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『——とのことで、警察の調べでは、犯人は未だ特定されておらず、今現在も調査が続けられています』
パイプのテーブルやイスの上で向かい合った朝食。しかしダクトがあるだけの窓ひとつない会議室からは新しい朝を告げる太陽や青空、そよ風さえも来ることはなく、朝食を摂っていても夜食をしているように思えてくる。
不二はマーガリンだけを塗ったシンプルなトーストを片手に、PG窓に写したテレビを見る。パン屑を落とさぬよう皿の上でトーストを齧る彼の姿に、向かいに座る白無地なパジャマ姿のナツミが軽蔑の眼差しで見ていた。
「ものすごいお行儀悪いですよ不二さーん」
「苗字にさん付けはやめてくれ」
「知らないですよ! とりあえずPGを切るか食べないかのどっちかしてください!」
不二は眉をしかめるとトーストを口へ押し込んで珈琲で流し込む。あまり咀嚼をせずに呑み込んで大丈夫なのかと思うナツミだったが、その後にけろりとPG窓を食い入るように眺めていたのを見ると、呆れた様子でオレンジジャムを塗ったトーストの端を齧った。
「しっかし、なーんで筒が落ちた次の日に、気の違ったマルチロイドを探さにゃいかんのだか」
「仕方ないですよ。この一件が公になってAMCに金貰ってるブロガーに曲解されでもしたら、マルチロイド回収なんてこともあり得るんですから」
「だからって俺らも行かなきゃならんってこともないだろ。パンダ模様の強化外骨格を配備すりゃいいことだ」
「文句言わないでください。どう頑張ったって構造物関係の任務と構造物の賠償額が釣り合わないんですから。それにこっちの有用性を証明しないと下手したら処分されかねない」
「まあ……それはそうなんだがなぁ……」
全身の義体化は公に認められていない。成功率の低さを除いても、悪用されかねないことや制御が未だ難しいといった例が挙げられることからだ。
ましては医療用として瀕死の患者に活用するはずだったエネルギー結晶のヴェール・コア——魔纏石は特災課内だけの名称——を用いたサイボーグは日本だけであり、政府はこの異例の有用性を証明する報告書を定期的に提出する条件で、特災課での秘密裏の活動が認められている。
鈍色のマルチロイドがPG窓を見ている不二の前の食器を片付けにやってくる。不二は身を退いてマルチロイドに食器を片付けやすくした。
「すごい自堕落ですね」
「仕事に向けてエネルギーを温存しているんだ」
「大したエネルギー使わんでしょうに。マルチロイドが壊れでもしたら主任は絶対死にますね」
「あいにく予備はいくらでもあるんだ。最悪の場合、一ノ宮君もいるしな」
「え、いやあ……その冗談はきついです」
刑務所のような部屋で他愛のないのどかな朝食を楽しむ中、プツリという音と共にPGから辺りを揺らすほどの音量で不協和音の音楽が流れる。それはAMCの海賊コマーシャルだった。
『あなたは幸せですか?』
『技術によって作られた贋作の幸せでいいんですか?』
『我らの明日を考える AMC』
街の映像が恣意的に薄暗く映されたこのCMは、どこまでも印象に残るような工夫がなされている。一日に朝昼晩の三回も流れる六十秒の海賊コマーシャルは、度々番組スポンサーを怒らせている。近年では、ネット上ではそびえ立つ構造物の画像をサブリミナル効果として使っていることが話題になった。
お互い海賊コマーシャルをうんざりして、途中で不二がPG窓のテレビを切った。
「仕事に戻るか」
「ようやくやる気出ましたか」
「いや、あのCMが気持ち悪すぎて……」
「仕事したくなるCMって点では優秀ですよね、あれ。わたしもすごく嫌いですけど」
トーストの残りを口に運び、親指に僅かにこぼれたジャムを舐める。透明のコップに注いだ牛乳を流し込んで、自分の使った食器とジャムの小瓶をまとめて持っていく。
