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そういえば、わたしたちは出会うと呼べる回数を重ねていない気がした。
話しかけられて、カフェに行って、適当なことを話して。こっちが勝手に盛り上がって、勝手に勘違いしていたとしたら。
確証もなかった。聞けるはずがないから。
「いつからやってた? あのアーケード?」
いつからだろう。パワードスーツに見惚れて強化甲冑にハマったことは。
中一の頃だったか。ある男子の落としたパワードスーツの小説を拾ったことがある。桜が咲き乱れたあの日から、桜が散り終えたその時までの苦い思い出。わたしがまだ影を落とす前の話。
わたしは、——。
「なあ、聞いてる?」
「えっ……あっ——」
混成肉サンドを頬張る亘。人が困っている時に、彼はどこの虫かも分からない肉を食べている。
「んで、いつからやってたの?」
「中一……三、四年前」
「へぇ。何がそこまで好きなの?」
「……やってる間は、人と目を合わせなくて済むから」
違う。ただ好きだったものに未だ執着していただけだ。枯れ木にいつか来る春を望むのだ。花が咲いても結局、わたしの待っていた春は帰ってこなかったけど。
「……なんて冗談。昔はパワードスーツって呼ばれてたみたいなんだけど、そんな時代の小説を知ったんだ」
「あれか。小型原爆ミサイル撃ってるやつ」
「違うよ。時間がループするやつ」
「あぁ、そっち。弱い方な」
間違ってないけど言い方が気に入らず、思わず睨みつける。
亘は横目に見て、楽しそうにしていた。
「というか、知ってるの?」
「まあなぁ。強化甲冑が出た当時はパワードスーツブームが再来してたらしくて、父親が集めてて結構家にあった。映画とか漫画とかもあったな」
本気で懐かしんだ様子をしている。
ふと、熱が上気するのを感じた。前にも一度体験したような、そんな感覚。
「そういや、最近出た『機動油圧少女 超力処鈴』とかは?」
「いや、最近のは全然だな。しかし、少女系のパワードスーツってキャラが剥き出しなデザインって印象あるからなぁ……」
「大丈夫だよ! 昔のにそういうものがあったか分からないけど、重機モデルで油と血と鉄といい感じだし、絶対観た方がいいよ! これは本当に良いから!」
押し気味に語るあまり、いつの間に顔をぐいと近づけていた。囁きの声が聞こえるほど近く、呼吸をすると生ぬるい吐息がくすぐったくなるほどに。
「……っ!」
勘違いされたくなかったから、突き出した上半身をすぐさま離した。
この時のわたしがどんな顔をしていたか、亘は知っていたと思う。
そして、わたしを見つめた彼の顔は、さっきまでの威勢はいずこに、どこかこわばったようだった。
「ご、ごめん……」
「いや、まあ……とりあえず熱意は伝わったから、そこまで言うなら……」
周囲の視線が痛く刺さるようだった。
何に見えたのだろう。ない意志に反して向けられた期待にどうにかなりそうで、耐えられなかった。
マルチロイドだけが、ただ職務をまっとうしている。ただいつもの通りに作業をしている。
恥ずかしくて、どうにかなりそうで、茶化されて。この感情は疲れるようでもあって、しかし生きていることを感じられた。久々に上気するこの熱が、どこか快くもあった。
分かってる。忘れたわけじゃない。でも今は、同じ轍に辿りついてしまいそうなこの道に進むのを、歩むのを、きっと止められそうになかった。
ローター音が頭上で鳴り続ける。
室内に立ち込める油の匂い。亘を含めてボディスーツを着用した四人がホログラム投射型のタブレット端末から立体地図を開いてトカゲ男の行方を追うなか、ホナミは目の前に鎮座された黒く無骨な強化甲冑のボディをじっと眺めていた。
「トカゲ男のやつ、さっきから目立つ場所ばっか通っているが?」
