Call my name 番外編 1
幸せすぎて怖いかも。
アネットは頬に手をあてて、目の前にいる相手に気付かれないようにため息をついた。
俯いているために顔を隠すように淡い髪が、彼女の表情を隠している。我が家に来てからずっとこの調子のオルガに、アネットはそっと立ちあがると彼女が腰かけている大人二人が余裕で座れるソファーに腰かける。アネットが隣に腰を下ろしたとたんに、オルガはずっと俯いたままだった顔をようやくあげた。
「……まあ」
オルガの青い瞳からは、これでもかというほど塩辛い涙があふれ出ていた。声もあげずにただ涙をハラハラとこぼし続けるオルガに、アネットは目をまたたかせる。
いつもだったら前もって連絡を入れてからやってくるオルガの、突然の訪問に何かあったとは思ったてはいたが、突然泣きはじめるとは思わなかった。どちらかというと感情表現をしない、わかりにくいオルガにしては珍しい。それほどの何かがあったのだろうか、アネットは驚いた次の瞬間には何かあったのかと慌ててオルガの肩をつかむ。とたんに耐えきれないと言った様子で、ブルブルと震えはじめてきたオルガの肩にアネットは更に慌てて、オルガの頭を自分の肩に寄り掛からせる。オルガの話を聞くのは、彼女がもう少し落ちつていてからになりそうだ。しばらくそうやって、寄り添い頭を撫でていると、子供みたいにぐしぐしと鼻をすすりながらオルガはようやく口を開いた。
「……実家に帰ります、って言っても、私には帰る家がありません」
突然のオルガの悲しい宣言にアネットは更に弱りオルガの頭を撫でる。彼女の家庭の事情は、レイモンドとそして彼女自身の口からしっかりと聞いた。「私はイネスではなかったんです」そういって罪人のように項垂れる彼女を、おもいっきり抱きしめた日は記憶に新しい。
アネットは、うんうんと頷きながらオルガの言葉を促す。
「だから………だから、ここに来てしまいました」
そういった瞬間、再びどばーっと両目から涙を滝のように落とし始めたオルガに、アネットは慌てて自分のポケットからハンカチを差し出す。
「ごめっ、ごめんさい。しゅみません」
素直に感情をあらわにするオルガに頬笑みながら、アネットは擦りすぎて赤くなったオルガの目元にハンカチをあてる。まだ子供のいないアネットは、子供ができたらこんな感じなのかしらと思いながら、オルガの謝罪にうんうんと頷きながら、別にいいのよ~と優しく声をかけた。
今まで何も望んでこなかった、感情をあらわにせずにひっそりと息をひそめて生きてきたオルガが、自分の前で泣いたりほほ笑んだりするたびに、アネットは胸がほっこりとし嬉しくなってしまうのだ。
アネットがこうなのだから、アイゼンはオルガが一喜一憂するたびに天にも昇る気持ちだろう。
以前は常にむすっとした態度でいたのに(今でも外ではそうだが)オルガを前にしたとたんに、やにがさがるあの顔といったら、その瞬間を手鏡で見せてやりたいとアネットはうずうずする手を必死で抑え込むのに、二人を前にしていつも必死だった。
そんなアイゼンが、いったい何をやらかしたのだろうか。
喧嘩なんて珍しい、そう思いながらアネットはオルガの赤くなった痛々しい鼻を労わるようにして触れる。
「で、いったい何があったの? 」
「………………アイゼン……を、殴ってしまいました――」
そういって顔を両手で覆ってしまったオルガ。
「殴ってしまったの…? 」
「はい」
「……そう」
たぶん、アイゼンがしつこかったのだろう。何が、かは解らないが、
二人を見ているだけでも、アイゼンの愛情表現は駄々漏れで、色々とねちっこそうなので、いい加減オルガも嫌気がやしたのだろう。顔を両手に埋めたまま、うんうん唸りながら、まだ何かいいたそうな、しかし言えないといった様子のオルガに、アネットは静かに紅茶を啜りながらオルガの気持ちが落ち着くまで待つことを決めた。