20 - 翻弄される者3
「徒労に終わってくれればいいけど……」
図書室から出てすぐのところでユー君が呟く。
館内で他殺体が発見されたことで――現段階では警戒レベル4とだけ告知されているようだが――図書室の外はすっかり避難モードでドタバタと人が行き交っている。こんな光景を見させられれば不安になってしまうのも無理はない。
「まあ大丈夫だろ。建物周辺は警備が厳重だし、そう易々と建物内にまでは侵入されないさ。出入り口の警備がやられてたらもっと大騒ぎになってるはずだしな」
捕まえられるかは別として、建物に近づく不審者を見逃すほど、ここの警備はザルではないだろう。広大すぎる敷地があだとなり、建物外の警備がどうしても手薄になりがちだが、それは建物内――十分な警備を維持できる範囲を見定め割り切っているからだ。
敷地内の警備も館内クエストで奴隷自身にさせることができればさらに改善できるかもしれないが、奴隷の首輪で他者へ危害を加えられないようにされているのだから難しい。現状では、監視による補助的な立ち回りが用意されているくらいなものである。
「うーん、このローブ私には大きすぎるよ」
後ろの方でモゾモゾと黒い布を纏まったまま歩いているのはリディアである。頭から顔の半分までフードで覆われ、裾を引き摺りながら歩きにくそうにしている。
人目が気になる俺が鞄に常備していたローブだ。姿を隠せるよう元々大きいものを用意していたので、サイズが合わないのは当然だろう。
「さっきから、足元がね……。おぼつかない――きゃっ!! わっとと!!」
倒れる身体を支えるように、リディアが俺の背中にしがみついてくる。
「……ほら、だから言ったでしょ?」
「いや、絶対わざとだろ」
俺の冷たい眼差しがリディアを突き刺す。
俺とリディアの距離は5mはあった。それも間にゴブを挟んで。
王女様はなかなか興味深いバランス感覚をお持ちのようだ。
「あ、ひどい。決め付けはよくないんじゃないかな。ね、ゴブ、ユー君?」
「あはは……」
「王女様転びそうになった、なのにソウジひどいと思います。グチャグチャになったほうがよいかもしれません」
くっ、なんて卑怯な。
ゴブとユー君が王女勢力に取り込まれた今、俺はどうすれば……。
周囲に助けなどいないとわかっているのに、俺は思わず救いの手を探してしまう。
「ん? どうした?」
シェラと目が合う。
合ってしまった。
――駄目だ。こいつじゃ駄目だ。
でも、もしかしたら……。
「シェラはどう思う?」
淡い期待を抱いてしまった俺はシェラに問う。
シェラなら王女相手にでもズバッと言ってくれそうだし、立場的にも公平な気がする。
「どう思うも何も、ニート、お前が悪いだろう。私なら余裕で躱せた。その程度の攻撃も避けられないところを見ると、あまり近接戦は得意ではないようだな」
はい、やっぱり駄目でした。
視点が違いすぎて話になりません。
「では、改めて宗司さん、意見をどうぞ」
「はあ……。わかったわかった、俺の負けだ」
「あはは、ごめんね。ちょっと悪ふざけがすぎたかな」
ぶかぶかの袖ごと手の平を口元に当てて無邪気に笑うリディア。
そんなリディアの姿を見てると、こちらまで表情が緩んでくる。
「――あ、どうしよ」
もうすぐ避難場所である第一闘技場に着くというところで、リディアが順路から逸れた分岐路を見て呟いた。
この先にあるものといえば……。
「部屋に忘れ物か?」
以前、レインとリディアに連れられていったので覚えている。
この先にはリディアの部屋がある。
「うん、そんなところ。持って行かれるとかなりまずい資料があるんだよね。部屋に鍵はかけてあるし、護衛もおいてるんだけどこんな状況だしね。そのままにしたくないかなって」
「なるほどな。可能性としちゃ低いが、それが狙われてるってこともありえるのか」
しかし、それが犯人の目的だとしたら、リディアの部屋で犯人と鉢合わせになる危険だってある。
命あっての物種とはいうが、どうしたものか。リディアにとって命より重たいものかもしれないわけで。
うーむ。
「そのままにしたくないかなーって」
リディアが横目でチラチラ見てくる。
「そのままにしたくないかなーって」
「――わかったって! ついてくから! ……ったく、しゃあないな」
このまま一人で行かせて何かあっても目覚めが悪いからな。
ありきたりな言い訳を自分自身に言い聞かせる。
「ありがと! 御礼はあとでするね」
「いらねえよ。そんなもんもらったら俺がニートから遠ざかるだろ。お金や物じゃなくて行為には行為で返してくれ」
「え? 行為って……」
わざとらしく恥ずかしそうに顔を隠している変態は放っておこう。
「そういうわけだから先に行っててくれ」
3人とはここから別行動だ。
ついてきてほしい気持ちはあるが、奴隷の首輪がそれを許してはくれないだろう。緊急事態だからといって、禁止区域の制限が解除されるほどあまくない。
「どういうことだ? そっちは禁止区域だぞ。王女には酷だが我々が付き添うことはできないだろ」
「あー、すまん、シェラには言ってなかったな。実は俺はこの先にも行けちゃうんだよ。どっかの王女が勝手に申請してくれたおかげでな」
「……ふむ、そういうことか。それならば今の話も納得できる。確かに王女ならやりそうなことだ」
「ああ、実際にやられたからな」
シェラの飲み込みが早くて助かった。
というより、正確にはリディアの日頃の行いが悪かったからか?
