0 - プロローグ
「きゃああああ!! 変態!! 変態よ!!」
「見つけたぞ!! こっちだ!! こっちにいたぞおお!!」
「捕まえろッ!!」
ち、違う!!
この格好は、その……。
と、とにかく違うんだ!!
昼下がり。いくつもの黄色い声の中、一人の全裸が城下町を舞う。
――俺のことだ。
大通りから路地に逃げ込んだ俺を追って、衛兵達が次々と押し寄せる。
鬼の比率が逆という、この圧倒的不利な鬼ごっこが始まって何時間経過しただろうか。長時間、粗末な石畳の上を裸足で駆け回ったため足の裏が痛い。
「よし、ようやく追い詰めたぞ!! さあ、覚悟しろ! 変態め!!」
「……ったく、手こずらせやがって。さあ、こっちに来い、変態!!」
くっ、好き放題言いやがって!!
「違うんだ!! 俺は変態じゃない! 話せばわかる!!」
俺がいくら弁明しようとしても、衛兵達は聞こうともしてくれない。
袋小路に入り込んだ俺の退路を塞ぐようにして、じわりじわりと近づいてくる。
「まったく……、裸でこんな街中を駆け回るなんてとんでもない奴だ」
「ほら、抵抗するんじゃないぞ、変態」
どこか、どこかに逃げ道は!?
見落としはないかと背後に今一度目をやるが、それがきっかけとなってしまったのだろう。
「今だ!! 取り押さえろ!!」
その合図をきっかけに、一斉に押し寄せてくる衛兵達。
「――うっ、くそッ!! はなしてくれ!! わっ、おい! 変なところに触るな!!」
「隊長、対象を確保しました」
「よし、よくやった。こっちへ連れて来い」
俺の必死の抵抗も虚しく、後ろ手に縛られた俺は偉そうな男の前まで歩かされる。
「おい、貴様ッ! 名前は? どこの出身だ!?」
「何度も言ってるだろ!! 俺は宗司だ! 綾上宗司! 日本人!!」
「ニホン……だと? 意味のわからんことを。ふざけているのか!?」
「ふざけてなんてない! 俺は日本人だ!!」
逃げている間に薄々予感していた。
ここが日本ではないことに。それどころが俺の知る世界ですらないことに。
まるで日本という国など存在しないと言わんばかりの衛兵に対して、俺は違和感ではなく『やはりそうか』という言葉が先に思い浮かんだ。
日本語が通じるのに、日本という単語が通じない矛盾。
それだけじゃない。ハロウィンのコスプレともまた違った、剣士や魔法使いとしかいえない格好をした人間を街中で何人も見たし、実際に『魔法』というものを何度も見聞きした。
とにかく、ここは何かがおかしい。普通じゃない。
「おい、人目が増えてきたぞ! その変態を早く連れて来い!!」
「くっ、頼む、最後まで話を聞いてくれ!! 俺はさっきまで家にいたんだ! amazunから届いた宅配便を開封する前に、いつも通り全裸で感謝のお祈りをして……そしたらここにいたんだ!! 本当だ!!」
「アマ、ズン……? たくはいびん……? 知らん知らん!! いいから、さっさとこっちに来るんだ!!」
くそッ! どう説明すればいい!?
