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倫理派武装秘密結社・アンチモノクローム。危険と見なした科学技術をいかなる手段を使っても撤廃させ、正しき未来に導く高尚な組織だ。
二○六二年現在、ヒューマノイド、エアカー、クローン、エトセトラ。これらの生産停止や建設中止までの工作を促したのは全てこの組織によるもの。
レトロフューチャーな夢に酔いしれてはならない。レトロフューチャーな夢の中では愛らしいロボットのハートも原子炉なのだから。
過去の偶像な夢を見ないこと、それこそがAMCに与し者の信条だった。
狙撃騎士こと、冬霜亘。彼の運命を揺り動かした家庭用ヒューマノイドの故障事件、それこそがAMCに与するに至る彼の始まりだ。
亘はAMC関係者オーナーのビジネスホテルに宿泊している。
先ほどまで、ポーンとして様々なジャンルに暗躍する偉方やAMC上層部であるビショップによって会議が行われた。
会議では強化甲冑バイザー上の額右寄りに内蔵された小型カメラの映像データと補助覆面の身体パラメータ情報を表示した。そのデータでの奮闘を見た彼らはすぐさま亘に可能性を見出し、強化甲冑の改修、武器強化を前向きに検討して終わった。
亘はビショップの一人に呼ばれ、強化甲冑の改修、武器の強化が完了するまでビジネスホテルでの休暇と報酬が与えられた。悪い話ではなかったが、亘には何か腑に落ちないものがあった。
腑に落ちないものが何であるかは分からず、どうにもならない感情のまま、人生で一度も縁のなかったゲームセンターに向かった。
縦横の広大なフィールドに広がる建物、車、民間人の姿。亘はバイザーに映るマップや他メンバーの報告重要な情報が常に視界の目立たぬ場所に映る。動作が重く吸湿性のすこぶる悪い強化甲冑の手や指を器用に動かし、いつもよりも軽い自動小銃を携えてビルの陰で止まる。
第五次構造物災害での掩護任務を行った次の日に、強化甲冑のARのアーケードゲームで憂さを晴らす。
退屈を極めて血迷った末にゲームセンターへ赴き、ホログラム広告で大々的に宣伝されたアーケードゲーム『パワード・アーミー』。説明をさらっと目に通して興味本位で参加、そして今に至る。
強化甲冑はかなり使い古されており、強化甲冑内部で肌を擦る合成繊維の布がべたつく。おまけに繊維が粗く、湿気と相まった痒さがある。痒いところを掻けない苛立ちから、AMCの特注した強化甲冑の快適さが恋しくなり、普段来ない場所で暇をつぶすべきではないと後悔さえ湧いてきた。
殺しきれていない強化ブーツの足音と軋み音。かすかであるが、それを聞き逃すわけもなかった。
レーダー範囲外だが亘は奇襲をかける。遅れて味方も飛び出した。音の対象を狙うために大通りに飛び出し、いつもより軽い自動小銃の引き金を引いた。
銃口から無害なレーザー光が光の点滅と共に射出される。ここでは強化甲冑は各部ごとに一定数のレーザー光を受けると回路を破壊された扱いとなり、各部ごとにマスター機はゲーム終了まで凍結するとのことだった。
大通りを進んで隠れた敵側のフェイスメット・バイザー上部にレーザー光を発射。〈HEAD SHOT〉の判定が出て敵方強化甲冑は強制的に凍結した。
警戒が強まり、敵方甲冑が次々と現す。敵方と味方のレーザー光が飛び交い、亘はレーザー光を体勢を低くしてかわす。強化甲冑の視覚の狭さと不自由な可動範囲から、下方や頭上が弱点だった。
身を屈ませながら腕部で頭や胸部の急所を隠して走る。自動小銃で牽制しながら進み、腰部にストラップとして携帯していたレーザー光放出グレネードを引っ張りピンを外し、三人ほど巻き込んだ。
三人はグレネードをまともに喰らい、その他両陣にいた何人かも撃ち合いの結果として完全凍結。その光景になにか爽やかなものを感じ、蟻を潰す子供のような童心に返る。亘は独断専行で前線を走った。
