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Call my name  作者: 森彩子
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Call my name 7


「入るぞ」

ノックも手短にアイゼンは部屋のドアを開ける。

イネスはいつもの窓際の席に腰かけていた。

日中に突然やってきたアイゼンにイネスはだまったまま椅子から立ち上がる。いつものその動作にアイゼンは鷹揚に頷き返しながらイネスの前の椅子に腰をかけた。

「……座ればいいだろう」

「はい…」

アイゼンの言葉にようやく腰を下ろしたイネス。アイゼンはイネスが椅子に腰を降ろしたのを見届けてから戸惑いがちに顎を掻いた。

「…………さっきミント入りの水を飲んだ」

「……はあ…」

普通こう言ったらちょっと頬をそめたりして恥ずかしがるものではないのだろうか。プレゼント(っぽいもの)をもらってすぐに感想を言いに来たとなったら、女というもの(というか人は)はほんの少しでも胸を躍らせるものなのではないのだろうか。

アイゼンは妹が昔読んでいた恋愛小説を思い出しながら、表情を一向に変えることがない妻を見つめる。

「すっきりした――」

「それはよかったです。摘んだかいがありました」

「そ、そうか」

「ええ」

真面目な顔で頷くイネスにアイゼンは黙り込む。

脳裏で描いていたものと違った。

もうすこし、甘い雰囲気になると、思っていた―――。

アイゼンは会話を続けることができずに。黙り込んだままイネスを見つめる。アイゼンとは違いイネスは居心地悪さを感じていないのか、じいっとアイゼンを見つめ返していてくる。

「………まだ、あるのか」

やっと出た言葉だった。

「ええ」

「果実を絞ったものより、よかった」

「…………余ったものはもったいないので乾かして保存しておこうと思っています。―――出来たら飲みますか?」

「ああ」 

そんな貧乏くさいことはやめろ、なんて言えなかった。


仏頂面で頷いたアイゼンにオルガはこの人は楽しいのか嬉しいのかそれとも不機嫌なのかさっぱりわからないと思いながらもとりあえず頷き返した。

いつものように意地悪なことを言わずに黙り込んだままのアイゼンを前にして、ほんの少し落ち着かない気分になってオルガは立ち上がる。

わざわざ仕事を中断して現れたアイゼンにお茶の一つでも出さずにいることはいくら世間知らずのオルガでもまずいということはわかっていた。だから侍女にお茶の準備をしてもらおうと思ったのだ。

突然立ち上がったオルガの手をアイゼンは思わずと言った様子で掴んだ。

突然手首を掴まれたオルガは、変な気持ちを抑えながら静かに首をかしげた。

「どこへ行くんだ?」

「………どこへも行きません。ただお茶を用意してもらおうと思っただけです。―――いりませんか?」

「そうか……」

アイゼンの手から力がぬけたことを確認すると、オルガは侍女を呼ぶためにドアへと向かった。

オルガのその行動にアイゼンはぶっきらぼうな調子で声を上げる。

「侍女を呼ぶのだったら、ベルで呼べばいいじゃないか」

「ああ、そういった便利なものもあったのですね」

その言葉でベルの存在を思い出したオルガはわずかに目を見張りながら、机の上に置かれた便利なそれに目を向ける。この家に来てからまだ一度も使用したことがない呼び出しのベル。使用するべきか一瞬迷ったオルガは頬に手を当てて少しの間考え込んだ。


「君の家にはなかったのか」

「……そういえば、あった――かもしれませんね」

ぼんやりと頬に手をあてながらつぶやいたイネスに、アイゼンは自分の家の勝手もわからないなんてと口をあんぐりと開けてしまった。

いやしかしとアイゼンは本当に妻の頭の心配をしかけた自分を止める。この前言っていた母親に言われたという「屍みたいに何もしゃべらない」を思い出したのだ。

母親が娘にそんなこと言うだろうか? 

イネスのぼんやりとしたどこか浮世離れした様子は、家での生活も影響しているのかもしれない―――。

「……ベルを使うのは未だになれません」少しの沈黙の後そうぽつりと言い残すとドアを開けて廊下に顔を出して侍女を呼んでいる後ろ姿を見つめながら、自宅でもこうしてひっそりと使用人を呼んでいたのか。それとも呼びもせずに自分一人で生きていたのだろうかと思わず考えこんでしまう。あの暗い屋敷の廊下にイネスが一人で立っている姿がまざまざと想像できてしまったので、アイゼンは小さく後悔のため息をついた。そんなことを想像して落ち込んだって過去の彼女に話しかけることは出来ないのだが。

通りかかった侍女にお茶を持ってくるように頼んだイネスはゆらゆらとこちらに戻ってくると、音もなく静かに椅子に腰を下ろした。

「………今度、外に出かけよう」

腰を下ろしたと同時にそうアイゼンが誘うとイネスは瞳をまたたかせた。パチパチと揺れるまつ毛を見つめながらアイゼンは更に言葉を続ける。

「何か欲しいものはないのか? 必要なものとか―――」

アイゼンの言葉を吟味するかのようにイネスの瞳が細くなる。気難しい猫のように目を伏せるイネスを見つめながら、アイゼンはを静かに待つ。

「外に、行きたいです。本当に外へ」

「何か欲しいものでもあるのか?」

「いえ、ただ、本当に外へ」

「……それだけいいのか?」

イネスは数秒してから頷いた。

初めて彼女から望むものを引き出すことができたアイゼンは口元が二ヤけそうになるのを隠して侍女が持ってきたお茶を口に運ぶ。

口に入れた途端に拡がるハ―ブ。ミントの香りにアイゼンはもしやと思ってティーカップを持ったままイネスに問いかける。

「これは今日のミントか?」

「市販のものです」

そんなにすぐ乾くわけねーだろ、イネスの無言の瞳がこちらにそう訴えかけてきているような気がしたアイゼンは紅茶を一気に呷ると「仕事が残っていた」と立ちあがる。

突然立ちあがったアイゼンにイネスは静かに手のうちのティーカップの中身を喉に流し込んでいる。立ちあがることもせずに、以前よりほぐれた様子でこちらを見上げてくるイネスに、アイゼンはほほ笑みかけることができずにいつもの仏頂面で背を向ける。

そうして部屋から出て行こうとした時にちょっとだけ振り返ると、座ったままの彼女をちらりと見ながら「今日からちょうど一週間後だ。朝早くから出かけるから準備をしておいてくれ」と捨て台詞を残し去って行った。





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