不二専属小間使いのマルチロイドがロボットアームを差し出してやってきた。
『お持ちしましょうか?』
「結構です。自堕落はわたしの主義に合わないので」
『かしこまりました』
小瓶やコップを重ねた白無地の皿を持ち上げ、襖開きの自動ドアをすたすたと通り過ぎた。
支援メカニック整備場辺りにはコンソール付きの機器が並んでおり、地面にぽつぽつと工具が散らばっている。
ナノマシン仕込みのオフショルダーとホットパンツを整えて、ナツミは整備場で作業をしている手近な整備士に挨拶した。
「おはよーごさいまーす」
「おお、ナツミちゃんか。どうした?」「ワンコロはまだ直ってないぞ」整備士がスクリーンから目を離してナツミに注目していた。
「いえいえ、わたしは半身の方に興味がありますので」
「そうか。だったら大丈夫だ。向こうにいるから話しかけてきな」
無精髭を生やした筋肉質な中年の整備士が遠くの白い金属体を指差す。聞いた通りに機器に繋がった大蛇の群れを踏まぬよう跳び越え、八メートルほどもある白い金属質の巨体の前に立ち止まった。
立ち止まるとナツミは嘲笑を含んで大きな物体を見上げる。
「おい。強化甲冑に無様にやられたって本当か?」
箱型頭部の前面正方形バイザーから、奥に秘めた単眼が光る。うるさいエンジン排気音がボコボコ鳴らし、スピーカーから雑音が聞こえ、次いで咳払いが聞こえた。
「私にだってそんな日もありますでしょう、マドモアゼル」巨体はわずかにくぐもった音で言う。
「意味がない咳払いをありがとう。あとその口調かなり苛立つ」
「うるせえ。女の子は高潔で屈強で忠誠心のある騎士のような男性が好みなのではないかと思ってやってみたが、まったくもって駄目だな」
「似合わんセリフ吐くからだ。ワン公はいつも通り、減らず口を叩くチワワみたいなのがお似合いだよ」
巨体、すなわちゼロツー・パワード体が単眼カメラアイを明滅させる。数回もの明滅をした後、ナツミを見やって、
「何が不満なんだ? 強化甲冑を逃がしたことか?」
「不満なんて何一つないよ。まして、殺人マルチロイドが未だに街をほっつき歩いてる中、一人だけ楽をしてることなんかね」
「そいつは災難だったな。こういう時こそ俺が役に立ったのにな」
「随分お気楽なこと。なんなら小型の航空ドローンへとデータぶち込んで射出してやってもいいけど」
「ひえっ……容量少なくて手足がなくて墜落してくれと言わんばかりの姿は勘弁」
箱型の頭部を振る動作をして首を縮めた。ナツミは勝ち誇った表情でそれを見ていた。
そんな中、若い整備士の一人が彼女に話しかけた。
「すみませんねえ。やっぱりこういう時こそ彼の出番なんですけど、予備が無かったもんですから」
「いえ、お気になさらず。わたしはいま遊んでいるだけなので」
「そうですか……」
整備士がゼロツーを見上げて納得すると、思い出したかのようにナツミを目を向ける。
「そういえば一ノ宮さんの強化外骨格をチューンしたんで搭乗テストを頼みたいのですが……」
「あー……すみません。わたしはこれから仕事がありますので、後で」
ナツミが苦笑いで首を振って断ると、整備士は最初から分かっていたことだったのか、柔らかい笑顔で肩をすくめた。
「分かりました。マルチロイド探し、頑張ってください」
「言われなくても頑張りますよ。こちらの命が懸かってますから」
整備士に一礼すると、大蛇を跳び越えて出口に向かった。整備士たちは自動ドアが閉まるまで彼女を見送った。
太陽の光を反射したビルが辺りにそびえる。ナツミは褐色烈風騎を駆った風を感じながら白黒のマルチロイドの目を盗み、自動運転車を横から追い抜いていった。
褐色烈風騎の走る風に当たると、清々しいほどに生きた感覚を感じる。それはどんなものも勝らない魂の悦びなのだろうか、とナツミはふと考えた。