敵陣から果敢に挑む不器用な戦士たちがレーザー光の射撃をかます。しかし亘には戦士たちの勇敢な突撃も挙動に無駄が見え透いていた。レーザー光を見切ってかわし、冷酷にも自動小銃で凍結させる。ある程度撃ったところで弾倉型バッテリーを替えて射撃を続行。
顔も知らない味方からの注意を聞き流し、亘は残りの敵プレイヤーの数を確認する。バイザーには〈あと5人〉と表示されていた。残りプレイヤー数が少なくなり、姿を現さないプレイヤーを探すために警戒しながら進む。
強化甲冑のダメージ表示は腕部に集中しているが、未だ凍結するには至らない。亘の中でアドレナリンが全身を巡るのを感じた。
微動だにしない強化甲冑を幾度も横切っていき、やがてレーダーが反応する。亘は反応した位置に向かうと、入り口付近に水色のペールを立てた路地裏に行き着いた。
他の四人の気配がしないが、他の味方の方へ襲撃しているのだろう。放っておけば味方が迎え撃ってくれるだろう。亘は心の中で健闘を祈ると親指を立てて路地裏に突撃。
どこにも静寂が奥まで広がった薄暗い路地裏。奥には明らかに怪しく盛り上がった襤褸がある。
いち早く屋上を視認し狙撃手を確かめる。いないことを確認すると奥の襤褸に警戒して死角へ隠れた。
奥に隠れていた狙撃手は、レーダーの反応する位置通りに襤褸で隠れていると予測した。おそらく臆病者で間抜けの類いなのだろうとも。
あまりにも露骨だと亘は感じたが、可能性がゼロでなく他の候補が考えられない以上、この手を信じる他はない。
亘は死角から飛び出し、怪しい襤褸に向けて引き金を絞る。
ホログラムの襤褸が裂けて舞い上がり、ひと夏の陽炎のごとく消えていく。そこに強化甲冑はなく、似ても似つかぬ積まれた瓦礫と挟まれた鉄パイプの姿があった。
気づいた時すでに遅く、何者かの正確なレーザーが天から眉間部を突く。不意に表示された〈GAME OVER〉とともに、四肢マスター機は頑なに動かなくなった。
四肢の身動きが取れないまま、自分を撃った何者かを知るために亘はバイザーを目線で幾つか操作をする。プレイヤー名を表示、プレイヤーのプロフィールを見る。
〈HONAVA〉
〈命中率九割五分〉
〈小銃をぶらぶら持ち歩いてる歩兵は歩く的だ。のんびり歩かず周りに気を配れ。〉
自己紹介にあるまじき舐めきって挑発的なものだが、もはや亘にはそれが適当な戯言や見栄張りに思えなくなっていた。
事実、亘が見た限りでは屋上に強化甲冑などいなかった。強化甲冑の狙撃手がそんなすぐに移動できるわけがなく、なおかつ移動したなら音ぐらいは立つものだった。
ホナバというプレイヤーは不可解そのものだった。
動かないままバイザーで状況を見ると、亘が完全凍結して三分後には味方の数が騒がしく減り、秒読みのように減った味方の表示はついに〈あと0人〉と秒読みを止めた。
〈GAME SET〉の表示と共に仮想現実が砂のように崩れ去って散り、マスター機の機動が凍結解除。虚無を景色で表したような白い空間が見えたところでバイザーに個人成績スコアとランクが表示された。
亘はスコアとランクに目を通さず、即座に着脱場まで歩いて自動小銃を壁に立てる。強化甲冑の腹部コンソールの側部レバーを倒し、胸部装甲が油圧式アームで共に上へ跳ね上がる。
胸部装甲がひさしのようになったところで、腕を隙なく締め付けて腕部制御を行う、籠手に似たマスターコントローラーの固定具ロックを解除。固定具が腕の締め付けから十分に劣悪な合成繊維製の固定具から生身の腕を引っ張り出す。
次いで脚部マスターコントローラの固定具の固定具が既に解除され、すぐ足を抜けるほど幅が広くなった。
脚部から足を抜き、フェイスメットを外す。