筋肉質の男が赤いアイコンが点滅する位置を眺めて言う。亘は苦い顔で腕を組み、
「公共の面前なら警察も下手なものを使えないって魂胆だろう。おかげでこっちもやりづらくてしょうがない」
「投射ドローンより高所のビルから狙撃、でしたっけ? 近辺の非戦闘活動員が誘導して監視圏外の第一次構造物被災区に追い込めないんすか?」
「人が多くて標的を固定させにくいんだ。それに、ちんたらしてたら特刑の奴らが何やらかすか分からない」
「は? あいつらこの前、マヌケに真っ二つにされてたじゃないすか! 心配するだけ無駄でしょう!」
「それは一課であって、問題は二課だ。あいつらが動く前に殺れって命令なんだ」
肉付きの華奢な少年の言葉に、なおも腕を組んで淡々と返答する。
退屈そうに聞いていた角刈りの男が呆れ顔で立ち上がり、簡易外骨格の整備を始めた。壁に収納されていた箱型の整備キットを取り出したところで、隣にホナミが見ていた。
「何か?」
「……気にしないください」
「やめてほしいなぁ。男臭い空間で女の子に見られると気が散るんだよね」
「……すみません」
機械いじりをする彼を通り過ぎ、他の簡易外骨格を見る。だらりとしたフレームの指部分を動かしてささやかに感嘆の声をあげる。角刈りの男はナットの調整をやめて一瞬振り返り訊いた。
「強化外骨格好きなの?」
「……まあ、はい」
「簡単な説明ならしてあげられるけど」
「…………」
振り返って彼の隣に座る。半立ちのまま各部を調整しながら、説明をしていく。
「これの握力はプラス二十五キロで、普通より握力が高いってくらいだ」
「リンゴは潰せないし、生身の人と握手して怪我させることも出来ませんね」
「まあそれは、強化甲冑くらいでないと流石に無理だけど」
レンチを置き、腕部のフレームを両腕に通して、腹部の起動スイッチを倒す。コンソールの緑のランプが点き、わずかな挙動にパワーアシストの駆動音を鳴らす。指フレームを開閉して各部を動かす。ライフルを持って様々な動作をした後、銃を戻してスイッチを切る。
「あの、これってどこ製ですか?」
「中国のがベースだけど、まあ多少いじってるからだいぶ変わるよ」
「中国のやつは装甲薄いとか馬鹿にされがちですよね。あのチープな感じがかなり好きです」
「ちなみに、我らが狙撃騎士の冬霜くんは中国製は嫌いだとのこと」
横目で見る。苛立ちを表してこちらを見ていた亘と目が合った。
「聞いたか? ホナミちゃん中華鍋好きってよ!」
「は?」
「一家に一台、中華鍋欲しいよな!」
「ああそうだな! 欲しいね! 殴る用に!」
にこやかな表情を作るとともに右手の中指を立てる。殺気が立ち込める彼に向けて、角刈りはウィンクしながら親指を立てて返した。
ホナミは困惑したまま交互を見た。こんな時どうすればいいのか。どうにかしなければと思い、焦って勢いあまって割り込んだ。
「……違うんです!」
「えっ……」
角刈りに向けて声を張り上げるホナミに、亘が呆然としていた。
「亘のことが嫌いってわけじゃないというか……むしろ好きなんです!」
「ちょっ……」
「確かに理由が未だ分からないです! でもでも、その答えはすぐに見つからなくていいというか……きっとこれはそういうものだって思うんです! だから今は好きだけでいいというか!」
恥じらいに混乱して顔を赤くした彼女は言い終えて、髪を振り乱し荒く呼吸する。頭を抱えて嘆息する亘を、三人はそれぞれ違う表情で見ていた。
「お前マジか……」
「冬霜さんが高三の時、彼女は小学四年だったんすよ⁉︎ なんというか何か違反っす! 獄に落ちろ!」
「ナイスだホナミちゃん! もう一言ぶちかましたれ!」
「からかうなよ……本当にさぁ……」
ついに耳を塞いで三角座りする。
