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Call my name  作者: 森彩子
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Call my name 6



 それから数日たって、ようやく午前中だけ自由な時間を与えられたオルガはこの前思いついたことをさっそく実行することにした。

オルガは凶悪なほどに地上を照らし続ける初夏の強い日差しに辟易しながら、額から落ちてきて目に入りそうになった汗のしずくを乱暴に手の甲で拭った。

天を仰いだら日よけの為に被っていた帽子がずれ落ちかけたのでオルガは慌てて掴んだのだがすぐに後悔する。

繊細なレースが縫いつけられたミントグリーンの帽子についてしまっただろう土に、まだその汚れを見ていないというのに思わずため息をもらしてしまう。

なんてもったいないことをしてしまったのだろう。後悔で頭がぐるぐるしたが、すぐに初夜のアイゼンの言葉を思い出して立ち直る。

そうだ。アイゼンはいくらでも作ってもよいと言っていたではないか。

ならばオルガはこんなことで一々落ち込む必要はないのだ。……ないのだけれども、オルガは落ち込んだ気持ちを持ち上げることが出来なかったことを諦めると。なら行動でもって切り替えようとせっせと草弄りを再開する。

 外に出されることがなかったオルガにとって、家の中庭が唯一外に出ることが許された場所だった。オルガは昔からそこで草花を摘んだり、花冠を作ったりして遊んでいた。

太陽が頭上にある時しか日差しが降り注がなかったあそことは違い、日中は常に太陽の陽が降り注ぐラッド家の開けた中庭をオルガはぐるりと見渡す。

開かれた庭には大きな噴水があり、オルガはそこで汚れた手を洗うと同時に白いレースのハンカチを濡らして熱くなった頬に当てた。冷たいそれを目元まで移動させると、そのまま噴水の脇に腰を降ろして座り込んでしまう。

目的だったミントの葉はやはりあった。それ以外にも中庭でよく蜜を吸っていたピンクの花も生えていたのでオルガはそれを行儀悪く口に加えながら。久しぶりの一人きりの時間を存分に楽しんでいた。

オルガが一仕事終えた気分で休んでいると、屋敷の方から慌ただしい足音が聞こえてきた。

「奥様! イネス様!!」

 使用人の悲痛な声に、オルガはぱっと立ちあがるとそのまま木の影に隠れてしまう。

なぜ隠れてしまったのだろう。自分のとっさの行動に戸惑いながら息を潜めていると目の前にオルガを呼ぶ声の持ち主が姿を見せた。

「イネス様! どちらにいらっしゃるのですかっ!?」

赤毛でそばかすだらけの顔を更に赤くしながら叫ぶ侍女に見覚えがあった。それは今朝オルガにこのミントグリーンの衣装を選んで着せてくれた侍女だった。

服装に無頓着で決めることができないオルガに、思い切った様子でドレスの色を提案してきた素直そうな彼女の悲痛な声にオルガは思わず出て行きそうになるが、隠れてしまった手前今更こんな場所から出ていくことも出来ずに彼女を草葉の影から覗き続けることしかできない。

そういえば、一人で自室にいた時に周りに何も告げずにフラフラとここまで来てしまった―――。

侍女がはしりまわる原因を作ったのはオルガの単純な連絡ミスだった。

どうしよう、どうしようかと思っているうちに目の前を走りぬけていってしまった侍女に声をかける機会をすっかり失ってしまっていたオルガはのろのろと這いつくばったまま噴水の前に姿を現す。

 なんて言って帰ったらいいのだろうと立ち尽くしながら考えていると、突然後ろから肩を掴まれた。後ろに引きこまれるようにして反転させられたオルガの目の前に怖い顔をしたアイゼンがいた。

アイゼンはオルガのすっかり土で汚れてしまったミントグリーンの上品なドレスを、上から下まで見て今までで一番深いため息をもらしてみせた。

「お前は何をしているんだ?」

ついに「お前」呼びになってしまった。「君」呼びから降格してしまったオルガはそれを仕方の無い事だと冷静に思いながら、アイゼンに見せるようにして持っていた籠を差し出した。

「ミントを、とっていました」

差し出したその中にはミントの他にオルガが自分で作った下手くそな花冠も紛れこんでいた。下手くそな花冠が入っている籠の中身をみたアイゼンは疲れたように額に手を当ててからオルガの腕を強く掴んで屋敷の方へと引っ張っていく。