脱着場で外して置いたカーキ色のウエストポーチを装着する。汗ばんだ黒いシャツを整えると、先ほど脱いだ脱着場の隣に向かおうとしている味方であった一人に立ちふさがった。
「聞きたいことがある。ホナバというプレイヤーはどいつだ?」
「はあ……あなた見ない顔ですけど……」男らしい低い声がくぐもって発せられた。
「名前にAを五個ほど入れて参加した。スコアにあるだろ?」
「ええと……ああ! チーム戦で独断した人じゃないですか! あなたのせいでこっちのチームは——」
「そんなことはどうでもいいじゃないか。ホナバってプレイヤーに一度顔合わせして聞きたいことがある」
そう言うと、男はバイザー越しにも分かる、顎に手を当てて悩むジェスチャーを行う。頑なに答えようとしない男に亘が眉をひそめた。
「なんだよ? なにか都合の悪いことでも?」
「あ、いえ。ホナバさんならあそこです」強化甲冑の男は顎から手を離して指を指す。
マルチロイドがマニピュレータにトンボを持ったり、工具箱を持ったりと、各々がフィールドを整備している。その先では、ちょうどレバーを引いて胸部を跳ね上げさせているところだった。
強化甲冑を脱いで出てきたのは、肩口に切った黒髪に身体の起伏の小さい、小学生か中学生に見える少女の姿があった。
「あれがか?」
「あの」
「なんだ? さっきのが冗談だとかそういう話か?」
「いえ。ただ、ホナバさん人見知りなので……あなたは人に気遣いできそうにないですし——」
「初めて会った奴によくもまあそんな失礼なことを言うな。まあいいや」亘が少女の方に一瞥をやる。
「それより、チームワークは皆無ですけど強化甲冑の動きは手慣れた感じがしました。もしかして実戦経験とか——」
「ああ、あれはビギナーズラックってやつだ。ともかくありがとう」
話を続けようとする男を振り払い、亘は話に聞くホナバの方へ向かう。
ホナバは、みすぼらしい黒いTシャツの上からリュックサックを肩にかけ、同じく強化甲冑を外した仲間と何か言葉を交わしながらフィールドを制限する柵から出た。やがて、亘を気にも留めず出口へと向かうようだ。
どうみても外見が幼く、あの凄腕スナイパーのそれと言われるのは疑わしくも思った。どちらにせよ間違っているなら、さっさと訊ねて本人をイチから探しておくに越したことはない。
亘は仲間と出口に向かおうとしているホナバを呼び止めた。
「ひとつ聞きたい。お前がホナバか?」
亘の声に反応して身体ごと振り返った。近くで見る少女の顔は幼さを残していて、突然呼ばれて面食らう焦りに近い表情がそれを一層引き立てていた。
仲間も振り返り、亘を見やる。仲間はホナバと亘の双方を交互に見て、何を思ったか口元を緩ませて少女の肩を叩き、出口へさっさと立ち去った。
少女が戸惑いながら仲間の後を双眸で追う。時間を要しながらも思い切って後に続こうとしたところで、亘に呼び止められた。
「せめて質問には答えてくれ。無視されたままじゃモヤモヤするんだ」
「多分、そうなんだと思います?」
「質問されても困る。質問したいのはこっちなんだ」
「……すみません。そうです」
何かに怯えるかのように俯きがちに答える。居心地が悪いのか、視線が落ち着かず目を合わせようともしない。
亘は察したにもかかわらず大した反応を見せないまま、話を続ける。
「襤褸を仕込んだ路地裏ってあっただろ?」
「はい」
「あそこでマーカーと襤褸は同位置にあった」
「はい」
「だが襤褸は囮で、屋上には誰の姿もなく、音も気配もなかった。どういうことだ?」
「それはですね……ええと……」
そこでホナバの言葉が途切れる。やがて、か細く唸って自身の髪を弄ぶ。
亘は小さな質問を抽象的テーマを考えるように悩むホナバに憐憫や自責の念に似たものを思う。このまま睨み合いを続けても埒が明かないのは目に見えており、痺れを切らして話を切り出した。
