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 暗く閉ざした闇の中。陽光とは似つかないこのホログラムの前で、わたしは戦っていた。

『強化外骨格の準備を、ってのは……』

「本人の申請で二番と三番の強化外骨格が必要になったんです」

『まあ一応チューンは済んでるがな。顔を見せんことには信用ならんよ』

「…………」

 答えを返すこともなくキーを叩き始める。

『おーい、聞いてんのかー?』

 整備室内にアクセスをかける。日夜活動できるよう、基本は自動化(オートメーション)になっている。

 空間転送は負荷が強く、没入(ジャックイン)まで脳の容量を回す余裕がない。手間はかかっても手動でやるしかなかった。

 〈アクセス完了〉の小窓が表示される。

 覚悟を決めよう。唾を飲み、指令を出す。

 MW4〈青龍〉、ExG1〈玄武〉、ExG2〈白虎〉、active:〈standby,ready,go〉。

 地点を選択する。ここがいいと、ここに決めたんだと。そうスズナさんは言っていた。

 〈complete〉の表示。整備室は鈍く駆動音を立てて動き始めた。

 喧騒が始まる。ホログラムディスプレイに触れ、静かに通話を切った。

 やっぱり身勝手だ。いつまでもエゴに付き合ってられない。

 衝動に突き動かされ、キーを何度か叩く。冷房で冷え切った手が汗ばむなか、ディスプレイはメール窓を表示した。



 いくら走らせても見つかるわけではない。そんなことは分かっていた。

 ナツミは烈風騎を唸らせ、人混みの中を見渡す。加速装置のための機械改造として、動体視力は人一倍強化されていた。しかし、それでもなお人混みの中にスズナを見つけられずにいた。

 わずかなPGの通知を感じ、視界が同期する。メール通知だと気付くと、操作されて(ウィンドウ)を開く。

 その内容は非常に簡潔だった。

〈スズナさんの死を止めて〉

〈日野ミオ〉

 珍しく感じると同時に、疑問が生まれた。連絡を一切途絶えていた彼女がこのメールを送る意味とは。音信不通だったミオが、今更連絡をする理由は。

 考える暇も与えず、インカムへとコール音が鳴った。

『本部から各局。マルチョウが第一次構造物災害跡地のバリケードを破るのを見たと通報あり。ただちに急行せよ』

 メール窓を閉じ、戻った地図データが更新される。通報場所に赤い点滅がマーキングされた。

 再びコール音が鳴り、面頬のスイッチを入れる。

『どうだ? 無線はしっかり届いたか?』

「ええ。おかげさまで」

『まだレーダーを使える状態じゃないが、ひとまずその場所に向かってくれ。機動隊と一課の強甲装着員が先に着いているかもしれない』

「了解」

 ナツミは考えを振り捨てて、烈風騎の速度を上げる。

 始まりの場所。思い出した時、因縁の始まった場所。

 このやっかみに終止符(ピリオド)を打つ。そう決めたから。

 唾を飲む。無線のチャンネルを切り替え、再びスイッチを入れた。

「こちら一期二番。今から送る地点へ鳳凰を準備」



 誰の耳にも届かない、かすかに唱える孤独の詠唱。

 非情に残されたのは、身勝手な偽りと異形の身体だけ。

 未練はない。向こうで待つのは、懐かしいあの人だから。

 はためく青いヴェールで、醜く抉られて荒廃したままの商店街の中心にスズナが跪いて祈る。

 破られたバリケードの前で新たなバリケードが張られ、警邏甲冑(ポリスケルトン)と武装マルチロイドは膠着状態のまま依然として変わらない。

 スズナは立ち上がると、彼らの居るずっと向こうを見た。

 近づいてきた、はるか先からの甲高いエキゾーストノートの響き。クラクションの連鎖。

 エキゾーストノートが近づくにつれ警官たちのざわめきが高まり、騒音が最高潮に達したその時、警官たちは空を見上げた。

 待っていた。赤く流星のごとく現れたそれを。紛うことなく。

 重量に任せて降ったそれはスズナの立つはるか後方に、速度に任せて地を滑る。テールランプと砂埃とが半円を描き、そのまま停止した。

 踊るように振り返る。薄闇に灯火されるまばゆいヘッドライトは消え、赤いヴェールの少女、ナツミが姿を見せた。赤い烈風騎を降り、後部座席の紐を解いてトランクケースを、リアトランクを開いてショルダーバッグと紙袋を取り出す。