「子供のように遊ぶのは結構だが、行先をちゃんと侍女に伝えろ」

 家にいる時は一人で動いても特に何も言われなかったので、こちらでも何も考えずにそうしてしまったオルガは屋敷に戻ったと同時に自分に駆けよってきたアネットと瞳に涙を浮かべる侍女の姿に驚いた。事件性や家出など様々な可能性を考えてしまったというアネットの言葉に、オルガは申し訳ない気持ちでいっぱいになって「ごめんなさい」と小さく謝り続けることしかできなかった。



 女たちを残して何も言わずに去ったアイゼンは、仕事部屋に戻ると侍女の「奥様がいない!」という言葉で中断していた仕事を再開しはじめたがどうにもこうにもペンが進まない。

アイゼンは必死で仕事を続けようとしたが、書類を読もうとすればするほど滑る不甲斐ない自分の目に苛立つと立ち上がった。そして乱暴にソファーに腰を下ろすと、腹の底から深いため息をつく。

すっかり疲れ切った様子のアイゼンの前に水の入ったグラスが置かれると、それをすぐに掴み一気に喉に流し込んでからテーブルの上に叩きつけるようにして置いた。

「なんなんだ! あいつはっ!」

アイゼンのもっともな叫びにグラスを差し出した男はクスクスと笑いだす。

「レイモンド。笑うな」

アイゼンの不機嫌な声で呼ばれたレイモンドという男は鉄さび色の髪をかき上げながら盛大に笑いだした。

オルガがいないと聞いたとたんに仕事を放り出して行ってしまったアイゼンは、中庭で泥まみれのオルガを見つけ引きずるようにして連れ帰ってきたのだ。そして非常に恐ろしい顔で「泥を落とせ」と当事者であるオルガではなく、侍女たちに命令してから仕事部屋へと舞い戻ってきたのだ。

「あれではまるで散歩から連れ帰った汚れた犬を洗えと命令するようなものではないですか」と騒いでいたアネットの言葉を思い出してレイモンドは涙目になりながら笑い続ける。

「いやー本当に元気で変わった奥様だねー」

その間延びしたものいいに、アイゼンはぴくりと眉間を動かした。

「あなたが望んだのでしょう? 変わっていて面白いって」

一通り笑い終えて満足したのかレイモンドはアイゼンの前に腰を下ろした。そしてぐったりとした様子のアイゼンの代わりに書類に目を通し始める。

「貴族の娘はお高くとまっててめんどうだが、あの子は違いそうだって言っていたじゃないですか。予想通り面白いですし、あなたの望んだ通りですよ。いやーよかったですね」

「……………レイモンド」

地の底から這い上がってくるような声で呼ばれたレイモンドは困ったというように肩をあげた。

「マルグリット家の方に香りが豊かなラベンダーが生えているという話を聞いたあなたは新たな香料の原料になると思って自ら足を運んだ。そこで彼女にあったんですよね? あちらの名士の家の夜会で」

レイモンドの言葉にアイゼンは不機嫌な顔を隠そうともせずに頷いた。

「帝都からきたあなたにキャーキャーいうイモ臭い田舎娘たちの中で彼女だけはあなたに興味なさそうに立っていた。女性に冷たくされることに慣れていないあなたの心に闘争心をつけたわけだ。まー見た目もタイプだったんでしょうね~。そしてマルグリット家に結婚話を持ちかける。一人娘のために最初は頷かなかったが援助の話をだしたら渋々了承―――でしたっけ?」

レイモンドに結婚にいたるまでの自分の行動を言われたアイゼンは頭を抱えた。

夜会であった時の彼女はこちらに何にも興味がなさそうだった。高級な香料を使用し香水などを作っているわが社の名前をだすと大抵の女は目をハートか金マークにして近寄ってくるというのに。

興味をもって近づいて踊りに誘ってみると、「踊りは苦手なので」とあっさりかわされた。かわされた自分の周りに他の娘たちが近寄ってきて、彼女の情報を色々と教えてくれたのだ。

マルグリット家の一人娘。生意気。本と勉強が大好きで帝都の学校に進みたいと言っている変わりもの。

彼女を貶めるようなことをいう娘たちだったが、その思惑とは裏腹にむしろアイゼンは彼女に興味をもってしまった。

帝都に戻ってきてから彼女の家のことを密かに調べてそれなりの家であることと、最近経済的に切迫している状況であるということを掴んだ。

相手の家のことをしってからはこっちのものだった。トントンと話を進めてしまったアイゼンはこうして目的のあのつれなかった娘を手に入れたのだ。

理知的で大きな湖畔のように中々揺るがない瞳につるりとした額。つんととがった生意気そうな唇。

アイゼンはあの日の彼女を思い出しながら、我が妻になった彼女の事を重ね合わす。

ぼんやりと空を映す瞳に、つるりとした額の上に浮かんだ眉は弱弱しく意志の強さを感じられない。つんととがった生意気そうな口ではあるがそこからもれるのは間延びした声。

声も見た目もまったくあのままなのに、なぜここまで違う―――?

