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Call my name  作者: 森彩子
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Call my name 9



馬車を急がせて屋敷に思っていたより早くつくとそこにアネットの姿があった。

今日は出かけるからこなくてもいいと連絡していたはずなのだが、部屋の中から飛び出してきたアネットは毛布でぐるぐる巻きにされ顔だけが出ている状態のオルガに気がついて走りよってくる。

「どうしたのですか!?」

いつもの優しい感じとは少し違い、こちらを責めるような言い方をするアネットにオルガは首をちぢこませて黙り込む。まるで母親に叱られた子供のようにしゅんと肩を落とすオルガの。その身体に巻きつけられた毛布に気がついたアネットは今度は矛先をアイゼンに向けた。

「あなたがついていてどうしてこんなことに? それにこの毛布はなんなのですか? もっとまともなのはなかったの!?」

 本当にただの毛布でぐるぐる巻きにされ身の虫状態のオルガの姿にアネットはこめかみをひくひくさせながら、アイゼンを乱暴な口調で問い詰める。

「森の中に店がなかったのでどうにもならなかった。それにここまで来たのなら、店へ行くのも家へ帰るのも同じようなものだから、なら早く戻って風呂にでも入れた方がいいと思ってだな」

壁に詰めよられていくアイゼンを見ていると、アネットがいた部屋の中からもう一人誰かが騒ぎに気がついて出てくる。

オルガがそちらに顔を向けると、そこには美男子という言葉にふさわしい鉄錆色のゆるくパーマがかった髪を後ろに綺麗に撫でつけた長身の男性が立っていた。立ち方も優雅な彼はオルガがこちらを見ていることに気がついたのかふっと頬笑みを寄越してくる。

オルガはその笑顔にうさんくささを覚えて、この人物は己の容姿の価値をしっかりと理解していて、それを存分に利用してきたのであろうことを薄々と感じ取った。

誰にでも、特に女性となればキャーキャー言われ続けたであろう男は、オルガも自分をうっとりとした瞳で見とれると思っていたのだろうか。つれなく視線をアイゼンとアネットに戻したオルガを面白そうに見ている。

男はオルガの前にゆったりとした様子でやってくると、これまた優雅に腰をおって挨拶してきた。

「こうして直接お話をするのは初めてですね。レイモンド・ミハエルと申します」

丁寧な挨拶をしてきたレイモンドという男は下から覗き込んでくるようにしてその甘いマスクをこちらに向けてくる。

「以前…お会いしたことがありましたか…?」

すごく失礼なことを聞いているというのはわかるが、そちらだって直接話すのは初めてだと言っているのだ。結婚式の時にいたのだろうか、そう思いながら問うとレイモンドは思った通り「結婚式で一度」と言ってきた。

屋敷にいてしかも使用人の格好もしていないということはアイゼンの会社の人だろうか。そう思うとどう返したらいいかわからなくなってしまってオルガは固まってしまう。どういう対応をしたらいいかわらからないと弱った様子のオルガに気がついたのかレイモンドは笑みをくずさずに上体をあげると、アネットのいつもより甲高い声につられるようにそちらに顔を向ける。

いつもはおっとりとした様子のアネットの激しい物言いに、アイゼンは押される形で一歩また一歩と後ろにさがっていた。

「あたたかいといったらこれが一番だろう」

「だからといって、もっとこうなにかがあったでしょう! ロマンチックのかけらもありませんわ!」

責める物言いとついに目の前までやってきてしまったアネットの迫力にアイゼンは口を閉じざるをえない様子だった。

「自分の着ている上着を貸すとかは考えなかったのですか!?」

すっかり黙り込んだままになってしまったアイゼンに、アネットは「気が利かない………。うちのだったらそういうことにはすぐ気付くのに」と小さく吐き捨てると、その言葉にショックを受けた様子のアイゼンを残してこちらに近寄ってくる。

オルガの前に立つレイモンドを押しのけるようにして前に立ったアネットは、オルガのすっかり冷え切ってしまった頬に手を当てた。

「イネス様、寒かったでしょう? すぐにお湯を沸かすように伝えますからね」

「大丈夫です。あまり、あまり―――寒くありませんでした……」

背を壁につけたままの状態で動かずに沈んだ様子のアイゼンを見ながらオルガは言葉を続ける。

「アイゼン………様が、ずっと馬車の中で寄り添ってくれたので――」

オルガの言葉にアネットはぱっと感極まった様子で口元に手をあてると、オルガとアイゼン二人の顔を何度も見渡してから最後に隣に立つレイモンドと顔を見合わせた。

アネットに言われた言葉が頭の中で渦巻いて落ち込み続けているアイゼンに、オルガは笑いたくなったがぐっと唇をかみしめる。

しだいに耐えきれなくなってしまいブルブルと震えだした肩にアネットは寒さで震えていると勘違いしたらしい。隣に突っ立っているレイモンドに侍女たちに早くお湯を用意するよう伝えろと背を押しながら急かしているのを聞きながら顔を伏せる。

濡れて束になったままの髪が落ちてきてオルガの顔を隠す。それに安心してようやく口元をほころばせる。

そうやって震える肩を必死でおさえていると、ようやく気分を持ち直したアイゼンがこちらに近寄ってきた。

震える肩に手をあてて「大丈夫か」と真面目な顔で尋ねてくるアイゼンと、先ほどのアネットの言葉にショックを受けた様子のアイゼンが一致しなくてオルガは思わず吹きだしてしまった。

オルガの吹きだし笑いをくしゃみと勘違いしたアイゼンは更に真面目ぶった様子でたずねてくる。オルガは口元をおさえるとこもった声で「大丈夫です」と返事をすることで精いっぱいだった。

様子のおかしいオルガに気がついたアイゼンはようやく自分が笑われていることにわかったらしく、心配げな声が一気に不愉快な声音に変化する。

「……どうやら笑われているらしいな」

「すみません」

素直に謝ったオルガに不機嫌を顔に貼り付けたような顔をしていたアイゼンはふっと顔から力を抜くと疲れたようにため息をつく。

「もう、いい。思ったより、君は………イネスは、笑い上戸なんだな」

口元を押さえたままだったオルガは、アイゼンが自分の名前を呼んだことに気がつくまで数秒時間がかかった。

(そうだ、今までは名前で呼ばれずにいたのだが、私はイネスなのであった)

忘れていたわけではない。

侍女に朝起きてその名を呼ばれるたびに気が引き締まる思いがしたし、母の恥をかかせるなという言葉は、何度も何度も自分の内で反芻して言い聞かせていた。気を緩めたことなどなかったはずだ。それなのにいつの間にか忘れてしまっていたらしい。自分は身代わりで本来はここにいるべき人間ではない。

そんなことをアイゼンが知っているわけがないのに、オルガはそう窘められたような気持ちになって胸を抑える。

どうしてだろう。忘れることなんてない、なかったのに―――。

だけど、この人と話すと調子が狂うらしい。

アイゼンを見上げながらオルガは自分がすうっと冷静になっていくのを感じてほころんでいた口を固く閉ざした。先ほどまでと打って変わり強張った表情で見上げたオルガにアイゼンは首をかしげる。

「どうした?」

「……いいえ。いいえ。なんでもありません」

先ほどのまでの笑顔を押し隠し再び暗い顔を覗かせたオルガに、アイゼンは妻の中で何かが切り替わったのを感じたのかそれ以上なにも言わずに「早めに身体を温めろ」といって去っていく。

オルガはその広い背に何も声をかけることができずにただ見送ることしか出来なかった。





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