「スズナちゃん! カバン、忘れてたみたいだよ!」

 スズナの思い出す懐かしい笑顔で、彼女が駆け寄った。拍子抜けして身構える余裕もなくカバンを受け取る。把手がナツミの手を離れると、訝しげに見る。

「なんなのいきなり?」

「忘れ物してたって聞いたもので。それで、あの服は気に入った?」

「……な、なんのことかさっぱり——」

「またまたぁ。巡回マルチロイドのカメラにバッチリ映ってたんだから」

 スズナの表情に動揺の色を見せる。ナツミが陽気にPGを起動しようとして、左手を押さえた。

「なんで持ってんの?」

「あ、いや……」

「てことは、もう見た?」

「いや、嘘だけど……まさか本当に?」

 面頰を付けても強調される、邪悪さを含んだ笑み。スズナは顔を赤らめて視線が泳いでいた。

 時々見せる底意地の悪さがどこか恐ろしかった。しかし今は、どこか懐かしく、ずっと待っていたことに気づいた。

「見たかったなぁ、スズナちゃんのゴスロリ。手、離して」

「あんたいつも胡散臭いじゃない! どうせ写真見た上でやってるんでしょう?」

「本当にないってば。参ったなぁ……スズナちゃん、見ない間にこんな、いやしんぼさんになって——」

「あのねえ——」

 スズナが言いかけた時、高所から光が照射される。ローターの音が激しくなる。空から、ビルの窓から、屋上から、幾多の光を向けられた。

 機動隊の配置した、投光器の光だった。

『警察だ! 頭に両手を当てて抵抗をやめろ!』

 スズナはすぐさま手を離す。ナツミが眩しさに目を細めながら、銃口を向ける機動隊に視線を向けて囁く。

「……気づいてた?」

「そ、そりゃ、当然よ! 気づいた上で無視してやったんだから!」

「絶対嘘だ。スズナちゃん、人の見てるところで手をつなぎそうにないもの」

「か、癇に障ることばっか——」

 拡声器のノイズ。

『おい! 両手を頭に当てんか!』

「交渉中です!」

『あと五分で突入をかける! それまでに終わらせろ!』

「了解です!」

 ナツミが機動隊からスズナへ視線を戻す。夢から現実に引き戻されたように、ざわりとした寂寥感が身体に走り、心の中で否定する。

 交渉に応じる気はない。

 受け取ったバッグから半円状の折りたたまれた黒い金属板とグリップを取り出す。金属板を開くと烏のくちばしを模したマスクに変わり、目より下を覆うように、耳にスピーカーをかけて装着した。

「やっぱり、憎いんだ」

「最初はね。今はただただつらいだけ」

「それは諦めきれないの?」

「多分、諦められない。決着が着くまで」

「……それが聞けただけでもよかったよ」

 ヴェールのスカートから伸縮杖を取り出して展開させる。暗い夜空から飛来する二つの気配。青龍と鳳凰。連なる小型無人機の青龍はスズナへ、鋭いフォルムで現れた鳳凰はナツミへ。

 鳳凰はジェット付きの大剣の刃へ変形させて伸縮杖に装着。

 スズナはグリップを握り、先頭無人機に勢いをつけて振るうと鉤付きのワイヤーが伸びる。無人機の接続口に引っ掛けると、それを長く伸ばして後続無人機が張り付いていく。ローターのブレードが刺すような冷気を帯びて、混状の鞭が作られた。

 ナツミが踏み込む。ヒールと鳳凰から、エネルギーヴェールを吸入して赤く染まったジェットを噴射。そのまま構えたばかりのスズナに素早く迫っていく。

 前と同じだ。

 気づきながら、重々しい青龍の連なりで薙いだ。熱を帯びた大剣の刃も凍てつくブレードも、発生した水蒸気で爆発が生じ、武器同士が弾かれる。

 着地したスズナが気配に気づく。

 頭部を狙った銃弾。張られたエネルギーフィールドが吹雪の圧で速度を殺して阻害する。狙撃班の一人がビル内部に逃げるが追わず、青龍を地に下ろしてナツミを見た。

 間近へと。追撃をかけてきた。

 刃先の方向へエネルギーフィールドを集中させながら、グリップを払ってワイヤーをしならせ、ナツミの身体を下段から斜め一直線に斬りかかる。ドローンの物量により圏内を食い込ませたが、高熱のエネルギーフィールドによって爆発する。一度後退して、青龍を上段に構え直した。

『こ、交渉は失敗した! 全員突入!』

 機動隊が迫った。特殊犯罪者同士の無許可な交戦が始まった以上、両方を狙われる。第四次構造物災害(フォースフォール)の一件以来の決め事だった。未だ組織に所属しているナツミでさえ、許可無しの交戦は排除する対象となる。

 入り口側には、ライオットシールド後方に五人の警邏甲冑〈PEXO7〉と武装マルチロイドが交互に、マルチロイド後方に機動隊が立つ。大型の自動小銃ががなり立て、銃光(マズルファイア)が闇に映える。一方だけでなく、全方向から銃口が向けられた。