「俺はただのニートだ!! 何もしてない!! そうだよ、何もしてないからニートなんだ! なあ、わかるだろ!? なあ!?」
「――はッ! ……またあの時の夢か」
目を開くと、視界には木造作りの天井が広がっている。
2段ベッドの上段を寝床としている俺には、すっかり見慣れた光景だ。
悪夢から醒めたことを再度確認するため、両手を握り締め、その感触から現実であることを実感する。
と、同時に、無意識にこの世界のことを現実だと受け入れている自分自身に気付いてしまう。
「もう、あれから3年か……。早いもんだな」
日本で暮らしていた俺が異世界に飛ばされて3年。
現状には満足しているが、異世界デビューに関しては、もはやトラウマである。
事前説明もなく、突然ファンタジーな世界の街中に飛ばされたまでは、まあまだ許せる。
ただ、所持品なし――全裸スタートというのは、いかがなものか。
心構えする間もなく、人が溢れかえっている街中に全裸で放り込む悪魔のような所業。これは良くない。実に良くない。
おかげで俺の異世界デビューは、逃亡、拘束、連行、裁判、奴隷となんとも輝かしいものになってしまった。
まあ、それが功を奏して、今もこうしてニート生活を送れているわけだから複雑なもんだがな……。
あの日、公然猥褻罪で捕まった俺が送り出された先は裁判所の証言台だった。裁判の結果、奴隷の首輪を付けられ『奴隷の館』などという物騒な所に送り込まれた時には、全てがおしまいかと思ったものだ。
だが、蓋を開けてみればあらびっくり。驚愕の真実が俺を待っていた。
まさか、この世界における奴隷がこんなに厚待遇だったとは……。
奴隷となった者が必ず連れて行かれる『奴隷の館』。
その実は、『奴隷の館』の名から漂う負のオーラとは裏腹に、一生ニートを志す俺には楽園としか思えない場所であった。
城下町の中央に広い敷地を構え、どこの魔法学校ですかと聞きたくなるような立派な建物が、ずらりと何軒も建ち並んでいるのだ。『で、どれが奴隷の館ですか?』という俺の問いに『は? 全部に決まってるだろ』と返ってきた時には、思わずカメラを探してしまった。
凄いのは外観だけではない。
敷地内にある巨大な洋館が居住区となっており、二人部屋ではあるが、家具付きの小洒落た部屋が奴隷全員に与えられ、食堂では毎日3食美味しい食事が無料で食べ放題。その他にも図書室をはじめ、色々設備が整っている。おまけに、敷地内であれば行動は自由と、施設だけでなく待遇までとにかく凄い。超凄い。というかやばい。
『どこからでも切れます』を色んな所から切ってしまうくらい疑い深い俺は、はじめ、こんな美味しい話があるはずないと、色々探りまわったりもした。しかし、この世界の奴隷制度が、俺の知っているそれと大きく異なっていることを知るのに、大して時間は掛からなかった。
この世界における奴隷制度は、日本でいうところの生活保護制度に近いと俺は考える。
直接金銭の援助があるわけではないが、方針として、何らかの事情により生活面で困窮した者に、寝食と自立する機会を与えようという制度であることに違いはない。
異なる点は、その徹底振り。
その一。
国と奴隷契約を結んだ者は、その証として奴隷の首輪などというとんでも魔法道具を付けられ、行動の制限がかけられる。奴隷の館からの外出や、他者への攻撃行動、結婚、性交の制限などなどだ。
その二。
一度、奴隷契約を結んでしまうと、たとえ本人が望もうが、雇用先が見つかるまでは奴隷契約は破棄できない。
解放されたければ、頑張って自己啓発して就職活動しろという一種の強要である。
ちなみに、罪人であるはずの俺が、この世界において保護対象である奴隷として扱われている理由についてだが、これはいたって簡単な話だ。
俺の罪状――街中を全裸で走り回った――程度では、投獄されるような重犯罪として扱われず、結果として裁判で命じられたのは罰金だけだったわけだが、俺にその罰金を支払う当てがなかったことに起因する。
住む所がなければ、食べる物もない。下着を含めて衣類の一枚もない悲しすぎる一人の青年が、強制的に国に保護されただけのことである。
奴隷という名目の保護。
保護される者に与えられるニート生活。
ニート生活を繰り返す限り解放されない奴隷。
つまり、だ。
ただひたすら何もせず、怠惰に過ごしていれば、永遠に奴隷の館でニート生活を送れるということだ。
ああ、なんて素晴らしい……。
この世界の人間はどういうわけか頑張り屋さんばかりで、奴隷から解放されるため精進する者が大多数を占めるようだが、俺は断じて違う。
毎日、何の苦労もせず、奴隷の館で夢のようなニート生活が送れるというのに、そのチャンスをみすみす逃したりはしない。
一生奴隷?
大いに結構。
不確かな未来より確実なニート生活だ。
衣食住を保障され、館内にある充実した施設も使い放題だというのに、どこに不満があるというのか。
不満などあるはずがない。
だからこそ、俺はこの奴隷の館で生きていくと決めたのだ。
奴隷として――いや、奴隷ニートとして生きていくことを。