「ところで今から予定あるのか?」
「えっ……いえ……ないです」
「分かった。じゃあ、落ち着いた場所へ移って続きを聞こう。どうせ昼時だし何か奢る」
ぽつぽつと賑わいのあるクラシック調のカフェ。木目調のデザインで彩られたマルチロイドが様々な所で活動している。
その中のカウンター席で、袖が短く白いワンピースに腰ベルトといった服装のナツミがPGを操作していた。つらつらと文章を並べたてた資料を簡単に流してページをめくる。読むというより、ページをめくる作業と言うほうが正しいかもしれない。
ナツミは資料を流し終えると食べかけだった混成肉サンドを口に押し込み珈琲で流し込む。混成肉独特の風味など味わうことなく喉に流し込んだ。
珈琲を飲み終えてカップを置き、せわしなく動く店内のマルチロイドを数えていく。
活動しているマルチロイドが三台。控えを加えて六台といった具合だ。
三台中、三台。店側から受け取ったデータ通りの数と合致。
「こちら一期二番。『カフェ=キヨミヅ』に独りよがりはいませんでした」
『了解。引き続き捜索を頼む』
膝に置いたポーチから通常活動時の無線機を取り出し、報告を終えて切る。用も済んでレジに向かおうと立ち上がろうとした時、ドアが蝶番を軋ませ重々しく開く。フロアにいた一台のマルチロイドが出迎えた。
冴えない服装の若い男女。それ以外にこれといったものはない。強いて挙げるなら男の方が頭ひとつ高いという一点だけだった。
ナツミの足が止まる。女の方に見覚えがあった。
肩口までの髪、小柄な背丈、起伏の少ない身体。黒いTシャツとジーンズにリュックというズボラな容姿であろうとも、親しい友人の顔を忘れるはずもない。
紛れもなくホナミだった。しかし、いつもと違うホナミがそこにはいた。
普段見る姿と比べてテンションが低く、難しい顔で頭を垂れている。そんな彼女の横で顔の知らぬ青年がマルチロイドの質問に答えていた。
ナツミは気づかれる前に席に戻り、木造椅子に座って机に視線を固める。気づかれないよう尽力するナツミに反して、二人はカウンター席へ案内された。
日本人の性質として「よほど混んでない限りは人の隣には座らない」というものがあるが、青年はナツミの横をわざわざ選んで座った。特にやましいことをしていたわけでもないが、ナツミの汗はじわりと噴き出した。
カウンターで白い磁器カップを拭くマルチロイドを呼び、注文を読み上げる。
「混成肉サンドと珈琲のブラックを二つずつ」
マルチロイドがホログラムに注文を表示して、〈はい〉の表示を押す。マルチロイドの一台が三本指のアームで食パンを取り出したところで、ホナミが青年の服を引っ張った。
「おい、何勝手に決めてんだ」
「どうせ聞いても決めるのに時間がかかるだろ。それに混成肉サンドは美味いしな」
「混成肉なんて。よくもあんな虫の粉末を混ぜ——」
「分かった。分かったからそれ以上言わなくていい。他の客もいるし衛生に良くない」
虫——詳しく言えば昆虫——のペーストを云々という話を知っていたナツミだったが、改めて考えると吐き気で口を押さえずにはいられない。
たまらず、お冷やでこみ上げる何かを正しい道筋に帰す。思わずコップを強く置くと辺りの視線が集まった。冷水とは関係なく肝を冷やしたナツミは改めてホナミらを見る。
ホナミはお冷やを何度か啜ってからPGを開く。PGを指三本で素早く操作すると、ナツミのPGに通知音が鳴った。
ナツミがPG窓を開くと、SNSのメッセージ機能からだった。
〈なんでいる⁉︎〉
〈きかれてもこまる〉莫迦莫迦しさに手早く文字を打ち込んで返信。
ナツミはすぐさま続けて送る。
〈というかその隣の人って……?〉
〈知らない人だや、ジョギングしてふ時に会つた人〉
