか。すまない」
「……いつからそこにいたんだ?」
「お前がそこで横になった時からだな」
「最初からじゃねえか……。ったく、声くらい掛けてくれればいいのに」
宿舎を出たところを見られていたのだろうか。
断りもなくついてきちゃうとは、相変わらずの困ったちゃんだ。
流転との会話を試みるため、わざわざ人気のないところを選んだというのに、これでは意味がない。
シェラは事情を知っているとはいえ、あまり見られたくはないものだ。第三者から見れば、俺は宝石に話しかける痛い人なのだから。
「流転と意思を通わせようとしていたのだろう? 邪魔しては悪いと思ってな」
目配せでやりとりし、シェラが俺の隣に座る。
いつもの鎧は部屋に置いてきたのか、本日はラフな格好をしている。
「――上手くいきそうか?」
「んー、微妙なとこだな。特に策があるわけでもないし」
「ふむ、そうか……」
「それより、何か用があったんじゃないのか?」
「用?」
「ああ、用があるから俺のあとをついてきたんだろ?」
てっきり、決闘申請書を書けと催促してくるのかと構えていたのに、今日は違うのだろうか。
シェラが俺に用があるとすれば、それくらいしか思いつかない。
「言われてみればそうだな……。私はなぜお前のあとをついてきたんだ?」
「おいおい、鎧と一緒に記憶まで置いてきたんじゃないだろうな……。決闘関連じゃないのか? お前の得意技だろ」
「まったく、お前は私を何だと思っているんだ……。それに、決闘を申し込もうにも、生憎、剣がないからな。館長が代わりを探してくれているから、その目処が立つまでは決闘はお預けだ」
「――あ、そうか……。すまん、気が回らなかった……」
だからそんな姿だったのか……。
シェラの剣を消し飛ばしたのは俺だ。
館長が『こちら側の不備だから』と、弁償を名乗り出てくれたが、俺にも責任があることは変わらない。
悪いことをしてしまった……。
「気にするな。決闘は無理でも己を鍛えることに支障はないさ。魔装具に頼れないからこそ、見えてくるものもあるかもしれないしな」
シェラがフフッと得意げに笑う。
あどけない笑顔だ。
こいつほど自分に素直で、嘘をつけなさそうな奴を俺は見たことがない。
一度、雇用契約書を突きつけてくるリディアに、シェラを勧めてみたことがある。
『シェラはすぐに騙されちゃいそうだからね』と一蹴されたが、それには俺自身も納得してしまった。奴隷ニートの俺といい勝負をするくらい、シェラも護衛に不向きな性格をしている。お菓子ではさすがに釣られないだろうが、決闘を餌にすればコロッと騙されてしまいそうな、そんな危うさがある。
それがシェラのいいところでもあるのだが。
「――っと、悪い、そろそろ行かないと。実は、この後、リディアに呼び出されてるんだよ」
「む、そうなのか」
「ああ、俺と違ってリディアは忙しそうだし、待たせるわけにはいかないからな」
「私も……。私も一緒に行っては駄目だろうか……?」
「――は? シェラも? ん、いや、どうだろ……」
意外な申し出だ。
こんな展開は予想していなかったので、リディアにも聞いていない。
一人で来いとは言われていないが……
「――あ、そうだ、無理じゃん。禁止区域だもん」
旧リディアの部屋は修繕中で、リディアは今、宿舎6階の1室――来館者専用の個室を借りている。今回俺はそちらに赴くことになっているのだが、5階と6階は全て禁止区域に設定されているので、シェラは入れない。
「そうか……、いや、すまない。無粋な発言をした。どうしたのだろうな、私らしくもない」
むしろシェラらしいのでは……。
無粋かどうかは別として、思ったことをそのまま口にするシェラらしい発言だと思う。
思い悩んだ様子のシェラに、『安心しろ、普段通りだ!』と励ましてやりたい気もするが、俺は空気が読める子なのでやめておく。
「まあ、終わったら俺は図書室に行くからさ。なんかあったらいつでも来てくれ」
シェラに手を振り、俺はその場をあとにした。