 お互いはなおもエネルギーフィールドを張って刃を交わした。すれ違いざまにナツミが言う。

「法に触れちゃったみたいけど? さてどうしたものか!」

「だから何なのよ! 諦めるとでも?」

「……意固地」

 銃弾が飛び交うこの場所で、雰囲気の変わった横顔をスズナは見た。

 怒りに呼応するように、規則的な亀裂と呼ぶべき顔の傷跡が緋の光を放つ。

 過ぎ去った残光が目に焼き付く。あたしたちは平等に傷つけられたはずなのに。

 いや、平等じゃない。あたしに傷跡はなかった。

 機動隊は六連装の擲弾筒(グレネードランチャー)に装備を変えて発射した。擲弾ぐらいならヴェールだけでもどうにかなる。しかしそれは円を描きながら煙を噴き、複数で濃密な煙が立ち込めて包む。

 エネルギーフィールドによる有害な気体の処理は銃弾よりも精密に行わなければならない。お互いは煙を避けようと地を強く踏み込む。脚部ジェットを噴射させるとともに、不可視の煙の向こう側へ駆け出した。

 青龍のローターが揚力を得て、鳳凰のジェットが加速力を得る。お互いはすれ違い、ビルの壁を蹴ると空高く跳躍した。

 フェンスを越えて屋上に着く。スズナは設置された投光器を破壊し、潜めていた機動隊狙撃手に青龍を振るうと、狙撃手は錯乱して丸腰のまま撤退した。

 突如、重く響く二つの新たなローター音が空を支配する。機動隊のヘリは予測し得なかったその双方の物体に操縦を狂わせる。どこからともなく一瞬のうちに、禍々しい人型の巨躯をワイヤーに掛けた輸送ヘリが二方同時に現れた。

 双方のワイヤーが切断されて人型を降下。屋上の床に重く着地する。輸送ヘリは空気が一瞬で圧縮されたように、姿を消した。

 スズナは三メートルほどの巨躯に駆け寄る。粗いホワイトカラーの外骨格強化兵装〈白虎〉。虎の口が開き単眼(モノアイ)レンズ周囲に蒼光を晒すそれは、両腕部に三門ずつ銃身を、右背部に一門のミサイルポッドを装備し、拡張した見てくれはたくましさがあった。

 おのずと腹部ハッチを開き、内部の四肢フレームと枷が花のように口開く。

 白虎に駆け上がって足を枷に通し、プラグになった底へヒールを接続すると、脚部枷が閉じた。

 青龍を高く投げて、両手をフレームの可動筒に通す。内部は強化甲冑のようなもので、ひどく厚手のグローブの感触が指先や前腕を締め付ける。腕部枷が閉まり、両手を握る。

 コクピットフレームと白虎の腕部が動作同期(フィードバッグ)して、機械腕が軋みをあげて駆動するのを確認。機械腕の手に、空から降った青龍のグリップを掴んで呟く。

装着完了(オールグリーン)!」

 ハッチは閉ざされ、密した暗室に変化。網膜へと白虎の視界が同期され、揺らめくヘリを移す視界、武装選択(スロット)窓やレーダー窓が映された。

 遠くに立ちのぼる煙の向こう側へ身を構え、巨体を踏み込み走りだす。三歩目に踏み出すとともに、脚部の大型ジェットを作動。可能な限りの本人の感覚に応えた白虎は、フェンスを越えて、ヘリを踏み台にする。ヘリはローターを故障し、真っ逆さまに落ちる。