室内スピーカーに警報。全員ともタブレット端末に注目する。
「それで、どうすんだ? 簡易外骨格でビルに爪立てて張り付いて狙撃しろってのか?」
「フェイスメットは冬霜くんの黒甲冑より安価なHMDを使っていて、投射ドローンは二十五メートルを飛んでいる。出来ると思うかな?」
「無茶に決まってるじゃないすか! 俺ら別に名うてのスナイパーでもなんでもないんすよ!」
「ああ。だから、お前らはビル屋内に突入してから特定の配置につけ。壁は流石に無理だ」
予測ルートから割り出される四つのビルにマーカーが表示される。ホナミは亘の後ろで苦笑を浮かべていた。
「あの、わたしもしかして壁——」
「まさか。監視も兼ねて俺と同行するってことだよ。よし! じゃあ急ぐぞ!」
四人は強化甲冑や簡易外骨格に散開。ホナミは周囲を見て、簡易外骨格の三人と同様に掛けてあったHMD付きインカムを装着し、レーザーライフルの前に立つ。
亘は腹部スイッチを押す。胴がひさしのように開き、背を合わせて脚部に足を入れる。踵に踏み込む時の固定された音に居心地の良さを感じる。
垂れた腕部マニピュレーターの袖を通すと内部エンジンがかかった。
早速小手の動作を確かめるべく手を開閉すると、両腕両脚のエアクッション内部が膨張して固定されるのを感じる。キツく締められるこの感触が、これから戦うのだと本気にさせてくれる。
スイッチを押してひさしの胴を戻す。フェイスメットを被って、ラックから対物ライフルを手に取る。
ディスプレイ情報を確認する。すでに三人の準備は完了していた。
狙撃騎士として役割を与えられた時、それは与えられた。
名にふさわしい黒。ずしりとした見た目が存在感を放ち、背部には大きめのバッテリーパックと外付けの落下傘を有する。
前回よりも背部は明らかに軽い。接近戦を予想して右肩部の大型ナイフと腰部ホルスターに拳銃がある。前回のように邪魔されなければいいが。
稲光りが見えた。その方に向くと、黄色く彩られたドレスを着たホナミがいた。半透明のフリルが淡く揺れていて、亘にはそれが蝶の羽のように思えた。
そのファンシーな見た目とは裏腹の、HMD付きインカムと、生身と二一が提げていた二挺の遠距離型レーザーライフルが大きな歪みとなっていた。
「かっこいいよ。亘」
「どうも。……そっちも、似合ってる」
「そうかな……?」
「ああ。なんというか——綺麗、というか……」
ホナミは照れくさそうに頷く。
強く当たるような強い音を立てて、簡易外骨格の三人が対物ライフルに弾倉を差し込む。無線のノイズが聞こえた。
『早くしろ』
『獄に落ちろ!』
『冬霜くんかっこいいぞ!』
「おう、すまんな!」
後部ハッチが開かれる。ブロックのようにデコボコと並び立つ地上が見えた。
タブレット端末に無線接続して、バイザーへと潜入するビルをマーキングした地図データを映しだす。簡易外骨格の三人から次々と飛び出した。
「じゃあ行くぞ!」
「うん!」
「さん、にい——」
亘が走り出す。後に続いてホナミも走り出した。
「いち!」
空にダイブした。滞空して数秒、落下傘が開かれる。
全員の「異常なし」の報告を聞き、亘はホナミを見る。
燦然と輝く電磁の防壁の中で、鋭く凛然とした面持ちに変わる。思わず見惚れてしまいそうになるのをどうにか視線を戻し、降下ポイントのビルの屋上を見る。
歩む速度が早すぎたかもしれない。しかし、これでもいい。
ただ、そう思った。
コンテナの波打つ表面に背を預け、タバコの煙が立ち上るのを見る。
旗打僧正。与えられたその名はこの中だけで通用する。外の名でいう水無月冬樹は、こうしたコードネームを使って技術的諜報を担当していた。
おもむろに沈もうとする陽が港の水面を照らし、一直線に赤い道筋を描く。ゆらめいたその光は、なにか心地よさがあった。