やがてバリケードホログラムの前に立った二人組の小銃を武装した警官が見える。片方が恰幅のいい中年で、もう片方は背の低い冴えない青年と言った具合だ。
烈風騎の後部から二脚ブレーキを下ろして火花を散らし、ジェットの出力を少しずつ落とす。エキゾーストノートが爆発的に打ち鳴らされた赤い愛機を左へ傾ける。
迫りくる危険に怖気付いた警官の間一髪、左折した烈風騎はようやく停止した。
二脚ブレーキを戻してドスと地に下りた烈風騎から降り、ナツミがヘルメットバイザーを上げた。警官は力が抜けて尻もちをついていた。
「馬鹿野郎! 一歩間違えたら轢き殺されるところだったぞ!」恰幅のいい方が尻もちをついたまま怒鳴った。
「いやあ至急だったもんで。特災課の一ノ宮です。通行許可お願いします」
そう言いながら、近年では珍しい非電子の折りたたみ手帳を開いて提示する。警官たちは立ち上がって手帳を見た。
「特災課だと?」
「はい」
「秘密裏の組織だかなんだか知らんが、よくもまあマルチロイド一匹のために来てくれたもんだ。街一帯を壊すつもりか?」
「まさか。わたしよりも陸自の方がよほど危険ですよ」手帳を提示したままナツミがおどけてみせる。
中年警官がフッと笑い、ポケットから複雑なリモートコントローラーを取り出す。いくつかの手順の操作をするとバリケードホログラムが一部解除され、警官二人が道を空けた。
「いいんですか先輩?」
「……なかなか気に入った。次に会う機会があればいいな」
そう言って電子式の警察手帳をPG窓に表示して見せる。
津田剛侍。特殊刑事二課の警部補であり、警察運用の量産型強化外骨格『PEXO5』の装着者。ナツミは男の体型と比べて目を疑った。
「なるほど……ところで、本当にPEXO5を着てる人なんですか?」
「言いたいことは分かる。その点は大丈夫だが、それより行かなくていいのか?」
「……そうでした。では」
ポーチに折りたたみ手帳をしまってバイザーを下ろす。起動させ送風で浮いた烈風騎に飛び乗ると、地面を蹴ってスロットルグリップを回した。アフターバーナの輝きと共に、小気味よいエキゾーストノートを響かせて反転。そのまま奥へと走らせた。
内地に烈風騎を走らせてわずか三分。ついに服装の統一された人だかりが見えた。烈風騎を傍らに停めて、ヘルメットもハンドルグリップに引っ掛ける。
ナノマシン仕込みのオフショルダーやホットパンツ、栗色の長い髪を軽く整えて人だかりに向かう。
ダチョウの足のような頑強な左右の脚部に一丁ずつ機関銃の搭載された『五七式無人装脚砲台』が三台ほど配備されている。
頭部に備わった榴弾を放つ砲身などは機能が完全凍結されており、製品番号が分かっていたこともあって特定の製品番号のみを狙うよう設定も施された。
陸上自衛隊の配備した五七式は新品らしい漆黒の塗装が物々しさを醸し出し、半球状のカメラアイは絶えず持ち前の眼力で辺りを見回している。自衛官の厳重な監視の元で運用するのが決まりになっていたため、武装した自衛官たちが周囲で自動小銃を持って練り歩いていた。
ナツミはぐるりと景色を見渡して何かを探していると、
「一ノ宮さん!」
呼ぶ声に振り返る。後ろに結んだブロンドの髪を揺らし、声色どころか容姿も幼さを残した少女。背丈が低さをカバーするように精一杯に手を振っている。
「おお、久しぶり」
「遅いですよ! 説明ならもう終わっちゃいましたよ!」
「……え?」
「『え?』じゃなくてですね! とりあえず簡単に説明しますから!」
単衣サクラが慌てふためきながら駆け寄ってくる。
声に重ねて上空にプロペラをはためかせているのは航空自衛隊の戦闘ヘリ。報道ヘリが何ひとつ見当たらなかった。この地区の急な封鎖はマスコミの食いつきそうなネタであるはずの場所がここまで静かなのは、政府の手回しがあったためだ。