 あたしは傷つけられたと錯覚しているだけ。薄らいでいく気持ち(アイデンティティ)を握りしめていたかっただけだった。

 意固地、か。意固地でいい。

 あたし自身を証明する。そのためなら、わがままだって言い続けたいから。



 緩衝エアバッグが作動する。残る反動の痛みをこらえて狙撃騎士は振り返る。

 ホナミの電磁バリアの輝きが屋上間近で寸前で消えて、ひざまずいた体勢で力強く着地する。

 彼女は立ち上がり、何事もなかったように狙撃騎士を見た。

「それで、こんなところに降りてどうするの?」

「ビルに突入して待ち構えるんだ。ぶら下がって狙撃よりだいぶ楽だろう」

「そっか。ちょうどよかった」

「作戦としてはワイヤーを柵に引っ掛けて——」

 狙撃騎士が話し始めるのに構わず、床にライフルを向けて引き金を引く。膨大な黄金の光弾が射出されて、幾層もよただれたコンクリートの断面を晒して大きな空洞が開けた。

 狙撃騎士が唖然として貫かれた穴を覗いてホナミを見る。

「昼頃に知ったんだけど、持ったレーザーライフルが改造されるみたいで。それで、何階で待てばいい?」

 ホナミがライフルのボルトを引いて熱を放出し、いたずらっぽく笑った。

 呆れながらも笑みを返し、狙撃騎士が腹部スイッチを押して柵にワイヤーを射出。左に身をよじり鉤を柵に引っ掛ける。

「ここは五十二階建てだけど、ぶっちゃけ撃てれば場所は任せる。トドメ、刺したいだろ?」

「うん、叶うなら」

「叶うさ。叶って、新たに人生を始めるんだ」

 ホナミは狙撃騎士のバイザーを見上げてうなずいた。その表情は希望を灯すような明るさがあり、少し寂しげだった。

 今までの人生に別れを告げるということ。それを押し付けるようで心苦しくもあったが、狙撃騎士は腹を据える。

 強化甲冑の大きな手のひらを、ホナミの頭に優しく乗せた。かすかに驚き、その手を受け入れるように俯いた。

「ワイヤーのせいで動けないんだ。だから、今できるのはこれだけだ」

「……うん」

「これからは俺が付いてるから」

「……うん、ありがと」

 狙撃騎士は手を離し、親指を立てる。ホナミも同じ動作を返してぽっかり空いたその穴に飛び込む。ホナミに遅れて狙撃騎士も、穴に飛び込んだ。



 ホナミは二十階で脚部ジェットを噴射し、電撃の軌跡を描きながら室内を滑る。

 幸いひと気のない部屋のようで、整理された業務机と椅子があるだけだ。安堵して厚みのあるガラスに触れ、ヴェールを手のひらに集中。

 ヴェールによって生み出される濃縮された高圧電流が、ガラスがどろどろに溶かし、波紋をだんだんと広げていった。

 粘り気のある、ガラスだったその液体が蝋のようで、ホナミはしたたった液体に身を伏せ、レーザーライフルから改造されたそのライフルを構える。

 液体に触れる生肌は熱かった。その身が人でないため無茶をしていいと思ったが、そんなはずがなかったのだ。

 HMDに目をやる。標的のトカゲ男が圏内に入る。「未確認の異形を撃つのは容易ではない」という第四次構造物災害の話を思い出し、暑さをこらえながらスコープを覗く。トカゲ男の姿を確認。

 動きが無軌道で読みづらい。しかしその異形は予測ルートから離れることをしなかた。

 亘が撃てと言ったんだ。人でなくなったわたしに、その身を預けてくれたんだ。

 スコープの向こうのお前に何があったか知る必要もなく、興味もない。

 人生を踏みにじったお前を殺す。そして前に進み、笑顔で亘のもとに帰るんだ。

 ホナミは溢れる思いを飲み込み、調息。照準を定めて、引き金を絞る。

 光がほとばしった。稲妻の引き裂く音とともに、反動を味わう。

 光弾に視界を奪われたスコープから目を離し、すぐにHMDを確認する。依然として活動中。

 ボルトを引いてヴェールの再装填。ロボットアームが二発目を撃つ。左に少しズレた。

 三発目。亘と出会ったあの時のこと、亘を救ったあの時のことを思い出す。次はぶれないと、不思議と確信した。

 再び引き金を絞り、光弾を撃つ。その光弾はどこか先ほどまでと違い、より鋭利になった。反動を静かに受け止め、ボルトを引く。

 HMDを確認した。

 マーカーは消えており、インカムから歓声が上がる。

『やりやがった!』

『あの距離から……!』

『冬霜くんの出る幕なかったね!』

 任務完了の合図。待っていた未来が来たことを知って、おもむろに立ち上がる。身に張り付いた液体を払い、壁に背を預ける。

「わたし、殺せたんだ……」

『ああ。よく頑張った』

「次は、どうすればいい?」

『こっちから出迎える』

 言うと同時に、轟々と風を撒き散らし空を切る音が近づいた。先ほどの輸送ヘリが後部ハッチを開いて現れた。開いたハッチの向こうに立つのは、黒い強化甲冑の彼だった。

 救われたんだ。わたしは走り出し、窓の向こうに飛び越える。

 脚部ジェットを噴射し滑り込み、ハッチが閉じる。

 慣性のままに転びかけるわたしを、亘が受け止め抱きしめた。

「これはもう、必要ないか」

 生身と異形の腕の銃を落とし、生身の腕で甲冑を抱き返す。

 終わったことと同時に、新しく始まったことができた。なんだかそれが嬉しくて。

 甲冑越しに伝わる亘の抱きしめる感触に、わたしの視界はぼやけ、装甲の胸の中で嗚咽してしまった。

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