魔法少女が部屋を空けている今、彼の仕事はその技術面だった。かたわらの小型コンテナから金属製の球体を捻って宙空に投げる。その物体は中央が縦に開き、上下の半円からプロペラブレードを展開した。
自律偵察型簡易無人機〈パック〉の最後の一つを飛ばし、PGのモニターアプリ窓から全カメラの映像を確認する。所有していた旧式のタブレット端末ではスペックが低く、タイムラグが発生するため、画質が粗いながらも眼を凝らす。
「まだこれ試作段階なんだがなぁ……」
各地点を見張っている全モニターを確認する。今のところは正常だと安堵した。
「別に俺はオベロンなんかになりたくはないのだが」
〈声〉からの指令は、自衛隊の空挺部隊への対策として防衛を強化するように、といった具合だった。しかし水無月含め、全隊員の脅威は違うところにあった。
日が暮れれは何をされるか知ったものではない。研究倉庫を一件とら半数の太陽光パネルの損壊、武装マルチロイドと強化甲冑の被害は少数で済んだが、鹵獲した少女を逃し、もう一人の裏切りを許した。
この基地はもう、あとには退けなかった。背後に待ち構える薄暗い断崖にいつ足を踏み入れるか。そんな圧力で辺りは満ち満ちていた。
水無月は金メッキの光沢を放つライターを取り出す。蓋の下の黒いパネルに指の腹を押し付けて、すっと口元に近づける。
「こちらポインタ。今現在敵と予想される奴は、高圧光線による拿捕、再錬成による武装解除、亜空間湾曲現象による空間転送の三種類だ。そのうちの二番目は最近確認されていないため、主に残りの二つに気をつけろ」
底部のスピーカーから了解の意を聞き、親指を離す。
三機あった貴重な神像の一機を壊された今、この場所での神像は不利だった。敵より味方の方が多く、都市街と違って犯罪者しかいない。
パックH号機のモニターがかすかに歪んで警告音を発した。ライター無線機を起こす。
「ポイントH準備——」
勝鬨が上がるのをよそにモニターを見る。次々とパックは警告の声をあげていく。
「訂正する! 各隊準備しろ!」
『何が起こったんです?』
「状況が変わったんだよ!」
どっと焦燥が気を散らし、周囲を見渡して上を見る。夕空に渦巻く奇妙なほど大きな歪みが生まれていた。
水無月は気づくやいなや、本能のままに全速力で走り出した。懐の武装を確認して、銃身の角ばった電極射出銃とビー玉ほどの球形知能地雷を取り出す。指の間と手のひらに挟んだ球形知能地雷を十機ほど投げると、黒い外殻が大きく膨張した。
白い輸送ヘリが、液体のごとくぬるりと排出されて姿を現した。ドアはすでに開かれ、二つの重量が降下する。それは空気の圧と光線の網を散らし、自らの重量のまま着地した。
猶予はなかった。水無月はすかさず電磁警棒を起動して放り投げる。それはショートして閃光を散らし、その隙に足早に逃げる。敵を感知したパックが次々に到着したのを見て、電極射出銃を強く握って走る。
水無月自身も、気休め程度の無人機では心もとないのを理解していた。彼女らは怪物だからだ。だからこそ、切り札を出すまでに怪物を弱らせておく必要がある。
テーザーを持つ手の小指の操作で窓を切り替えて、〈Gama-Tank〉と表示されたスロットを片端にタッチしていく。全て押すと、再び走り出す。
将棋やチェスでは王が取られれば統率を失い敗北する。そして、この時点における王が誰かを、奴らは知っている。だが、ボードゲームとは違う。小規模では王だと目される自らが、全体では僧正だからだ。
恐れていたもの。それは、城に迫り来る怪物ではなく、王と王妃の静かな怒りだ。静かな宣告だ。終わりの始まりが断崖の底で牙を剥くのを、息を飲んで立ち尽くしている。
欲しいのはこの街の終焉ではなかった。だからこそ、水無月はふと思い浮かべた影に苦々しい表情を浮かべた。