今回は経済に関わる事件であるため、敏感でお祭り好きの世間には五感のどこにも触れさせるわけにはいかなかった。
空を眺めているナツミは、肩を揺さぶられてあるべき方へ意識を戻す。
「そんなに珍しいですか?」
「いや、戦闘ヘリばっかだなぁって……」
「今はそれどころじゃないんですがね!」
「……すまない」
サクラが肩をすくめる。
「いいですか。対象以外は狙うな。対象の周囲をなるべく巻き込むな。対象を見つけたら即処分。重傷の人間を見つけたらすぐに報告。以上!」
「あれ? 直接手を下していいの?」
「いちいち陸自に報告してたらすぐに逃げられますから! 電脳を生かしておくと更にお金が増えますし、これをやらないわけがないでしょう!」
小さく控えめな身体を誇らしげに反らす。ナツミはため息と共に哀れんだ視線を送り、ポーチから厳ついフォルムの面頬と伸縮杖を取り出して戻し、踵を返した。
「じゃあ、陸自の人に挨拶してくるよ。特殊刑事課はいいかな?」
「要りませんね。反逆したマルチロイドは危険度が高いから初めから自衛隊だけだったってのに、特刑課はただハイエナしに来ただけです」
「まあ彼らにはさっき挨拶したから。陸自だけに報告しておくよ」
ポーチを持つ後ろ手を小さく振って、自動小銃を持った迷彩色の自衛官の男に声をかける。
「あの、軍曹どの」
「私は准尉です」
「どっちだっていいじゃないですか、めんどくさいですね。特災課から来た一ノ宮なのでよろしくってことで」
「待ってください! 勝手に進められるのは——」
ポーチから折りたたみ手帳を取り出して開いて突きつける。ナツミが鋭い視線を努めて向けると、自衛官は少し苦笑して観念の意に両手を上げて後ずさりした。
「……結構です。ご協力感謝します」
「あと、そうだ。わたしとサクラちゃんは人扱いに設定しておいてください。何かの間違いで物として処分されるのは嫌ですから」
「……分かりました。今すぐ連絡します」
自衛官が無線機を取り出す。連絡のやり取りが何度か行われ、やがてナツミに向き直った。
「設定終わりました」
「じゃあ私、マルチロイドの捜索してきますんで。周波数はなんとなく把握したんで、見つけたら同じ周波数で通信お願いします」
ポーチを整えて自衛官の元を去る。通りぎわに五七式の逞しい脚部を手の甲で叩くと、五七式はナツミをカメラアイで見つめるだけで機関銃を動かす挙動ひとつしなかった。
「本作戦はあるマルチロイドの逃亡を幇助することにある」
四列で編成を組んだ男たちを前に、輸送機のプロペラに負けないほどの声で狙撃騎士は言った。
歩兵十五人によって編成された特殊部隊。歩兵十五人のボディは最低限に手足を沿った漆黒の外骨格と防弾チョッキが装備されていた。目元をバイザーで覆ったHMD機能を持つヘルメットが、それぞれの顔の個性を消している。
「これはキングの意思だ。王様の命令は絶対だ。絶対に変えようなんて思うなよ」
充分強い武装であるように思えるが、これから立ち会う相手を前にした時にはもうゴミ屑も寸前だ。そう思った狙撃騎士だったが、だからこそ二度目で小隊を受け持った責任として奮闘しなければならない。
完全に修理の終わっていない強化甲冑に、空いた積荷量すれすれに三基も歩兵携行用の焼夷小型ミサイルを積んでいる。剣呑で機動性に劣るが、こうでもしなければ最悪の事態に備えられないからだ。
「各員、降下準備!」
「はい、冬霜卿」
歩兵たちは背部の落下傘を確認し、開け放たれようとしている後部ハッチに三列縦隊で並ぶ。吹きすさぶ風と俯瞰した景色の一望に向かって一列目が降下。一定の感覚で特殊部隊は落下傘の蕾を開かせた。
最後に一人残る狙撃騎士も遅れて、自動小銃の収納された下腿部を軽く叩いてから降下。落下傘はひとまわり大きく、背部にミサイルポットを積んでリクガメのように分厚い物体はより早く降下した。