まっ、どっちでもいいか。
「……私に隠れて修行をする口実というわけではないようだな」
「アホか、何でこんな時に修行しないといけないんだよ」
「まあいい。ならば、我々は一足先に第一闘技場に向かうとしよう。くれぐれも変な気を起こすんじゃないぞ」
こいつの言う『変な気』ってのは修行のことなんだろうな……。
それなら俺は『絶対にない』と自信も持って言える。
「宗司、気をつけてね……」
「ソウジ、王女様、ゴブは二人の無事を祈っています」
3人に手を振り、俺とリディアは禁止区域へと足を踏み入れた。
進んでいくと、だんだん周囲から人の気配もなくなり、途端に不安な気持ちになっていく。
「これはもう必要なさそうだね」
リディアがローブを脱いで姿を晒す。
「――はい、貸してくれてありがと」
「おう、またいつでも好きなときに貸してやるから遠慮せず言えよ」
「あはは、その時には私も一着ローブを用意しておくから、宗司には私のを貸してあげるね」
「なにがしたいんだよ、それ……」
…………。
束の間の沈黙。
それを破ったのはリディアだった。
「ごめんね」
「いいよ、俺もこっちが正解だと思うし」
聞きはしないが、恐らくリディアは部屋に物を取りに行くつもりはないのだろう。なんとなくそう感じる。
もちろん逃げ出そうとしているわけでもない。その逆だ。
あの反応は、ユー君とゴブは感付いてただろうなぁ。
シェラだって――いや、どうだろな。微妙か。
「一人でも来るつもりだったのか?」
誰もいない通路を歩きながら、俺はリディアに話しかける。
「まさか。そこまでの勇気は私にないよ。私の力はこういう状況では役に立たないからね」
「護衛の力だってリディアの力だろ。全員は無理でも、少しくらいこっちに人員を割くこともできたんじゃないか?」
「誰に手綱を握られているかわからないような人ばっかりだもん。信頼できないよ。……見極められない私も悪いんだけどね」
「……そうか、だから奴隷の館に」
「うん、浅はかだとは自分でもわかってるけどね」
こいつの母親――シーラ王妃も最期は護衛による裏切りが原因だったはず。
近くで守ってくれているはずが、実際は殺す機会を窺っていただなんて笑い話にもならない。
その点、奴隷から護衛を選べばどうだ。
質と体裁は王国騎士には劣るだろうが、裏切り者をつかまされることはなくなるのではないか。両者了承の上であれば、奴隷の首輪は嘘をつくことに対して反応するようにもできるのだから。
「あと3ヶ月……。あと3ヶ月頑張って、それでも進展がなかったら諦めようと思ってたんだ。そんな時に出会ったのが――」
リディアが俺を見る。
青い瞳が下から覗き込むように俺を捉えて放さない。
「――やっぱりまだ心は動かない?」
心臓が高鳴る。
白旗を揚げてしまいたい衝動に駆られるが俺はそれを必死に押さえ込む。
これはあれだ。
吊り橋効果的なあれに決まってる。
俺は奴隷ニート。
俺の心も奴隷ニートなんだ。
「すまん、何度言われても俺の答えは一緒だ」
「…………残念、この雰囲気ならいけると思ったんだけどな」
「まあ、諦めないけどね」と体を正面に戻し、リディアが再び歩き出す。
その姿に寂寥感を感じるのは俺の自惚れだろうか。