アイゼンはのほほんとした、掴みどころがない妻に頭をかかえる。

もっと、頭のいい女だと思ったていた。

のほほんとした、柔らかさしか取り柄のない女たちとは違う。

目の前のレイモンドは書類に落としていた瞳を、思案にふけっているアイゼンに向けながら砕けた様子でニヤニヤする。。

「ああゆうタイプ苦手だったよね」

「ああ。お前の嫁と一緒で苦手な分類に入るな」

「ちょっと人の奥さんのことを持ち出すなよ。そんなこと言っているともうこっちに寄越さないぞ。最近ただでさえイネス様、イネス様ばっかりで旦那さんとしては寂しい思いをしているんだからな!」

レイモンドの脅しにアイゼンはぐっと口を閉じる。

「街に慣れていない奥方殿を少しでもこっちに慣れさせるために毒にも薬もならなそうなお前の奥方を貸せだっけ、本当にひどいよね」

「余計なことを教えられたら困る。それを考えたらアネットが適任だった。俺の姉や妹は遠くに嫁いでいるし。母はとうの昔に死んでいるし………。知っていてこういうことを頼める女はお前の奥方しかいなかった」

「ただれた関係を持たないでいる女性の知り合いはいないんだもんね。まさか昔の女に嫁のめんどうみろなんて、そんな厚顔無恥なことあなたでもさすがに言えないか。だからもっと節度をもった生活しなよって言っていたじゃないかー」

生意気な事にそう説教を垂れ始めたレイモンドにアイゼンは自分の額で血管がブチブチと音を立て切れ初めているのがよくわかった。

「それだけ望んできてもらったわけなんだからさ、もっと優しくしてあげなよ。こっちに友達とか一人もいないんだろう?」

「アネットがいる……」

「アネットは俺のだもん」

「……………馬鹿がっ」

そう言って満面の笑みを浮かべたレイモンドにアイゼンは舌打ちをする。

「結婚前に仕事も一生懸命片付けて自宅にいれるようにしたんだからさ。もっと交流をもちなよ。言葉より身体のほうが伝わるってのもあるんだしさ」

ばちんとウィンクしてきたレイモンドに、アイゼンはイライラしながら片足を揺らし始めた。

そんなことが出来ているのなら、こんな風に悩んでいるわけがないのだ。

「そんなに最初に会った時、君のことを覚えていなかったことがショックだったの?」

触れられたくないところに触れてきたレイモンドの足を机の下で思いっきりふんづける。付き合いの長いレイモンドは顔を歪めながらもアイゼンに言葉を続ける。

「たった一回会ったきりの人間を覚えているなんて、そんなこと求めるほうがどうかしていると思うけど」

「俺は覚えていた」

そりゃーそうでしょう。そう言いたげなレイモンドの表情に腹がたったアイゼンは更に足に力を込める。

「いだだっ、いだっ」

「ふんっ」

ようやく悲鳴をあげたレイモンドにアイゼンは満足げに鼻を鳴らすと足を解放した。踏まれた足をさすりながらレイモンドは恨めしげにこちらをみてくる。

「本当のこといったら人間って怒るんだよね………」

足を再び持ち上げたアイゼンにレイモンドは降参だと両手をあげる。しかしあげながらもレイモンドは更に言葉を続けた。

「今飲んだ水があるだろう。ちょっと喉がすうっとしなかったか?」

いきなり話が変わったが、確かに飲んでいるときにただの水ではない清涼感を感じたのでアイゼンはその言葉を無視しなかった。

「……言われてみれば」

「それ。イネス様がとっていたミントの葉で作ったミント水だよ。アネットがちょっと前に寄越してくれたんだ。イネス様に外で何をしていたのか聞いたら、これお前の為にとってたんだって」

レイモンドの言葉にアイゼンは飲みほしたグラスを数秒見つめてから、再び黙って腰をあげると部屋から出て行った。

「イネスは?」

廊下で偶然会ったアネットにそう尋ねると、アネットは少し黙ってこちらを見上げてからにっこりとほほ笑む。

「お部屋で落ち込んでいられますわ」

「そうか…」

アネットの意地の悪い言葉に頷くとアイゼンはさっさと部屋へと向かっていく。アネットは新妻のもとへと珍しく駆け足で向かっているアイゼンを困った人たちねと笑いながら生ぬるい瞳で見送るのだった。



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