ついに文面は指を滑らせて誤字を繰り返している。ナツミは青年ごしに水を啜るホナミを見た。ホナミの視線が下を落ち着かず彷徨う。ナツミにはますますこの二人の関係について理解が離れるような気がしてならなかった。
何があったのかはナツミには知りようがなかったが、ここを離れてはいけない。そんな直感がナツミの頭の中によぎった。
友人のため、何気ない話を繰り広げようと入力窓を打つ。何文字かを書いたり消したりするのを繰り返すうちに青年がホナミの方へ向いた。
「ところで、結局アレどうやったんだ? そこまで隠すことでもないだろ」
「いやだ。説明するのが面倒」
「せめてどこから撃ったのかを教えてくれ。こっちもうやむやにされるのは好きじゃない」
「こういう尋問は好きじゃないんだけど。食べ物で釣るなんて尋問のお家芸じゃないか」
状況が分からず入力の手が止まる。ナツミは白けた気分でPG窓を閉じた。
席を立とうとすると、ホナミが哀願するような視線を向ける。ナツミとしては巻き込まれたくなかったが、席に座り直して珈琲を持ってきたマルチロイドを呼んだ。マルチロイドは隣に二つ珈琲カップを置いてナツミを向いた。
「アイス珈琲一つ」
マルチロイドのホログラムの〈はい〉の表示を押す。マルチロイドは戻っていった。
青年は珈琲が来ると即座にカウンターの角砂糖を十個ほどぼとぼとぶち込む。ナツミに限らず、隣で二個の角砂糖を入れて混ぜていたホナミも胸焼けしたような表情で眺めた。
「……何それ。炭酸のないコーラでも作るつもり?」
「珈琲は砂糖を美味しく飲むためのものだろ? 固形で十個も口に放り込むのはあまりによろしくない」
「糖尿病で死ぬからやめときなよ。というより、もう二度と珈琲飲むなよ」
「人の味覚や趣向にケチつけられる義理はないね。病気になろうが本望だ」青年はおどけて言う。「それより、糖尿病になる前に例の話が聞きたい」
話を戻されてホナミは嘆息で珈琲の水面を揺らす。カップを口につけて珈琲に息を吹きかけて冷まし、珈琲を小鳥のついばみ程度に啜り一息つく。
「……糖尿病で死ねばその質問をすることもなくなる?」
「死んでも背後に憑いてきて質問してきてやるよ。というより、糖尿病で殺すの?」
「冗談。……はあ、めんどっくさいな。そこまで聞きたいなら教えるよ」
「あれ? よかったのか……」
「隠したってしょうがないじゃない。減るもんでもないし」
マルチロイドが混成肉サンドをアームで丁寧に二人のカウンターへ置く。斜めに二等分された食パンのトーストに、パテに似たジューシーな見た目の混成肉と申し訳程度のレタスが挟んである。カフェ界隈ではもはや定番となっているランチメニューだった。
青年は混成肉サンドを手にとって頬張る。そんな青年の姿をよそに、ホナミはカップの持ち手を親指の腹で撫でる。
「路地裏の影になった壁にナイフ刺してぶら下がって待ってた、って感じで……」
「なんだって! よくそんなんで強化甲冑の腕部壊れなかったな!」
「まあ、量産型とはいえ最大で一トンの力までは大丈夫だから……」
ナツミはマルチロイドの持ってきたアイス珈琲を自分の方へ近づける。会話の流れが一切分からず、関わりようがなかったため、とっとと珈琲を飲んで出て行こうとする。アイス珈琲にしたのもそのためである。
青年は少し考えに耽って唸る。
「なんだか気に入った。ええっと、ホナバ、だっけ?」
「ここでそっちの名前で呼ぶのはやめて。双葉ホナミ。呼ぶのは下の名でいい」
「そうか。じゃあこっちは冬霜亘だから、亘と呼んでくれ」
仲睦まじい二人の隣でアイス珈琲を流し込み、氷の透けたカップを氷の崩れる音とともに置く。
すっくと立ち上がり、レジに向かった。あまりに時間を無駄にしてしまった。PGのデジタル時計は14:00を示す。ナツミは手早く端末読み取り機器にPGをかざした。マルチロイドはプログラミングされた通りに、『ありがとうごさいました』と首だけ下げた。